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「発言」が苦手だった子どもが自信を取り戻したきっかけのお話。

小さいころの私は兎にも角にも「発言」することが苦手だった。いま思い返してみると、原因が大きく2つある。

ひとつは、母国語ではない外国語を話すことに対する罪悪感。大人になった今でもちょっとしたトラウマなのだが、日本語を話す私を姉が「売国奴」と罵った。その言葉が強烈で、弱冠5、6歳だった私は「話す」ことにとても臆病になった。

もうひとつは、「大人の顔色」を窺うきらいのある子どもだったからだ。小学校への入学まで、私は両親とは離れて暮らしており、親戚の家に居候させてもらっていた。その感覚が根強いためか、「大人の顔色」を窺いながら「大人の求める言動」をとることが、あのころの私にとっては世間を生き抜く処世術。だから、「自分の意見」を求められることは好きではなかったし、苦痛だった。話さなくて良いのであればそれに越したことはないとも思っていた。

「意見」という言葉の意味を少しだけ補足すると、ビジネスシーンでよくある「課題」に対して求められる「意見」という意味合いよりも、「どんな食べ物がすき?」「どんなことがしたい?」といった「正解のない」「目的のない」会話で発生する自分の「意思」を提示する意味合いが強い。

今でも利害関係のないコミュニケーションで自分の「意思」を持つのは得意ではないが、幼いころの私はどちらも苦手だったと思う。ただ、あることがきっかけで少しだけマシな人間になれたのだ。


夏休み明けの登校日 無邪気に宿題を提出したら、次の日から宿題が増えた

小学校3年生の2学期。自宅の引っ越しに伴って、学校も転校することになった。転入手続きをするのに役所の窓口に座り、職員さんに「この周辺は小学校が3つあるんですよ、どの学校にします?」と、軽い口調で説明され。母親は間髪入れずに、「おうちに一番近いところにしましょ!」といって即決してしまった。ここでも私は黙って頷くことしかできなかった。しかし、この「選択」がのちに自分の人生において最も大切な財産のひとつになったことを当時の私はまだ知らなかった。(小学生6年生のときに、この3つの小学校が統廃合されて新設校ができたのはまた別のお話)

そして、初めての登校日。徹夜をして泣きながら終わらせた宿題たちをランドセルに携える。(以前、通っていた小学校の担任の先生は鬼厳しいことで有名で。振り返ると低学年にして尋常ではない宿題の量。宿題を忘れる、なんて恐ろしいことはできない)小学校によって宿題の内容も量も違うなんて夢にも思っていなかった私は、「宿題集めるぞー!」の号令が放課後まで一度もかからないのが純粋に疑問だった。

先生に怒られたくない一心だった私は、普段は絶対にしないであろう「放課後でお仕事中の先生に話しかける」というミッションを遂行した。

「これ、やってきたんですけど……」とおずおずと宿題を差し出すと、先生は何かを察したのか、何も言わずに受け取ってくれた。そして、自由研究でつくった工作の貯金箱は、殺風景なロッカーの上に展示されることになり。(ほかに提出者がいないので私の作品だけ、という物悲しい風景)

その日、先生はとあるグラフポスターを掲示板で準備している最中だった。みんなが読書したページ数を集計して月次ごとにまとめているグラフである。その時、転校したての見知らぬ場所で、前の学校と似ている唯一のものだ!と思った私は、「前の学校ではこんなものを……」とこれまたおずおず紙を差し出しだした。深い意味はない。単に「似ていることをやっている!」のが転校したばかりの自分にとって嬉しかっただけだ。

先生は、興味深そうにしげしげそれを眺め始めた。私が先生に差し出したのは、「読書記録ノート」だった。本のタイトル、著者、ページ数、一言感想を記録しておくもの。1カ月に◎冊、夏休みに◎冊、読みましょう、と宿題を出すためのものである。

