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過去は石の下からミミズのように這い出てくる。

昨日ポケモンの映画がどこかでやってたらしくて、昔書いたポケモンの映画の悪口を沢山書いた記事が共有されたり、いいねされたりして毎回嫌な気持ちになっている。嫌というか恥ずかしいって話だが。
多分これからもポケモンの映画が流れるたびに誰かの目に触れることになるんだろう。過去は石の下からミミズのように這い出てくる。

前に僕は自分の文章は好きだという旨の発言をした気がする。
それは今の自分についてだけだ。過去の自分は嫌いだ。
ましてや2年くらい前の記事だ。もはや別人だろうそれは。
僕の名義を騙って何か適当なことを吹聴してる!って思ってる。
まあ誰も騙らないし偽らざる僕本人なのですが。

頭の中の過去の自分はもっとウィットに富んでて理路整然とした意見を言っているような気がしたけれど、全くそんなことなく、今見たら「うわ~こいつ絶対性格悪いな~。すげえ偉そうだし。何様なんだよ。」と思う。
何よりそれが自分なのも嫌だし、今の僕が受けた印象がそのままどこかのだれかの受け取った印象になっているかと思うと最悪だ。人間謙虚が一番。

もし僕が何かを表現する仕事についていたらどうなるだろう。
自分の作ったものが世に広く公開されて未来永劫残り続けて、まさに僕のような批評家気取りの馬の骨とも分からん奴に好き勝手分かったようなこと言われていたら、その恥ずかしさと自責の念で発狂していたかもしれない。
もしくは一切ネットの意見を顧みないストイックな人間になっていたかもしれない。

とにかく僕は過去の自分も好きじゃないから過去の自分の話を蒸し返されるのも苦手だ。そういう意味ではTwitterにしろこのnoteにしろインターネットも自分のライフログが刻銘に残っている「過去の自分の地層」は危険だ。
掘り返そうと思えば色んな嫌な思い出がさながら芋掘り体験のミミズのように沢山出てくるだろう。「デジタルタトゥー」なんて言葉もあるし。

あ。これ「掘り」と「彫り」の意味、掛かってね??

……明日の僕にとっては今こんなことを書いている僕も過去の恥ずかしい自分だ。

じゃあうだうだ言ってねえで嫌なら消せばいいだろう。
そういう話でもない。
公表されたものについては作者は受け取り方を選ぶことは出来ない。
誰もが批評する権利を持っている。これだけ何かを批評しておいて批評されたくないというのは虫が良すぎると思うからだ。
その程度の責任くらいは一応持ってはいるつもりだ。
藤子・F・不二雄もそんなことを言っていた気がする。
僕の拡大解釈かもしれない。

とか言いつつ本当の本心は誰かに褒められたいだけなのかもしれない。
恥ずかしくても誰かに認められたいだけなのかも知れない。

誰か僕を認めてよ!!!父さん!!!!
一人にしないで!僕を見捨てないで!僕を殺さないで!


おまけ
アニメキャラみたいな名前の蕪

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