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香港──直都のネオンはかく語りき

 かつて大英帝国の時代に栄えたこの都の一番の問題は、その人口に見合わない土地の狭さだった。
 この地に流れ込んだ中国人の生命力は、この土地問題を解決するために、ひたすら上に上に都市の増改築を繰り返し、そしてそれでも余りある生命力はネオンサインとして横へ横へと伸び続けた。
 しかし2000年代に入り、中国大陸が21世紀社会主義の名のもとに現代化され始めると、あの生命力に満ち溢れた香港も14億の荒波の前に徐々に「現代化」されていった。
24年の冬、私はまだ香港の街角に残っているだろう、上へ上へ、横へ横へ拡張されていった香港人の生命力の残り香を探すために、中華人民共和国の特別行政区である香港の地へと降り立った。

茶餐厅の椅子に抱かれて

香港の街角。

 昼前に羽田空港を飛び立ったキャセイパシフィックは、徐々に高層マンションがそびえ立つ海岸線に近づいていった。実に8ヶ月ぶりの中華圏である。
 機外に出ると、2月にしては「涼しい」という言葉の似合う、南国旅情もわずかに感じる繁体字の世界は、あの懐かしい中国でありつつも、新たな世界という気分にさせた。

こういうところに泊まると限界旅行ではなくバカンスのような。

 空港を出てまずはホテルに向かう。香港の各島をつなぐ長大な橋をいくつか経由するとあっという間に高層ビルのひしめき合う市街地が見えてきた。
 今回宿泊したのはマンダリンオリエンタルホテル。香港ではかなりの老舗ホテルであり、開業時期といい東京のオータニと似たようなポジションなのだろうか。ロビーは古めかしいホテルなだけあり、少し狭いながらも重厚感あふれる設計。一方、客室は比較的余裕ある天井高と、壁一面を窓のする設計のお陰で非常に開放的なムードになっていた。

屋台でもひと際存在感を放つ。

 ホテルで少し休憩した後に外へ散歩に繰り出した。高層ビルに囲まれた市街地を歩いていると、ビルの隙間の階段に小さな雑貨の屋台などが所狭しと並んでいる。海外の観光客向けだろうか、もう過ぎた旧正月飾りなどを売る店もちらほらと存在している。しかしこの雑貨街は非常に面白い、土産物店ばかりではなく、ボタンだけを売る店や、簡単な電化製品などを治す屋台など、観光と日常が雑多に折り合っているのだ。
 階段を登りきって、他の道からホテルに向かって戻る。今度の坂道は先ほどとうって変わり、地元向けの青果市場が広がっていた。あいにく時期が悪く、ライチなどはなかったがそれでも南方の新鮮な果物が所狭しと並んでいる。その近くでは肉製品が吊るされた屋台があったり、豆腐料理を扱っているような惣菜屋があったりと、まさに香港市民の台所のような様相を呈している。

 青果市場を抜けるとすっかり日も落ちかけ、夕食を取るにはちょうどよい時間になっていた。初日の夕食は香港名物の茶餐厅で摂ることにした。
 茶餐厅といえば、私が思い出すのは専ら北京の記憶に尽きる。大学近くにあった香港料理の店は、まさに茶餐厅を再現したもので、中華式の甘い叉焼を混ぜたとろっとしたオムレツを御飯の上に乗っけた料理や、オイスターソースで炒めたもやしなどは、味の割に安くて何かと重宝していた。

まさに「こういうのでいいんだよ」

 幸いにもホテルへの帰路に茶餐厅があったのでそこに入る。明らかに地元民向けだろう店内では、背もたれが直立した赤いソファのボックス席でたそがれながら夕食を摂る地元民らしき客と、テレビを見ながら調理する店主、注文を取っているのは奥さんだろうか、一体感があるようでないような、いかにもな場末の中国都市という風合いだ。
 注文したのはもちろん香港式オムライスとオイスターソース炒めの料理。物自体のハズレがあまりない作りからか、あの北京で食べたような「不错」な味わいだった。

ネオン、そして「香港の夜」

シャコ。日本とは桁違いだしハサミで切る豪快さが良い。

 2日目は1日使ってマカオを散策、話はマカオから帰ってきたあとから始まる。午前から出かけてきたわけだが、案外マカオという都市は大きいわけではなく、夕方には香港に戻ってきた。
 この日の夕食は同行者のリクエストで、香港名物のシャコを食べることにしていたので、ホテルで少し休んだあとに、シャコで有名な市内の店に向かう。日本よりかはやる気のない生け簀に迎えられ店内へ。シャコで有名なだけあり、出てきたシャコは日本では見たことのない大きさのもの。二尾のシャコと他にもいくつか注文したが、値段の割にボリューミーですぐに満腹になった。

旺角エリアのネオン。

 食後は腹ごなしに香港のネオンがいまだ残っているエリアに向かう。地下鉄で数駅ほど移動すれば、あっという間に旺角エリアだ。
 やはり有名なだけあり、もうすでに殆どのネオンがないにも関わらず、この僅かな看板を目当てに多くの観光客で賑わっている。記念に何枚か撮影したあと、徒歩圏内の金魚街、女人街を散歩する。

