見出し画像

南京──追憶の都市を往く。②

南京の隠し味

夫子廟周辺の町並み。物語の世界の中華が出迎える。

 南京という街ほど、歴史と観光を調和させた街はないだろう。彼らはその昔から、自らの都市が抱いた歴史を尊重し、それを外部の人が楽しめるように程よく隠し味を追加したのである。

南京のバー。ちょっと今風の店構えが嬉しい。

 隠し味には多くの物があるが、例えばそれがちょっとした良いお酒だったらどうだろう。南京でも有名な観光地、夫子廟周辺の煌びやかな通りに佇む一軒のバーこそ、南京旅行をちょっとグレードアップさせてくれる"隠し味"かもしれない。
 英語の方が得意だという中国人の店主が作ってくれるカクテルはどれも絶品。特にウイスキーサワーは酸味がちょっと強めに効いた、優しさを感じる南京で少し刺激のあるカクテルだ。

 「ちょうどこの時期は桜がとても綺麗でね」と語る店主。元々北京に住んでいたそうだが、どうにも北京の忙しなさに馴染めないさなか、この南京の人と風土に惚れ込んで移住したそう。都市部以外ではバーが珍しいこの国の南京で営むバーには、外で待つまでは行かないが、程よくお客さんが入っており、南京観光の良いオアシスとして機能していた。

涼しき孫文陵

孫文陵。階段の数も参観者の数も桁違い。

 記念館とバーに行った次の日、中国人の修学旅行生にとって清水寺のようなポジションだという、孫文陵を見に行った。
 孫文は新中国建国の父であり、中国の歴史観では辛亥革命を主導し、皇帝による封建社会制度を改新した偉人として、今なお崇敬されている。
 
 とはいえそのような孫文陵も、商魂逞しい中国人の手にかかれば、陵墓の入り口の目の前までケンタッキーが軒を連ねるような観光地に変化する。さながら清水寺の門前町のような眺めだ。

 孫文の陵墓内には氏の一際大きい坐像が設置してあり、その下に彼が眠っているのだという。写真撮影も立ち止まることも出来ないその空間は、日差しで少し汗ばむ気温の中で、厳かな涼しさを感じた。

売られる歴史、漂う歴史、そして追憶の都市。

中国の骨董市は日本以上にカオスな空間だ。

 最終日。相変わらずカラッとした陽気の南京でまず向かったのは、南京市内の骨董市。北京と南京が中国国内でその規模を争うというだけあり、まさに玉石混合と言わんばかりのさまざまな時代のものが叩き売られている。

アルバムが売られていた。これも一つの歴史だ。

 露天で呼び込みを続ける骨董商の中に気になる店を見つけた。腕時計などが置かれている中にひっそりあったのは、おおよそ南京近くに住んでいたのだろう。とある男性の写真集だ。生まれた頃から老後に至るまで、家族がいる描写があってもほぼ一貫して自分1人の写真が連続する、少し奇妙だが全く飾らない写真の数々。そしてそれに無慈悲にも値段をつけて売るというその市場のあり方は、まさに歴史そのものを売り買いすると言うに値する。
 ──ただ思ってみれば、被写体の男性が死しても、その写真に価値を見出す人がいれば、その人の歩んだ歴史は忘却されずに済む。見ず知らずの一個人の歴史にも価値を見出して、それを取引するという些か奇妙な光景こそが、この国の歴史を紡ぎ続けたのかも知れない。──

総統府の門の上には、今の統治者を誇示するかの如く国旗が翻る。

 午後は近代の南京を作り続けてきた南京総統府跡を見学。かつて南京は太平天国の首府が置かれ、辛亥革命を迎え南京臨時政府が樹立された。その後日本軍によりここは南京国民政府の首都として定められるに至る。この全ての行政府が置かれ続けたのが南京総統府なのだ。

執務室。近代中国の歴史はここで作られてきた。

 総統府の見どころはなんといっても各人の執務室だろう。歴史を作り上げてきた舞台の執務室は、その歴史には多少似つかわしくない極めてシンプルな作りをしており、ただその中に激動の歴史が作り上げた重厚な空気感が染み付いていた。

咲き始めの南京桜。

 総統府の執務室を見学し終わると、その総統府の園庭を見学できる。庭には日本統治時代の名残りだろうか、竹林ともう咲き始めた桜の木々が植っていた。かつて多くの歴史を作り上げてきた総統府とその庭も、今では市民と観光客が花見を楽しみ、各々が憩う公園のようになっていた。

 南京は中国の甘さも酸いもを包摂した、まさに歴史と共に生き、それらの追憶を一切押し付けることなく横たわらせるような、奇妙でありながら居心地の良い都市だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?