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昭和後期から平成中期あたりの良質な音楽たち

形式美というのはもう古いのだろうか。

曇りガラスを 手で拭いて
あなたあしたが 見えますか

大川栄策歌唱「さざんかの宿」(作詞 吉岡治)

7・5調で組み上げられた歌詞。
浜村淳さんがイントロにかぶせて、やわらかく語りかけてくれそうだ。

いや実際、演歌ってジャンルにはそれほど興味も関心もなかった私です。
明菜ちゃん見たさにザ・ベストテンを見ていたらもれなくついてくる … それぐらいの存在でしかありませんでしたが。ただ、当時は演歌もフォークもアイドルもみんな、テレビでは横並びで本当よく流れていました。

テレビがとても元気だったあの頃。


いまどきの音楽もよく聴くよ、って言いかけて口をつぐんでしまった


うん。あんな騒動あったけど、川谷絵音くんの作る音楽ってすごく巧いよね。ゲス極のPVもいいし、Indigo la End の曲もいい。あとは、高橋優くんの曲はよく聴くかあな。

って … これらの楽曲、もう10年近く前になるというのだ。

しんどい。まだ私のなかでは「いまどきの音楽」というふうなのだが。ヒゲダン(もちろん髭男爵のことではない)あたりもそのうち、懐メロのカテゴリーに入れられてしまうのだろうか。悲しい。


55ちゃいになった私(♂)の音楽遍歴


私が夢中になったことのある音楽を列挙してみよう。
もちろんそれ以外にも琴線にふれた曲はいっぱいあるけれど、特定のアーティストのアルバムをコンプするほど追いかけた経験にもとづいて列挙してみた(一部洋楽も含まれますがお許しを)。

小学時代・・・沢田研二(ジュリー)
中高時代・・・中森明菜、来生たかお
大学時代・・・KAN、槇原敬之、大江千里、渡辺美里
       ビリー・ジョエル、ギルバート・オサリバン
30歳前後・・・小島麻由美
40歳前後・・・ジンギスカン、初期のボカロP作品(ワンカップPなど)
そのあと・・・ゲスの極み乙女。、高橋優
いま  ・・・リストラーズ

ざっとこんなふう。念をおすけれど、楽曲単位でいえば「これよかったなあ」という曲は、それこそ両腕で抱えきれないほど、積み重なって押しつぶされるほど知っている。

沢田研二さんの「カサブランカ・ダンディー」の出だしはおそろしい。ききわけのない女の頬を、ひとつふたつ張り倒して背中をむけてタバコを吸えば、それで何も言うことはない〜 だもんな(笑)。いまならコンプライアンス違反で放送禁止になっていることでしょう。

そういう歌詞に小学生の低学年からテレビを通じて馴染んでいたわけで、そう考えるとすごく不思議な気分になります。大人って果てしなく大人なんだな … 当時はオトナってものが、子供だった私には超えられない壁に阻まれた遠い存在に見えていたものです。

大江千里さんはジャズの世界に行ってしまったが…


大江千里さんについて。この人も「十人十色」あたりからアルバムを漁りはじめたのだ。それがKANちゃんと同じく、フジテレビと山田邦子さんの〝魔法〟でみるみる手の届かないところへ行ってしまった。とはいえ、大ヒットを連発していた時期の楽曲はある意味で神がかっていた。普通だったら、量産しすぎているアーティストの曲って雑になっていくはずなのだけど、千ちゃんは明らかにちがっていた。

しばらくして、千ちゃんに異変を感じるようになった。発声がどこかしんどく聞こえるようになってきた。曲自体はあいかわらずとてもいいんだ。だけど、シンガーとして … 声帯もある意味では消耗品だ。ピッチャーの腕が豪速球を放ちづらくなるようなことだったのかもしれない。

そう思っていた時期にジャズ転身。寂しかったけれど、余計なお世話だと思うのだけど人間の肉体自体が消耗品だ。というか(KANちゃんのフランス修行もそうなんだけど)熟年から勉強し直してという前向きさがすごいんだよな。そんなインテリジェンスな態度を見習いたい。

