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男の鑑と、男の鏡

男にも鏡は必要

男も40歳くらいまでは、たまに鏡を見て櫛で頭を整えたり、頭にヘアートニックをつけて髪型を整えたりすることがあるが、そのうちにだんだん髪の量が少なくなり髪に対して、あるいは頭部に関して関与する余地が少なくなると、ついにはほとんど鏡を見なくなる。さらに歳を重ねていくと、髭をそるのもおっくうで、自分の顔を見る機会も少なくなって、あるいは自分の顔など見たくなくて、やがては自分がどんな顔であったかもほとんど意識しなくなる。鏡を見なくなると、私の目に入るものがいつも家族や友人・知人で、私の視野に入る世界にもほとんど自分自身は登場しなくなる。
正直、鏡という存在がないとすると私という皮膚でとじられた袋のような物体からすると、要は目だけが外に空いているのぞき穴のようなもので、のぞき見している世界や風景の中に私の姿は見当たらなくなってしまう。

鏡を見なければ自分の顔を忘れてしまう

ある朝など、目の周りがかゆくて目覚めたとき、思わず鏡を覗いてみたことがある。ところがそれを見た瞬間、「あ!これはだれだ」といった感じで、目に入ったその顔を誰か、すぐに認識できないことがあった。それは100分の一秒くらいの短い時間で、すぐにそれはいい歳をした自分の顔であると認識するのだった。こういう生活を送っていると、私には世の中の風景や街並み、知っている人の顔については順次リアルタイムにリニューアルされ行くのだが、私自身が滅多に鏡を見ないので、自分自身の顔だけがいつまでもリニューアルされない。
そういうわけで、長い間会っていない人に会うといろいろ驚かされることがある。一番驚くのが、姪や甥に会った時だ。姪や甥には、20年くらい会ってないことがあり得る。甥や姪が生まれた頃に会って、次は彼らが成人したこ頃に会うことが多い。多分に家族の祝い事や法事に会うというパターンだ。そうして再度会うときは、甥や姪が40歳近い頃が多いと思う。この頃なら、私としては甥や姪の顔をよく覚えているので、再会した時には懐かしくも可愛くもあるので、駆け寄って時には肩をたたいたりするのかも知れない。

鏡を見ないと自分をもっと若いと誤解することに

おそらく私と甥や姪の心具合としては、私にわかるぐらいだから、甥や姪も私のことを直感的に感知し、親しく思っているはずだと思うので、これはあくまで私のケースのことになるが、実際はそうはスムーズにいかないような気がする。私は甥や姪が分かっているので、ある程度会ってない時間が長くても、表情の補正が効くと確信しているが、彼らと会っていない時間の大きさのギャップを過小評価している。たぶん会えば、多少ぎくしゃくするものの、多少のためらいの後に、互いを認識しあい、やがてはやあやあとなるはずだ。しかし不用意に会った瞬間のことだけをいえば、私は何の違和感もなく会うだろうと思うのだが、甥や姪には瞬間に違和感があるように思うのだ。実はその時私は、鏡を見てない分自分の姿形を正しく認識してない。

私は、例えば40歳の頃と同じ顔をしていると錯誤していて、そのままの意識や態度で甥や姪たちに近づいていくのだ。ところが甥や姪からいえば、なぜか60歳のお年寄りがあくまで40歳くらいの身内だという顔で、どんどん近づいてくるということになる。
つまり、自分の顔を一番知らないのが私自身であるということになり、そのギャップに自分で驚かさせるということなのだ。あまりリアリティのない話だが、鏡を見ない男は、やがて世の中から顔を失ってしまうのではないかと思う。実際のところは、歳を取るにしたがって、鏡を見ることが大切になっていくことを忘れてはいけない。



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