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城巡り『岩村城』

日本三大山城の1つ、岩村城(岐阜県恵那市)に行ってきた。城の歴史は古く、鎌倉時代までさかのぼる。当初は平たん地に館や砦が築かれている程度のものだったそうだが、戦国時代の織田家・徳川家・武田家との抗争の際に改築し、山全体を要塞とする巨大な山城に変貌したそうだ。現存する石垣は総延長1.7kmにもおよび、まるで城全体が要塞都市のようである。

山頂は本丸跡となっており、すぐ近くに駐車場があるので車でも行けるのだが、今回は麓から歩いてみることにした。道中は石畳が敷かれているので歩くこと自体は難しくないのだが、坂道が続くのでなかなか良い運動になる。昔の人は今ほど整備されていない道を、草鞋と着物(もしくは甲冑姿)で上り下りしていたのだから凄いなと感心させられる。
麓から山頂の本丸までは徒歩で30分程度で到着する。その間に門や櫓の跡、霧ヶ井と呼ばれる城主専用の霊泉、六段の雛壇状に築かれた壮大な石垣(六段壁)など、この城の歴史を語るうえで欠かせない見所満載のスポットを通るので、訪れた際には麓から歩いて登られることをおススメしたい。各スポットの案内看板にはQRコードが掲載されていて、スマホで読み取ると城の復元CGを見ることが出来るので、スマホ必携で登ってみてほしい。

また、ここは女城主”おつやの方”が治めた城としても有名だ。おつやの方は織田信長の叔母に当たる人物で、岩村城主の遠山景任の妻だったのだが、景任が病死して跡継ぎの御坊丸(養子 信長の5男)が幼かったため城主になったという経緯がある。
当時の織田家は武田家と抗争中で、岩村城に武田二十四将の一人”秋山虎繁”が攻めてきた際には、女城主である”おつやの方”の指揮のもと籠城して応戦したと言われている。籠城は3か月に及び、城内の食料が尽きてきたころに秋山虎繁から「婚姻」を条件とした無血開城の申し入れがあり、おつやの方はこれを承諾して武田の軍門に下ることとなった。
その後、虎繁とおつやの方は結ばれるのだが、これで「めでたしめでたし」といかないのが戦国の世。ふたりの婚姻から僅か2年後、岩村城は織田信長の嫡男、信忠に包囲される。助命を条件に降伏を受け入れた虎繫らだが、岩村城を奪った虎繁と織田家を裏切ったおつやの方を恨む信長によって、ふたりは長良川河畔で処刑されてしまったのである。

女城主おつやの方は今もなお現地の人々に親しまれており、城下町に行けば「女城主」を冠したお酒や御膳、スイーツなどが味わえる。風情があって写真映えする街並みなので、城に訪れる際に立ち寄ってみてはいかがだろうか。

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