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自分の使命について考えた。あるいは演劇で出来ることを考えている。

なんかやっと目が醒めた気持ちになった。

つまり、今までやってきたことだけではもう手詰まりになっていることを直視して、しっかり身の回りに居る人を守る方法にシフトしていかなくてはならない。

 過去に僕が取った手法はどれもこれも失敗していて、その原因はお金を外から集めようという手段を使ったということだ。

僕たちはコンテンツを作る能力があり、しかしそのコンテンツは公益に使いたい。
なので、簡単には売りたくないし、出来ることであれば社会で役に立つ方法で使ってもらいたい。
そして、「僕たちがやるべきこと。」という枠はなんとなく自分で課した枷でもあるので、その枷から見直す必要がある。

僕らは演劇を生業にして、それを使って大なり小なりの稼ぎを得て生計を立てている。ただ、それはterraceという団体が当初目指したものと少しだけ違ったものになっているのは事実だ。

 terraceという言葉に込められているのは、まさしくterraceのように人が寄り集まり活動が出来る。

そして、そこでは生活に安心が伴うものになっている場所という意味合いも込められている。誰かのひさしになったり、そういうことだ。
 今は少ないメンバーをどう活かしていくのかと言うことに終始していることが否めない。パイの大きさには限界があるが、パイを分けることでパイを作れる人が増やせるかもしれない。

 上演そのものが制限されている中で、僕たちは上演以外の形態で演劇が社会に役立つ方法というものをもっと深く模索しひろめていかなくてはならない。簡単に書いたけれども、これは簡単なことではない。
そもそも演劇というものは同じ時間と空間に演者と観客が存在することによって行うものであって、そこをセパレートしたら演劇としての肝心な一意を失うことになる。それを飛び越えるコンテンツを作らなくてはならない。
そして、それがいくつも必要になってくる。演劇というものが大きく変化していく時間に私たちは居る。

ここでとても大事なことが一つある。


持っているパイを配る相手を見つけなくてはいけないし、またパイを共有してくれる相手も探していかなくてはならない。また、同時にこういったことを広めていくための手が必要になる。つまり、今のterraceの資産や資金では出来ないことをしていかなくてはならない。

演劇を使った教育や演劇そのものを維持していくための大きな団体を作っていく必要も出てくると思う。


これは集団が参加するものではなく、個人が参加するものだ。いわゆるユニオン的な機能もあり、同時に業界として社会にメッセージを発せる団体だ。
こういったコロナにおいて、関係性のパラダイムシフトが起きている中で着々と準備をして、演劇の実演家や演劇を使ったワークショップを行う者たち、そして、スタッフたちに広く門戸が開かれた団体を作っていく必要がある。

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コロナウィルスというものが席巻している中で、この事態がどうしたら収まるのかということの先も見えない。

大方の予測では第二波も訪れるという。そうなったときに私たちが出来る対策を考えなくてはならない。
空間的に他者と距離を取ると言うことが、他者との社会的な距離を遠くすることではないということを証明しなくてはならない。そして、人には他者が必要である。という演劇の不文律こそが、このコロナ時代を乗り切る大きなヒントになるはずだ。

こんな長文の檄文めいたことを書いても、誰にも賛同は得られないかもしれないが、今ここにこれを記す。
そして、これらのことを実行していくために、terraceの代表ではなく、伊藤馨個人として出来ることから地道に積み上げなおすことから始めようと思う。

今まで、演劇原理主義とでも言うような演劇との関わり方しかしてこなかった自分に何が出来るかわからないが、今から始めようと思う。
その決意をここに刻む。


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