佐々木はるか

天草市牛深町出身。漁師の娘として育ったせいか、気は短め。背は低め、足は大きめ、根はまじ…

佐々木はるか

天草市牛深町出身。漁師の娘として育ったせいか、気は短め。背は低め、足は大きめ、根はまじめ。天草の海と旨い魚をこよなく愛す。

最近の記事

特等席

私は漁師の家にうまれた。誇らしいと思ったことなんて、一度もなかった。 漁師は自営業で、船の燃料の油代も乗り子の給料もかかる。大漁できるかどうか、ほぼギャンブルのようなもの。それなりに家計の厳しさを、幼いながらに感じていた。 お父さんの休みは時化か月夜(満月の夜のこと)だから、土日に遠出することもほとんどなかった。頻繁に熊本市内にでかける友人が羨ましくてたまらなかった。いつでも大きな船に乗れていいねと言われたって、そんなの全く嬉しくなかった。 ただ、1年で一度ハイヤ祭りの

    • じいちゃん、私のことだけは忘れんでよ。

      「米淵のじいちゃんが病気になったら、私が一生面倒みるけんね」と、確かに私はそう言った。親戚が大勢いる場で。「ほぉ…」と砂月のおばさんが感心した。でも、少しだけ意地悪に微笑んでいるように見えた。 私は、おじいちゃんが大好きだったし、おじいちゃんだって三人いる同世代の孫の中で私を一番かわいがった。4歳の私から見てもその溺愛ぶりは他の二人対してすこし残酷で、私はじいちゃんの中で一番であること、愛されている自信があった。だから、私はじいちゃんの1番の味方でいるつもりだった。一生。

      • 牛深に帰るのは、月夜と決めていた

        夏休みの朝、5時台に家の電話が鳴る。母が飛び起きて、ばたばたと受話器を取る。奥でガガガと船の機械音と共に荒っぽい父の声が漏れ聞こえる。母が到着時間と何箱かを確認する。嫌な予感がしたので、瞼をきつく閉じ、最初からそうだったように、寝たふりをする。母が私と妹を揺すり起こす。諦めて起き上がり、「大漁?」と聞く。聞かなくてもわかっている。大漁なのだ。朝から最悪の気分だった。 汚れてもいい、というか、すでに魚の染みができている服に着替えて、バケツと子供用の軍手を両手に持ち、長靴を履い