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暗闇の中で飛び込んできたもの


理想の自分

 「自分と世間一般の人は何か根本的に違う。」昔からそう思ってきた。

 なぜかぼくはみんなが当たり前に出来ることが苦手だった。例えば、サッカーをしているときに「ヘイパス!」と言えない。自分に注目が集まることに耐えられないし、ボールを要求しておいて失敗したら恥ずかしい。他にもカラオケで歌うことが出来なかったし、大人数の飲み会中に女の子に話しかけられない。
 どうしても注目を受けてかっこつけてると思われるのが耐えられなかった。つまり、自意識が高すぎるのだ。
 そんな弱い自分を認めたくなくて、出来ないことは徹底的にナナメな態度をとっていた。サッカーをしているときは「ただの遊びなのに一生懸命になってバカみたい」。カラオケに行ったときは「あいつ歌がへたくそなくせにかっこつけて歌ってる、カッコ悪いな」。

 みんなが当たり前にできることができない自分が、大嫌いだった。かっこよく振舞える理想の自分に追いつくために、ダメな自分を全否定してずっともがき苦しんでいた。


加速

 自分を否定する思いが特に強くなったイベントがある。「就活」だ。ぼくはどうしても大手企業に就職したくて必死だった。
 初めて参加したグループディスカッション、初めて会う超高学歴の人たち。グループディスカッションをすれば意見が出るわ出るわ。そしてそれを高速でまとめ上げて発表する。ぼくは何一つ貢献できず終始無言だった。僕は本当にあの場にいたのだろうか。
 「こんな自分のままじゃダメだ。何もかも捨てて全力で挑まなきゃ。」
 大学1年のころから3年もお世話になって大恩あったバイト先をバックレて東京で就活した。すごく仲良くしてくれていた先輩達に卒業のお祝いもせずに就活していた。
 下がった自己肯定感の穴埋めのために利用したのは、他人の価値を下げることだった。
「ぼくはあの人たちよりもうまくできる。ぼくはもっと成長できる。」
大学3年の冬だった。


ゾンビ

 就活は結果的に大成功だった。第1希望だった会社へ入社する権利を得た。だが、その時ぼくは幸せを感じることが出来ないようになっていた。
 何をやっていても「他人の目からどう見えているんだろう」と気になって、それも悪い方向に考えてしまっていた。なんとか自分の自己肯定感をあげるために他人や物事に対しての価値下げをしていた。そんな自分が嫌いでまた自己肯定感が下がり、負の連鎖にとらわれていた。鎖は解きたいのにどんどん締め付けてくる。
 全てを捨てて追った夢を達成した世界の先に待っていたものは、"楽しいことが何もない世界"だった。僕は、その世界のゾンビになっていた。
 ゾンビは、噛みついて"生きてても楽しくない"を感染させようとする。人前で愚痴や悪口を口にして"生きてても楽しくない"に巻き込もうとした。ずっとイライラ、人に会えば噛みついた。
 ゾンビになった大学4年の生活の中で友達は1人また1人と減っていった。入社が迫る中で、こんなんで社会でやっていけるのかとても不安だった。幼少期からずっと人間関係で悩んできたダメダメなぼくは、この世界で生きていけるのか、生きてていいのか。


若林さん

 そんな中で、オードリーの若林さんが書いた本に出会った。読んでいて共感するところが多すぎて若林さんの著書3冊を一気に読んだ。その中でも特に感銘を受けた箇所があるので少しだけここで紹介する。(勝手に引用、中略してしまってごめんなさい。)

若林正恭著「完全版社会人大学人見知り学部卒業見込」より、p236「暗闇に全力で投げつけたもの」
 ぼくらのような人間はネガティブで考えすぎな性格のまま楽しく生きられるようにならなくちゃいけないんですよ。前にも書いたけど性格は形状記憶合金のようなもの。なかなか変えられない。だから、変えるんじゃなくてコントロールできるようになればいい。(中略)ぼくは自分を変えるなんてめんどくさいこと、だいぶ前に投げ出しちゃいました。
(中略)
まっとうな社会人にならなきゃなんて焦らなくてもいいと思う。納得できないままでいいですよ。ぼくは今の社会を真正面から納得できる人なんてイかれてると思いますよ。
(中略)
 本を出して色んな感想を読んだ。もちろん賛否両論あった。でも、文体とか構成なんかを褒められるより「ぼくは二十六歳のフリーターだけどこれから頑張ります。」っていう感想がなんだかすごく嬉しかった。
 二十六歳のフリーターだけどって書いてあるってことは、それを良しとしない風潮があるんだろうな。確かに社会は正社員に有利なように作られている。だけど、自分で働いてお金貰って飯食ってんだから、原始時代でいえば獲物捕らえて食ってるのと一緒だよ。
 それを真っ当に生きてると言わずして、何を生きてると言うのだ。
 その感想を読んだとき、暗闇に全力で投げた本が君に当たった音が、ぼくの耳にちゃんと聞こえたんだ。


解けた鎖

 ずっと否定し嫌い続けてきた、今までの自分が初めて肯定されたように思えて、貯めこみ続けた想いが込み上げてきて目頭が熱くなった。22年間も大嫌いでダメなやつだと決めつけて自分を縛り付けていた鎖がはじけたんだ。
 半泣きになっているところを家族に見られたくなくて、急いで風呂場へ向かった。自分の過去を思い返しながら、顔を湯船につけた。

 若林さんのように自分のことを受け止めてあげたいと強く思う。それにぼくと同じように自分のことが嫌いなやつにあった時には「いいんだよ。大丈夫だよ。」と肯定してやりたい。

 この世界を全肯定できるようになる。それが、自分を全否定していた僕の人生の目的かもしれない。

悩んでるぼくは真剣なぼくだし、
悩まないぼくは自信があるぼくだ。
何が正解で何が間違いか。
決めつけずに歩いていきたい。
理想を追い続けるのも、ありのままに生きるのも。




見直し

 この文章を投稿するために書いたものを見直しをしていると、なんだか中学生の時に書いていた恥ずかしいポエムを見ているような気がして笑えてきた。
 
 「...お前、全然変わってないな。」
 
 「そうかな?でも、これが楽しいと感じてるからいいじゃない。」

 今、ぼくという人間を否定する人はこの世界に誰もいない。

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