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ハガキの中の2023─年賀状と夜は更ける

 スーパーや書店でインストアレンジのクリスマスソングが流れる頃、毎年恒例となっている年賀状の入稿が終わった。ここ数年はいつもクリスマスの時期に年賀状が届いては、宛先を確認して本局に持っていく準備をするのが定番になりつつある。

 しかし今年は年賀状の宛先が一気に多彩になったな。従来私の年賀といえば同級生が中心だったが、今年はお世話になった諸先生方や新たに知り合った方々を中心に、宛名欄を通じて世界が広くなったことを実感した。

 今年を思えば、中国にいた頃は悩みの連続だった。あれはまだ雪の積み残る東北部を行く夜汽車の中。限られた大学生活を研究に使いたいのか、実学に使いたいのか。悩んだ末の結論は日本に戻って専門分野の研究へ歩みを変えることだった。
 
 進路を変える決断をした頃、38時間人民鉄路に揺られ新疆に行くことにした。同部屋のおじいちゃんは産まれが新疆だという。わざわざこのご時世に寝台に乗って新疆に行く外国人が珍しかったのだろう、2.3質問をして、満足そうにすると一面の砂漠が広がる車窓をじっと眺め続けていた。時折「あれは高速鉄道を作っているところなんだ」と誰に聞かせるわけでもなく呟くその姿に、中国という国で幾度と感じた居心地の良さを再確認した。
 北京から戻る前、一回くらい南に行こうと雲南省は赴いた。西双版納の夜市からホテルに帰る時、三輪バイクの運転手は「この距離は疲れるから行きたくないよ」と言いつつ、結局最後まで乗せてもらった。申し訳ないことをしたと思いつつ、純朴な優しさに、やはりこの国にいることの良さを感じた。

 日本に帰った後、多くの方の支援や協力もあって、無事に進路も決まり、私が向こうで得た経験を発表し、執筆する機会を多く与えてもらった。中国から戻ることを決めた時、停滞の一年になるかと思ったが、結論から言えば大きく飛躍した一年になった。
世界はより広くなり、私が自分のためにやっていたと思っていたことが多くの方のためにもなったという事実に、中国での決断は少なくとも今は間違っていなかったのだと感じた。

 年賀状を書き終えた後、10年来のひとと少し飲みに行った。一杯目は軽く、二杯目はギムレットを飲むことが多い自分だが、少なくともこの場にも、そして中国に対してもギムレットは早すぎる。
 動いて、悩んで、満足して、少しほろ酔いの中2023年の夜も更けてゆく。

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