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地獄の新入社員研修の思い出

もうすぐ4月。毎年この時期になると『新入社員研修』のことを思い出す。同期入社のみんなで田舎のホテルに2泊3日で泊まり込み、先輩方やセミナー講師に色々と”指導”されるのである。
今でこそ笑い話に出来るが、あの時はだいぶ精神的に追い込まれた。何しろ同期全員が泣いていたくらいだ。自分の人生の中で「うつ病」の次に”正常な思考が削がれた”出来事と言っても過言ではない。

研修初日はグループワークや討論会といった、ごく普通な内容だったが、2日目から雲行きが怪しくなった。たしか午前中は”社訓の暗唱”だった。暗記できた者から挙手制で全員の前で披露するのだが、途中でつっかえるのは当然不合格だし、完璧に暗唱出来ても不合格となるのだ。しかも不合格の理由は教えてもらえない。どうして合格にならないのか考えていると挙手を促される。そしてまた不合格になる。だんだん頭が錯乱してきて、覚えた筈の社訓を間違えるようになる。動揺するとこんなにも脆いものなのかと痛感させられた。
結局、皆軽くパニックになりながらも何とか暗唱して合格出来たものの、会社と研修に対して疑心暗鬼になったのは言うまでもない。敢えて不合格にして僕らを混乱させたこの研修の目的は、果たして何だったのだろう? 想定外のことにも動じないメンタルとチャレンジ精神が身に付く予定だったのか? 研修の効果のほどは不明だ。

午後はもっと過酷だった。今思い返してもあの研修の最適解は何だったのか解らない。
僕らは控室に集められ、1人ずつ隣室に呼ばれた。そこで監督員に「自分をさらけ出してください」と言われるのである。回答に詰まっていると「控室に戻って考えてください。誰とも相談してはいけません」と言われて返された。
何かを隠しているつもりはないから、どうやって自分をさらけ出せばいいのかも解らない。考えても答えは出ない。時間だけが過ぎていく…。そうしているうちに、隣室から同期の嗚咽とも叫びとも解らない声が聴こえてきた。「自分をさらけ出す」って何だ? また混乱してくる。
時間は刻々と過ぎ、気づけば夕方になっていた。控室の外からは夕食の香りが漂ってくる。同期の仲間たちは合格して、控室に居るのは僕だけになっていた。相変わらず答えが出ないことに焦りと不安と苛立ちが募る。そんな僕を見かねてか、同期の一人が「今の気持ちをぶつけてくればいいんだよ」と、こっそり助け舟を出してくれた。その言葉に背中を押され、隣室の監督員と対峙したところまでは覚えているが、その後、僕が何を話したのかは記憶にない。不安だったこと、答えが解らず苛立っていたこと、同期の優しさが嬉しかったこと等をぶつけたのだろうか。合格を言い渡されて我に返ったとき、自分でも引くくらいグシャグシャに泣いていた。僕としては辱めを受けたような苦い記憶である。
今もこの研修に合格できた理由は解らない。感情をさらけ出すことが自分をさらけ出すことなのだろうか? 僕はそうは思わない。思ったことや感情をさらけ出さないという選択をする自分だってある筈だ。それが理性や品性というのではないか。この研修の意図が解る方がいれば是非教えてほしい。

そんなこんなで乗り越えた2泊3日は途轍もなく長かった。正直、この研修で成長したとか考え方が変わったとかは感じなかったが、仲間の存在の大切さに気付けたことは大きな学びだったように思う。
僕は10年以上経った今でも、同期のあの一言に救われたことを鮮明に覚えている。”誰とも相談してはいけない”というルールを破ってまで、一人途方に暮れていた僕を助けてくれたことが、これ以上ない程嬉しかった。僕を助けることで彼は怒られる可能性だってあったのに、それでも僕に手を差し伸べてくれたのだ。あの時のことは今も感謝しているし、彼のような勇気と優しさのある人間になりたいと思う。
僕はこの研修で会社が意図したことは学べなかったかもしれない。でも、同期の仲間を通じて大切なことに気づけた。それが僕にとって必要な学びだったのかなと受け止めている。(あれはブラック研修だったのかな…)


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