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舞台照明デザインのこと その4 デザインおける角度についての前提

前回までのおさらい

舞台照明のデザインには、強度が必要という話をした。
この点をもう少し追記しておく。
この強度というのは単に明るさとか派手さみたいな意味ではなく、デザインそのものが持つ強さ=作品に対してマッチしているかどうか。
が、一番大事だ。

おい、前回「美」とか言ってたじゃねえか。とか言わない。
舞台の世界ではその意味がどうあるかに関わらず、「調和」による「美」が貴ばれる。この「調和」ということが少し難しい。

これは和する。仲良くするということではない。その作品の世界が求めるものと相反するものや事を敢えて置くことで、バランスが取れる場合もあるし、そうでない場合もある。
どっちなんだよ。
そう、どっちなのかは、わからない。厳密にはデザインをする人の「美」の中にしかないので、他の人にはわからないことなのである。

前回までの話は何だったんだ。とお思いかもしれない。でも、これはとてもとても大事なことで、各々の技術的なことはさておき世界で唯一無二のデザインを作ると言うことは、自分自身の中にある「美」を他者に押し付けることでもあり、そこに強度がないと相手は飲み込んでくれない。だから、デザインに強度が必要なのである。

デザインと角度

コメント 2020-07-26 032941

前回、照明を対象物に当てる角度は大雑把に言うと、25種類しかない。と書いた。デザイン云々はおいておいて、25種類全部を点灯した状態だ。これだけの灯体を一人に向かって当てていると、

もうそれだけでかっこいい

気がする。

ぶっちゃけ気のせいである。よく覚えておいて欲しい言葉がある。
「透過光や光源は、それそのものがかっこいい」
つまり、これはデザインでもなんでもない。照明機材がかっこいいのであって、照明がデザインがいいわけではない。
はっきり言って、これはダサい。しかも、それは感覚的なことではなく、論理的にダメな照明である。

なぜなら、照明のデザインはそれ以前に舞台表現に寄り添うものである。
そして、あらゆる舞台表現は、「人間を用いて、人間存在を表し、観ること」がすべてであるからだ。

唯一、これが成立するかもしれないと思われるシチュエーションは見えざるべきものや、観ざるべきものがそこにあり、見せたくない時だけだと思われる。だとしても、それをわざわざ照明でやる必要はないと言っていい。

照明の原点とは何か

コメント 2020-07-26 033058

これは、よくあるサス明かりという明かりである。
ここでは、前からの照明は50%、真上からの照明が30%でつけている。
前からの照明で顔を見せながら、立体感がつくように真上からの照明を入れている。照明において、立体を立体に見せるというのは最低限必要な技術である。

僕が照明のデザインの原点だと考えているのは、この照明である。
見えるものが見え、演者に対して必要な明るさを確保しつつ、余計なものが観客の視界に入らない。まず、この概念がとても重要である。

そのバランスの取り方や美しいと思うものは、人によって違うので、ここで上げているデータは僕が美しいと考えるもの。で、あって万人がよい。というものではない。言い訳めいているが、繰り返し言う通り、唯一無二のデザインを作っていくということは、人それぞれの好みがあり、それと作品が求めるものが合致して、初めてデザインとして成立するということを覚えておいてほしい。

また、ここから先も今回登場していただいた銀色の女優(もしくはダンサー)に対して、どういう風に照明を当てるのか。ということを中心に話を進めていく。それはなぜか、ということについては一旦この女優に当てる照明についての説明が終わった後のシーンについての項で話をする予定である。

今日はここまで

本当に遅々として、進まなくて申し訳ないが、毎回に詰め込めるには限界がある。今回は、もう少し具体的な話をするつもりだったけど、先にダメな例が出来てしまったので、次回からはいくつかのパターンを作ってみて、それについての解説をしていこうと考えている。

今回もここまで頑張って読んでくれてありがとう。

次回以降は準備が多いので、更新が滞ると思うけれども、応援してくれると頑張れると思いたい。

それでは、また。

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