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日々の中で見出せる、何かを求めて



「これでいいではなく、これがいいと思ったものを、選びとりなさい」と誰かが言っていた。

そう、幸せになるために、この道を選んだ。
私自身の、幸せのために。

けど、選んだからには、私だけでなく、関わってくれる人が幸せになれるような。
そんな、そんな日々にしたいとどこかで願っていた。
今年は、そんな年に出来たかしら。


この場所がいいと思って生活しているのか、この場所でいいと思って生活しているのか、わからない。どこを目指して、何を求めるのか、その指針で時々、価値観は変わると思うから。
でも、今広がる私の世界、日常は尊くて、この場所も、私にとってあたたかくて。

これ以上の何かを求めるよりも、今の場所から見出すことが出来れば。
そんな私に、ずっとなりたくて。

電車の外の景色に、職場に行く道すがらに、仕事中に、仕事終わりの夜に、休みの日の朝に。感じられる日々の喜びは、見つけようとすれば数えきれないほどあるような気がして。

冷たい朝の空気は美味しいとか、見上げる空はスッキリと青く広いとか、落とし物を拾ってあげた人がいたとか、本の世界のページをめくる手とか、メニューを見てなやむ心のうちとか、子供に手を振るお父さんとか、待ち人を待つ人とか、いいなと思う場面。
愛おしい、人々の些細な日常。

誰しもに存在するそんな日常の一場面の中で、優しくてあたたかいものを、見つけられたら。
自分にも、人にも存在するかけがえのない日々の幸せを、見逃すことなく、感じられたら。


答えの出ない問題が、頭の中をぐるぐる巡る。
ならばいっそ目の前の物事に、視線を注ぎたいと思う時がある。
目の前のものから、段々と視野を広げて、生きる世界の喜びを見つけていきたいと。


たくさんの人に出会うことが、磨かれるということなのだとしたら、今は磨かれるチャンスを、神様がくれたのかもしれないと。
だとしたら良い人もそうでない人も自分にとっては感謝の存在だと、思える見方をしたい。

そんな風になりたくて、今年は生きてきた。


本当に、楽しかった。
毎日、私は本当に、楽しかったのだ。

本当に、よく笑っていたし、毎日を楽しんでいた。時に悲しみ、不快だったとしても、毎日よく、笑っていたのだ。自分が思うよりも、周りの人に、そう言われたのだから。
ひとり悩んだ夜も、恋人と歩く誰かを羨ましく思った日も、疲れが溜まった日も、私は、笑わない日など、なかった。
一部の思考が、よくない方に行ったとしても、帰れば笑っていられる場所があったし、それでいいと思える人たちと共にいた。

本当に平和に過ごせた一年だった。
お世話になった人に感謝を込めて、どうか来年も良い年でありますように。
しあわせな時間が、心を優しく包み込みますように。

2018年も読んでくださった方、ありがとうございました。

みなさま、どうぞ良いお年をお迎えください。


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#2018年の終わりに #良いお年を

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