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戸塚祥太くんに贈る、星が白く光っている話。

10年前の2月1日。

通い慣れたNHKホールの目の前、SHIBUYA-AX。未だに馴染まない実感を持て余しながら見上げた、TSUTAYAの大きなポスター。

「星は誰かに見つけてもらえて初めて星になれる。沢山の人に見つけてもらえる星になれるように頑張ります」。その言葉を、何回も何回も瞼の裏で繰り返しながら歩いた渋谷の帰り道。

A.B.C-Zがデビューした日。


それからさらに3年前の2月1日。

まだ暗い地元駅、ガラガラの始発電車。制服と革靴を詰め込んで膨らんだスクールバッグ。朝の空気と緊張に少し震えながら乗り換えた地下鉄。

ほんの少し朝日が射し込むエスカレーターと、冷たいビル風。

初めて「戸塚祥太くん担当です」と名乗った日。


2022年2月1日。

あれからずいぶん長い時間が過ぎたよね。

「これからも転がり続けるので、」と少しはにかみながら話していた横顔は、今もまだ「ファンのみんなが一番かっこいい」と笑う。「出来るだけ近くできらきら輝く姿を見ていたい」と願っていたわたしは、今でも「世界でいちばん綺麗なひとはとつかくん」だって何度も実感する。

つらくて泣いて離れたこともあったけど、気付けばまた戻ってきちゃって、やっぱりまた同じようなことで怒って泣いて。きっと悔しいことのほうが多くて、叶った夢の方が少ない。

嵐みたいになってほしい。東京ドーム。ゴールデンタイムのドラマ。大河。紅白。当たり前の顔して見る大型音楽番組に、当たり前のオリコン一位。スマホの予測変換。

好き勝手馬鹿にされない、大好きなアイドル。

泥臭くなんていないでほしい。ファン想いでなんてなくていい。身近な存在でなんていなくなってほしい。楽屋ツアーもエキストラも、手売りも欲しくない。コンサートが当たりやすいとか現場が多いとか、数字に追われなくていいなんて外野が勝手に決めつけた理由で好きでいるわけでもない。

意味の分からない10万RT企画や、信じがたい自虐で始まった10周年プロジェクト。謎の地方推し。直近だけでも吐ける呪詛は山ほどあって。でもわたしの何百倍、何千倍、途方もない不安と憤りの中にいたのはきっと君だ。

いつかの失くしたソロパートに強張った顔を背けていた青年はもういなくて、今じゃいつも静かに笑っている顔が、少し悲しい。

今立っているステージが、いくつもの骸の上に成り立っているものであること。自分たちもまた、その上にある玉座のための屍のひとつであること。

きっとそんなことは本人たちが一番理解していて、ジリジリと何度でも突き付けられる現実は、まるで火炙りみたいだ。


そんな全部を通り越したステージの上と、安全圏からはみ出さない無責任な客席との距離は、酷く遠い。その距離に甘えて、わたしはこの10何年を色んな場所に寄り道をしながらも歩いてきたんだと今更思う。

ただ願わくば、ネットの海に垂れ流される悪意とか、狭い教室で特定の机にゴミを投げつけるみたいな馬鹿げたことが、どうかその真っ白な光に黒いシミを零さぬよう。

長くステージに立つこと。そんな誰かを好きでいること。後ろ指を指される謂れはない。

いつだって何食わぬ顔でとんでもないパフォーマンスをして、「ジャニーズ」の看板を背負った肩で息をしていないようなA.B.C-Zを好きでいただけだ。


喉から手が出るほど願ったデビュー。単独横浜アリーナ。大きな看板。ポスター。想像もしなかった結成10周年。CDショップの個人ディスプレイ。主演ドラマ主題歌。帝国劇場。CM。地上波のVanilla。デビュー10周年。

ほら、叶えてもらった夢だっていくつもある。



いつだって人のことばかりで、自分を殺してしまいがちな戸塚祥太くんへ。

自分じゃなくて、メンバーが、スタッフが、ファンが。自分は何もしてない、なんて言わないでほしい。

ベストアルバムの装丁が額縁の意味。笑えないときも笑いながら走り続ける君の背中。


いちばんまぶしいあの灯は、戸塚くんだ。

光は君だ。

わたしの大好きなアイドルは、馬鹿なんかじゃない。

わたしは今もまだ、白く輝く星を見ている。

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