見出し画像

淡路島には最古のお好み焼(=肉天)が今も残っていた_1

きっかけは神戸在住の友人、ヤギセイヤーさんからのメッセージだった。
「シャオさん、肉天がありました!淡路島です!」とのこと。
ええ?淡路島?
なんでそんなところに?
と不思議に思ったが、神戸市の品書きからはほぼ消え(言葉として残っているし、スジ焼という名で注文もできる)、高砂市ではおでんのジャガイモを入れた高砂肉天という町興し用にデフォルメされた形で残っているだけの料理だ。

おさらいすると、肉天とは屋台時代のお好み焼屋が提供する料理の一つだった。
東京の下町で生まれた時は主に牛天と呼ばれたが、関西では肉天という言葉で伝わっている。
料理としては小麦粉を溶いた生地を鉄板に広げ、そこへ煮たスジ肉と青ネギをのせて焼いたものに、上からソースを塗ったものだ。
また、重ね焼き方式だけでなく、混ぜ焼きで作る屋台もあったようだ。
その後、この料理及びこの料理の変化系の料理を全て含めて、お好み焼と呼ばれるようになっていく。

その肉天が高砂市のように変容することなく、プリミティブな形で淡路島で食べられているという。
インターネットタウンページに掲載された淡路島のお好み焼店の総数は、淡路市16軒、洲本市19軒、南あわじ市15軒の合計50軒。
ヤギセイヤーさんの情報とセレクトを基に、老舗と思われる店を7軒訪れることができた。
訪れた店ではどこも、肉天という料理を提供しているか、品書きになくても「肉天ってありますか?」と訊けば「はい、肉天ね~」と焼いてくれた。
ただ、一般的には失われつつある食文化のようで、南あわじ観光協会の女性スタッフに肉天について訊いてみたが「にくてん…ですか?ごめんなさい、わかりません」という返事だった。

結論から述べると、肉天が今も食べられているのは昔、漁師町だった場所だった。
僕は「古いお好み焼は漁師町に残っている」という仮説を立てているが、それが補強された形だ。
愛媛県松山市の三津浜周辺も、岡山県備前市日生町も、広島県福山市鞆の浦も昔からの漁師町で、古いお好み焼店が残る地域だ。

なぜ漁師町に古いお好み焼が残るのか。
僕たちは典型的な思い込みで、漁師は日々自分で獲ったおいしい魚を食べているに違いないと考えてしまう。
獲った魚を刺身にし、日本酒を飲みながら食べているイメージだ。
だが実際は違う。
そもそも魚は商品だし、魚にまみれて仕事していると、魚に飽きるのだ。
もちろんいい魚が獲れれば食べることもあるだろう。
しかし、彼らが日々食べたいのは和食以外の料理だ。
さらに深夜または明け方に船を出し、朝、港に戻って選別や出荷をするので、仕事が終わるのは昼過ぎ。
昼ご飯が彼らにとっての晩酌になる。
この時に人気だったのが肉天で、洋食と呼ぶ地域も多い。
肉天=洋食なのだ。
そして日本酒ではなく、ビールを飲む。
戦前及び戦後復興以降は、これが漁師たちのささやかな贅沢だったのだ。
そのため漁師町のお好み焼店は酒場っぽいところが多く、酒のアテなのでボリュームが少ない。
原爆からの復興ビジネスを目当てに全国から集まった若者の腹を充たすため、ボリュームアップした広島市内とは全く異なるお好み焼文化なのだ。

では、具体的な店を紹介していこう。
訪れた順に記述するが、最後の店が一番の大発見だった。
飛ばして読む人は最後だけでも読んでほしい。

かまだ

奥に見えるベージュの建物の1階が店舗
品書きを見る限りでは大阪市の混ぜ焼きしか出していないようだが…

湊漁港の近くにある店で昼営業は日曜日しか行っていないが、店を除くと女性店主がおられてお話を聞かせてくださった。
創業は昭和28年前後(1953年)で、二代目とのことなので大変な老舗だ。
昔は昼から通し営業でやっていたが、高齢になったので日曜日だけ昔と同じ通し営業で、平日は夜だけでやっている。
品書きを見る限りでは混ぜ焼きの店のようだったが、書いてないだけで注文すれば肉天を焼いてくれたかもしれない。
まだこの時は淡路島における肉天の立ち位置がわかっていなかったのだ。
また、店の斜め前にもお好み焼店があるので「お好み焼は人気あるんですね」と訊くと「元々はうどん店だったけど、ウチが繁盛してるのを見てお好み焼に変えたのよ」と教えてくださった。
今では静かな住宅街だが、かつては漁師たちが大勢いたのかもしれない。
店の前には5-6台は停められそうな専用駐車場が用意されていた。

クルーズ

上記の「かまだ」から500mほど南下したところにあるシーバというショッピングモール内にある、平成7年(1995年)創業の比較的新しい店だ。
事前調査で肉天がメニューに記載されていることがわかっていた。
基本は混ぜ焼きの店だが、肉天には「レトロ風うす生地お好み焼」と説明書きがあった。
淡路島での1軒目ということもあり、肉天と豚玉を両方頼んでみた。

肉天
豚玉

見た目の違いはほとんどないが、肉天は重ね焼きで、豚玉は混ぜ焼きになっていた。
肉天は玉子の味が支配的で、1個以上は間違いなく使われていた。
玉子は昭和30年代までは非常に高価な食材だったので、それよりも古い時代に成立した料理である肉天に玉子は入らない。
つまり、この店の肉天はかなりデフォルメされていると予想できた。
玉子以外にはキャベツ、紅生姜、豚肉、コンニャク。
豚玉にもコンニャクが入っていたので店主に確認してみると「自分がコンニャク好きな上、母が作るお好み焼には竹輪とコンニャクが入っていたのよ。」とのこと。
元々混ぜ焼きの店で、肉天は提供していなかったが、福良地区(淡路島の南端で徳島へのフェリーが出ていた地区)に住む馴染みの社長が作れと言うので始めたそうだ。
店主曰く「肉天が好きなのは福良の人だから私はよく知らないのよ。昔の肉天はキャベツとソースだけだったのかもしれないけれど、ウチは今風に作ってるのよ」とのことだった。

なるほど、肉天が好きなのは福良地区の人という情報が得られただけでも嬉しかった。
事前に下調べして訪れようとした7店中4店が福良地区なのだ。
続いて福良地区の肉天事情について報告しよう。

次の記事へ

投げ銭(サポート)は超嬉しいですが、いいね!やフォローも大変喜びます。賛否は関係なく、SNSでシェアしてくださるともっと喜びます!!! ご購入後のお礼メッセージは数が多くて難しくなりましたが、またいつもの○○さんが読んでくださったんだと心の中で大いに感謝しています!!