そして、先生が一言。「これやりたいの?」

まさかである。私が返事をするよりも前に「これいいわね。ちょっと借りるわ」と他の宿題と共に回収された。驚くことなかれ。その次の日「読書記録ノート」がクラス全員に配られた。先生、仕事はやい。そこはかとなくクラスからブーイングがあった気もするが、私はちょっとした「誇らしさ」を感じていた。自分の伝えたことが相手に伝わったぞ!しかも、クラスの「ルール」を変えたぞ!私にとってとんでもない成功体験だった。

この体験によって、自分の学校や授業に取り組む姿勢が180度変わった。
自分の考えを相手に伝えることは怖いことではないことを知り、それがみんなにとってより良い結果につながる。先生に導かれながら、いつのまにか「発言」をがんがんする子どもに変化していた。いまの私を形づくる土台を、その担任の先生から多く学んだのだ。(この担任の先生、とっても変わった教育方法を実践していたようで、機会があればその詳細にも触れたい)


本を汚してなんぼ 3色ボールペンのすすめ

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参考)三色ボールペンで読む日本語

『声に出して読みたい日本語』シリーズで著名な齋藤孝さんの本。小学校4、5年生の時に「3色ボールペン」が流行り、授業の七つ道具としてクラスにも導入された。

本を汚すのが嫌なかたもいらっしゃると思うが、読書をする際には、ぜひこの「3色ボールペン」を片手に臨んでほしい。実体験ではない情報の応用は、インプットだけでは成し得ない。明確なアウトプットが必要である。その練習を行うに「3色ボールペン」はもってこいである。

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3色ボールペンをつかった読書法。(詳しいことを知りたいかたは齋藤さんの本をご一読ください。もしくは前田さんの『メモの魔力』も良いかもしれません)それは上記のように、色別にマーカーを引きながら読むこと。普段、思考をしながら本を読む癖がついていないかたはこれだけで、インプット率が格段にあがる。

また、主体(作者・著者)と客体(自分)を分けて認知する練習にもなり、メタ認知を鍛えられる。余裕があるかたは、赤マーカーに対して反証をコメントする、緑マーカーに対して理由をコメントする、といったことをしても良い。

そして、これは特段、難しいことでもなく、小学生にも十分に対応可能だ。むしろ、子どもの頃から、思考の癖をつけたほうが良いだろう。


本を読むこと。それは。

家庭環境が少々変わっていた私にとって「本」との出会いは一種の救いであった。何よりも自分を取り巻く環境が、世の中の、人生のすべてではないことを実感できた。だから、未来に対して、大人の自分に対して、希望を持てたように思う。

本を読むこと。それは。

自分ではない誰かの人生を追体験でき、知らない言葉や文化、価値観に触れられること。また、複数の視点から語られる事実を知り、内から湧き上がる自分の思考を熟成させること。「思考」のつながりを通して、自分がこの世界でひとりぼっちではないことに安心すること。「過去」のつながりを通して、自分が確かにこの世界に存在しているらしいことを実感すること。

あの日、あの時、お声をかけていただいたA先生に感謝。



付録 読書記録ノートをダウンロード


ご家庭でも小学校でもご自由にお使いください~。使用報告いただけたら無駄に喜びます。編集・改変等はよしなに。素材の著作権にはご注意ください!何かリクエストあればコメントまで~。


プレゼンテーション1

素材)ポケモンイラストラボ

付録 小学生向け文学作品100冊マラソン

独断と偏見による100冊マラソンリスト
こんな基準で選んでいます↓↓
教養として大人でも楽しめるリストなので
挑戦してみたいかたはぜひ。

◎古典作品でありながらも名作と名高い
◎ミリオンセラー
◎ロングセラー
◎課題図書選出
◎私の趣味

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付録 社会人向け文学作品100冊マラソン

独断と偏見による100冊マラソンリスト
こんな基準で選んでいます↓↓
社会人なら一度は目を通しておきたい

◎明治期~昭和期の文豪をリストアップ
◎代表作
◎受賞作
◎私の趣味(これによるところが大きいです、すみません)

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Excelほしいかた↓↓


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