本当にうれしいのは、過去の栄光を黒歴史あつかいするのではなく、最近のアルバムでも旧作をジャズピアノで披露してくれていること。

10 People , 10 Colors —— 「十人十色」ですね ^^ 。

初音ミクが登場したあのころ


ボーカロイド「初音ミク」は、もはや文化になってしまった。

私自身も色めきたった。これはすごいぞと。

DTP(デスクトップミュージック)として私自身も、ボカロ(ボーカロイド)を使って曲を作りはじめた。ニコニコ動画に昭和時代のPとして参加させていただいていた。

プロの音楽ではなく、はじめてアマチュアの音楽がカルチャーにのしあがった。北海道に本社を置き、それまでは地味な存在としてソフトウエアの音源などを売っていたクリプトンという会社が、それこそ社会現象を発信する存在としてメディアを席巻するという「日本最後のアメリカンドリーム」みたいなことをやってのけたのだ。いまは私は、すでに自作する音楽を断捨離してしまったけれど、そういうことをやってた時代もあったなあとしみじみ思い出す。

いろんな作り手さんがいて、私はまったく冴えなかったけれど、たくさんのファンがついてヒット(大きなアクセスカウンター数)を連発していた人たちがいた。私はこの世界で有名だったワンカップPさんの曲を追いかけていた。

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切なくていい曲でしょ?
で、イラストもまたとってもいいんだなコレが。

来生さんとKANさんはいまだに追いかけている


薬師丸ひろ子さんの「セーラー服と機関銃」を生んだ来生たかおさん。

どちらかといえば、アイドル歌謡をはじめとしたメロディメーカーとしての顔のほうが認知度が高いかもしれない。

薬師丸ひろ子 「セーラー服と機関銃」「語りつぐ愛に」
大橋純子 「シルエット・ロマンス」
中森明菜 「スローモーション」「セカンド・ラブ」「トワイライト〜夕暮れ便り」
岡村孝子 「はぐれそうな天使」
H2O 「僕等のダイアリー」(「翔んだカップル」のED曲 )
平井菜水 「めざめ」(「知ってるつもり?!」のED曲 )
南野陽子 「楽園のDoor」「さよならのめまい」
河合奈保子 「疑問符」「ストロータッチの恋」

https://ja.wikipedia.org/wiki/来生たかお関連作品#提供曲  より抜粋

最近、YouTube上で来生さんの過去作品をものすごいペースでアップされている方がいる。業界人だろうか? 来生さんの公式HPに月イチで掲載されるご本人のコメントの中でも言及されていたぐらいだから、もう公認なんだろうけど。

来生さんご本人も、なお精力的にコンサート活動をされている。来生さんご自身は1950年生まれで現在73歳だという。ヒット当時のシティーポップの歌い手という風貌からかわって、現在は、まるで大学教授みたいな雰囲気のお姿になられている。コンサートチケットもなかなかとりにくくて苦労している(諦めている)。

そして、KANさん。

最後のアルバムになってしまった「23歳」をはじめとする、KANさんのあれこれは過去の私のこの記事で語らせていただいている。よろしければ。


とりあえずのまとめ


これらの音楽を私は、主にYouTubeで楽しんでいる。サブスクの時代。

「サブスクを作った人を恨んでいる」と言ってしまったアーティストさんのお気持ちは、実はものすごくわかる(写真を好んで撮る私は「フォトストックを作った人を恨んでます」と平気で公言できます。食っていかなければならない以上、作り手には作り手なりの言い分が、たとえ心象の悪い言葉になったとしても有ると考えています)。

これも時代 … とポジティブに捉えるならば、YouTubeってのは視聴者がコメントをつけることができる。ネガなコメント、挑発的なコメント、意味不明なコメントは勘弁してほしいけど、ファンからの真摯なコメントは読んでいてすごく楽しい。いろんな感じ方があるのだなと知ることもできるし、知見が横に広がるきっかけになったりもする。

いい音楽はやはり、お金を出して買いたい。最近、リストラーズのCDを買ったのだけど、ほんとうに何年振りにお金出して買ったCDだっただろうな…。

長くなってまいりましたのでこのあたりで。


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