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私がTwitterからNoteに流れた理由 ② 〜何故意見の相違を認められない?〜

(“私がTwitterからNoteに流れた理由①“  https://note.com/xiaozhusunnie_77/n/n2433ff8082c8 の続きです。)

例えば、”国際交流” という言葉にピンと来ないと言ったAさんがいたとします。

*個人の特定を避けるため、”国際交流“は、他の言葉から置き換えております。

そうすると、それに対して賛否がわき起こる訳ですが、ただの意見の相違なのに、”あの人はなんだ!国際交流の夢を持った若者の夢を壊すなんてけしからん!”位の勢いにまでなる人が出てきます。

私自身も、外国語を使って、いわゆる”国際交流”をすることが目的だとはあまり考えたことはありませんが、そのようなアプローチをしたい方はそれもアリだと思っています。なのでAさん派もAさん否定派も、言い分はそれぞれ一理あると思います。

ただ、世の中には、一つのことに対しても異なる概念があって当然だと思うので、Aさん否定派がなぜそこまで怒るのか、どうにも理解ができないままです。

もっと理解できないのは、合わなければ黙ってミュートなりブロックなりすればよいところ、わざわざ、”フォロー外した“と他の人へのコメントという形とはいえ公言することです。

ここ最近の暑さも手伝ったのでしょうか、他にも似たような争い事がいくつかあり、だんだんと、人のネガティブな部分を目にした影響が、自分の心理にもじわじわ響いてきました。

(ちなみに、上記の件については、自ら”夢を壊された!”と他の大人に泣きつく若者の方もいらっしゃいましたが、個人的にはそんな若者には、現実を語る大人を超えるべく、自分の考えを持って突き進んで欲しい派です。厳しすぎでしょうかね…。)

(続く)


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