軒先に金魚。

 金魚街はもとはといえば、動物用品を扱ったりする専門店街らしいが、袋詰めにして軒先に吊るした金魚の姿がフォトジェニックだと評判になり、昼間は多くの観光客で賑わうという。しかし夜は蛍光灯の明かりで金魚が照らされ、妖艶な雰囲気になる割にはあまり観光客の姿は見当たらず、落ち着いて何枚か撮影することができた。 続いて訪れた女人街は、なんというか今風のお土産街という感じだ。大陸本土の猥雑な土産物街を想像すると少し幻滅してしまうというか、所謂「怪レい」ものがそこまで溢れていないのだ。バックパッカー全盛期の、「妖都」とも称された怪しさはもはや存在しない、「現代化」された中国が見事に輸出されたのだと感じざるを得ないメインストリートだった。

 よくよく調べてみると、どうやらほそぼそとネオンが生き残っているエリアがもう一つあるらしい。地下鉄で二駅ほどの場所の向かってみると、先程までとは全く違う街が姿を露わにした。

メインストリートにはないタイプのネオン旅情。

─地元住民相手の軽食屋台が雑多にひしめき合い、体に墨を入れた現地住民だろうか、が酒を煽る。一応チラホラと欧米人の姿は見えるが、大体が現地住民の憩いの場となっている奥まった市街地の端には、一応営業しているのだろう、古びた薬屋(?)の軒先にネオン看板が伸びている。その通りを歩くと、水商売らしき女性を妖艶に照らすネオン看板がビルの鏡面に反射しており、まだあの「妖都」の残り香をわずかに残していた。─

骨董、そして大英帝国の遺産

まさに大英帝国がもたらした発展の集大成だろう。

 昨日はだいぶ夜まで1日中歩いたので、ゆっくりとホテル近くの市街地を散策する。そして午前は今回の旅の目当てである香港の骨董市を訪れることにした。
 一応話によると、香港の骨董市の規模は北京・上海についで大きいという。特に西欧骨董や清王朝や民国時代に海外向けに製造した青磁器などがそれなりに出回っているという。

こういうふうに収まっているのは北京や上海とは異なる感じがする。

 というわけで実際に向かってみるが、確かにその手の「王道」な骨董品はそれなりに充実している印象を受ける。一方で人民共和国時代の骨董(特に紅色収蔵と呼ばれるもの)は数えるほどの店しか扱っていない。しかしあるところにはあるのが掘り出し物。海外との交流も盛んな都市だからか、北京だと少し珍しい英文が刻まれた毛沢東像章などを中心に幾つか購入した。
 昼食を挟んで午後は香港の沿岸部を散策する。香港市民の足、スターフェリーに乗って対岸に向かうと、英領時代の税関(?)を改装したホテル併設のカフェがあったのでそこで休憩。まさに英国式のティーセットを提供するこのカフェでは、サックス奏者による演奏も何度か行われており、店内も程よく微風が吹いてとても涼しく居心地が良い。香港といえば当然中華圏のイメージが先行しがちだが、ここは明らかに古く良き大英帝国時代を思い起こさせるには十分だった。

 すっかり夕方になり、ちょうど日没タイミングを狙いつつ、香港市街地を見渡せるビクトリアパークへと向かう。途中パークへ上がるケーブルカーの列に夕食の予約に間に合うか不安になるも、思ったよりあっさりと進んでちょうど日没と同時にパークに到着した。
─香港の夜景は「100万ドルの夜景」と形容されるが、実際に見てみるとたしかにこれは非常に賑やかな夜景だとわかる。建物がとにかく垂直にどんどん伸びていく様が手に取るようにわかるこの景色は、まさに香港が大英帝国時代に金融の中心地として発展したことを再認識させる。これに近しい都市が上海夜景だろうが、あれが改革開放の遺産なら、これはまさに大英帝国の遺産だ。─

 帰りはタクシーで一気に丘を下ることで夕食には余裕を持って間に合った。伝統的な広東料理の食事は、滞在中最後の夕食として十分丁寧な料理だった。

モンスターマンション、香港人の生命力

ひたすらの凹凸が美しい。香港のモンスターマンション。
この真ん中の色が良いアクセント。

 旅行最終日の朝、飛行機が夕方に出発するので午前中に近年香港で話題になっている「モンスターマンション」へ向かうことにした。

 このマンションはコロナ前の一時期は観光客の立ち入りが禁止されていた時期があったものの、最近は観光客向けに開放しており、現地住民の生活空間であることに留意して観光することができる。
 地下鉄で10駅近く移動し、駅から少し歩いたところに目当てのマンションがある。雑居ビルのような入口を入ると、すぐにマンションの名物である中庭だ。

人工物は空をも縁取ってしまう。これが香港人の生命力なのだろうか。

─たしかにこのマンションは観光地になるだけはある。所狭しに並んだ窓がズッと上へ伸びていくさまは、香港の人口密度を象徴しているようである。中庭の真ん中に立つと視界の四方をビルに囲まれ、確かな圧迫感を感じる。─

しばらく滞在し写真を撮ったあとは、マンション前の停車場から路面電車でホテルまで戻る。イギリスの二階建てバスならぬ二階建て路面電車まであるこの香港では、やはり初めて訪れるならこの二階建て路面電車を使うべきだろう。
──細い階段を上がり二階に上がると、オープントップの二階席が姿を表す。動き出すとこれまた南国のような少し甘いそよ風 身に受けて気持ちがいい。なにより軌道の左右は壁のように高層ビルが立ち並び、看板が多く横に伸びている。まさにこの眺めは「直都」と呼ぶにふさわしい。──

 ホテルをチェックアウトし空港へと向かう。市街地を離れて橋を渡ると、縦へ縦へ、横へ横へ伸びた街が香港島の中に詰まっている景色が徐々に遠ざかっていく。今にも雨が降りそうなどんよりとした雲が上を覆う香港の姿は、どことなく「現代化」されつつあるようにも感じた。(了)


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