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創作は騙し合いだ


まとまった文を書くとき、最初の一行をブランクにしてしまう癖がある。
別にそんなルールなんてないと思うのだけれど、なぜかやってしまう。
美的感覚というか、なんだろう、気になるとこれがスタンダードなのか確かめたくなる。
いや、どうでもいいか。
さて、らきむぼんです。お久しぶりです。

最近、久々に創作物を読んでもらう機会があった。
2020年の初夏に『リリスかく語りき』という短編を出したの最後で、それっきりだったのだけれど・・・・・・というか、よく考えたら今も一般公開している作品はそれから出ていない。

ただ書いていないわけではなく、犯人当てを一作書きつつ、友人とリレー小説を書きつつ、競作を書いていた。
今日はそんなある意味ライフワークになっている創作の話。

創作は僕にとって騙し合いだ。
所属する社会人サークルでありミステリ研究会でもあるシャカミスで、僕は競作企画を主宰した。
会員が同じテーマで作品を執筆、名前を隠して寄稿、その感想会を開いて盛り上がろうというもの。

これが5月中旬に控えていて、まだ覆面作者同士の騙し合いは続いている。
僕ももちろん仮面をまだ剥がしていない。
しかも冒頭の一行目ブランクの話で作者バレそう、やばい
だが、今回は実はそういう騙し合いの話ではない。

創作そのものが、僕にとっては一種の騙し合いだ。

僕の創作は小学生の時の漫画の執筆によって始まる。
クラスに一人くらいは、オリジナルの漫画描いてるやついたよね。
僕があれだ。
あの時の僕の作者としての気持ちは、見てる人が驚く展開にしたいということ。
絵は全然うまくない。教師の評価したくなるようなことをするのが得意だった(教師の前でおもむろに鉛筆を折り、その芯の炭で陰影をつけるみたいなパフォーマンスとか)のでずっと評価は高かったが、本質的に技術がない。

僕のやりたいことは常に、予測してきた相手を欺くことであり、それは漫画でもそうだし、美術の授業で鉛筆を折ることでもあった。

中学に進学した。
そして僕は小6の頃に親交が深まった親友のKとリレー形式(二人だからラリーだれど)で漫画を描き始める。
中学で下手なやつ二人が漫画を描くのはかなりイタいのだが、やりたかったことの本質は同じだった。
漫画は表現方法がたまたまそれだっただけで、僕らは絵を向上させることには無頓着だった。
思えば、漫画なのだから、絵をうまく描こうとしてもおかしくないのだが、ちっともそんな努力はしていなかった。多分、相方もそうだろう。
僕は友人を感心させたかったし、驚かせたかったし、笑わせたかった。仮に読者が他に誰もいなくなっても。

高校時代、僕とKは別の高校に進学した。
当然漫画は描けない。ノートを渡せないからだ。
だから僕らは小説を書き始めた。
16歳の頃にガラケーのメールで始めたリレー小説は今年30歳になる僕らの間で今も続いている。
文字数で言うと60万文字超え。
話数では100話くらい。
まだまだ終わる気配がない。

僕も相方も、お互いが書いたものに対してそれを打ち返す。
事前に決めたシナリオはない。
それを幾度となく続けてきた。
時には相手の理想をうまく仕上げ、時には足りない部分を補い、時には予想を完全に裏切る。そして過去に連なった50万文字のテキストと15年間の年月に矛盾なく続きを紡ぐ。
・・・・・・と書くとすごく聞こえるが、うまくいかないときもある。
だが、それでもまだなんとか続いている。
いまだに僕は相方が何を書くかわからないし、やつもおそらくそうだろう。

騙し合っている。
どこまでも僕らの創作は思考の読み合いだ。
作者同士が互いを騙し合っているのだから、読者に対してもそうだ。
だから僕はすべてが丸く収まる物語が苦手だ。見るのも読むのも書くのも、少し苦手だ。
作者が自分を欺こうとするその一握りのプライドが見える作品に肩入れしてしまう。

さて、僕はいま新たな壁にぶつかっている。
騙しあうことすらも難しい難題かもしれない。

GWのある日、僕はKとほんの30分ほどだけ会った。
コロナ以降、そもそも会っていなかったが、まあ会ったところでいつも僕らは近況報告などしない。
いまだにお互いが何をやって生きているのかも謎のまま、まるで中学の放課後の続きのように僕らは地元のコンビニの駐車場で会話をする。
近況も話すことなく続いた25年間の腐れ縁、交わした情報は50万文字の虚構のテキストが大半を占めるが、きっとどちらかが死ぬまでこうだろう。
そして、コンビニの前でKは儀式を開始した。

いや、ごめん。儀式といってもそんなに大それたものじゃない。
ただ24冊のノートを僕が彼から受け取っただけだ。
それは中学時代に書き綴った漫画である。
僕らはその黒歴史ともいえるノートを互いに交代しながら保管していた。
ノートの色褪せた表紙を見ながら「いずれデジタル化するしかねえか」などと話つつ、その儀式はつつがなく終わり、何気なくリレー小説の話になった。

とはいえ、そもそもシナリオは存在しない。
僕らは常に先が見えない状態でラリーをしているのだから作品の打ち合わせなどできない。だが、やはり長い物語がお互いの頭にあると、ときどき別の作品に着手したくなる。

そして、僕らはわりと簡単に新たなリレー短編の執筆をすることを決めた。
だが、その執筆ルールは単純なラリー形式ではなかった。
Kによって提案されたそれは、前代未聞(・・・・・・かは分からないがあまり聞かない異質さ)のルールだ。

「全6話と仮定して、何話をどのタイミングで書くかランダムにしてみよう」

さて彼の言葉は一見分かりにくい。
だが冷静に考えると、素人作家の挑戦としてはハードルが高い企画だとわかるだろう。

その後のラインのやり取りで、その執筆順が定められた。
下記の通りだ。

① 第五話 僕
② 第四話 K
③ 第一話 僕
④ 最終話 K
⑤ 第三話 僕
② 第二話 K

これで意味がわかっただろう。
まず、僕が最初にその「まだ存在しない小説の」第5話を執筆する
それを受けて、Kは第4話を書く。
そして僕はそれを受けて第1話を書く。
最終的にKが第2話を書いて、順番を並び替えれば一つの小説が完成すると言うわけだ。

ちなみに1話あたりの文字数は5000字以内。
そして作品に通底するテーマはくじ引きによって「幻覚」と決まった。

待って、これ超むずくない???????
やべーーーーー!!

うん。
さて、僕とKはこの小説を完成させることができるのだろうか?
不安しかないが、同時にどうなるのか気になる自分もいる。

創作とは騙し合いだ。
それは信頼に裏打ちされる。
相手が相方でも読者でも、そして自分自身でも。

僕の頭の中では、すでに霧に向かって投げるボールが握られている。
果たして、このボールを投げたらそれはどの方向から返ってくるのだろうか。

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