見出し画像

編み物やってみたい/映画『YARN 人生を彩る糸』感想

映画『YARN 人生を彩る糸』を観ました。

4組のヤーンアーティストの活動を追うドキュメンタリーです。

祖母と曽祖母から編み物を習ったというティナは、かぎ針編みのニットでゲリラ的に街を彩るヤーン・グラフィティ・アーティスト。家の中におさまっている女性の手しごとを街に引っ張り出し、尖った灰色の街を優しく彩る。アイスランドを飛び出し、バルセロナでは海の女神に捧げるブイを編み込んで海に流し、キューバでは「人生万歳!」とカラフルなニットを壁に打ちつける。

公式サイトより

ポーランド出身のオレクは、表現の自由を求めてアメリカへ。「かぎ針編みは私の言葉であり、これでコミュニケーションをとるの」故郷の人々と一緒に機関車を編み込み、スパイダーマンさながらのパフォーマーが操るニットで彩られた人力車や全身ニットの集団と街を練り歩き、道行く人々を驚かせ、楽しませる独自のスタイルでアートの世界に切り込んでいく。

公式サイトより

ティナとオレクは、アーティストであろうとする意識が強くあるという印象でした。ティナは女性の巧みな手仕事が家の中に埋もれて忘れられてゆくことを嘆き、街をカラフルなニットで彩っていきます。ときにはそれが、政治批判の許されぬ環境で無言の自己表現として機能します。

作品の印象としては、オレクのニットが強く残りました。全身タイツのようにニットをまとったパフォーマーが街に繰り出す映像は衝撃的です。一方で、ニット作品をキャンバスに打ち付ける展示を行ったのもオレクです。ニットは自分の絵の具であり、ニットのおかげで絵筆を持たない私もアートの世界に入れてもらえる、という意味のことを言っていました。そして、自分の作品はアートであるから、手芸のイベントには出ないとも。


アートが、昔と比べてその枠組みや対象を広げているということは、私も知っています。近代以降、アートの範囲外にあった様々な物から、価値を見出されてアートとなったものがたくさんあります。手芸のような手仕事に「アート」を見出そうとする動きも、近年珍しくないことなのでしょう。

ですが、「アート」として認めてもらうことに何の価値があるのだろう、とも思います。編み物にかかわらず、人の創造力が生む造形の営みは、価値あるものです。「アート」の側に発見されたり、「アート」という土俵に上がったりせずとも、それは変わらないと思うのです。家に閉じ込められてきた女性の手仕事、「アート」とみなされなかった手芸が、「アート」なんかとは関係のないところでその価値を認められ、その営みを楽しむことができたらいいのではないでしょうか。もちろん、「アート」という土俵に上がって戦いたいという人がいるならば、その門戸は広くあるべきですが、「アート」で戦ったからと言ってなんなのかとも思うのです。綺麗ごとかもしれません。それが必要な段階なのかもしれません。けれど、そんなことをもやもやと考えてしまいました。

印象に残ったのは、堀口紀子さんの作品です。

長年テキスタイルの彫刻を作っていた堀内紀子は、心の空洞を感じるようになった。ある時、作品に子どもたちが飛び乗ったのを見て、「人のために作品を作る」ことを決意する。それ以来、未来を担う子どもたちの想像力を刺激し、子ども自身が工夫して遊び、子ども同士が自然と友達になってしまうカラフルなネットの遊具を、世界中で作り続けている。

公式サイトより

ネットの色彩とそれが子供たちによって有機的に動いていく映像はとても美しかったです。かつ、作品がアートであること以上に遊具として存在している柔軟さが、素敵だと思いました。
都内では、昭和記念公園に堀口さんのネット遊具があるそうです。今度見に行こうかなと思っています。さすがに大人は遊べないのでしょうが、叶うなら遊んでみたかったです。

編み物、やってみたいです!

(画像はGirl Knitting in Savognin ジョヴァンニ・セガンティーニ 1888)

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?