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【AZアーカイブ】新約・使い魔くん千年王国 第七章&八章 魅惑の妖精亭&薔薇十字団

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【第七章 魅惑の妖精亭】

夏の盛り、トリステインの農民は農作業に、町民は商売に勤しむ。貴族も平民も、夜になれば酒場に繰り出し、陽気に飲み騒ぐ季節であった。

その頃。松下の『魔酒』によって破産に追い込まれ、枢機卿にも見離されて名誉も杖も家屋敷も失った、トリステイン王国の元伯爵ジュール・ド・モットは、借金取りに追われ、死に場所を求めて深い山の中を彷徨っていた……今はただ、モットと呼ぼう。

「私の一生は一体、なんだったんだろう……。慌て、心配し、苦しみ……ただ利益を追求し、くだらない骨董品や古書を掻き集め……愛する妻に早く先立たれてからは、病気のように女漁りを続けてきた……」
豪勢な邸宅に住まい、平民の美女を山と抱えても、彼の心の渇きは癒されなかった。波濤のように次から次へと、言い知れない不安が襲ってきた。

「権謀渦巻く宮中で安全に生きるには、より多くのカネを得なければならんという不安が、知らない間に生きがいとなってしまって……本当の幸福とはなんだ、ということを考える余裕もなかった……」

照り付ける夏の日差しも、山の中では涼しく、森では小鳥が鳴き、草花が咲き乱れている。
「ああ、自然はいいなあ……こんな美しい花まで咲かしてくれて……。あー、死を前にして、初めて静かに自然を見た……」
ふっと彼の脳裏に、いままでの人生が走馬灯のように過ぎり、心の中に悟る事があった。
「人間はみな、『生きる』という不安から、知らない間に心の病気になっているんだ。こんなひったくり合う世の中でなく、もっと人間同士が温かく生きる世の中は、できないものだろうか……」

家もなく家族もなく、一人で人生哲学を弄ぶうちに、彼の心にはもう一つの考えが湧いた。
「悪魔のような債鬼どもに命まで取られないうちに、潔く死のう! 幸い、人もいないようだし……」

モットは、手ごろな木の太い枝に拾ってきた荒縄を括りつけ、身長よりやや高い位置で輪を作った。そして倒木を踏み台にして、縄の前に立った。
「心配になるものは、何もかも失った私には何一つない……いや、一つあった。偉大なる始祖ブリミルよ、どうか神に取り成して、私の魂を地獄に送らず、この美しい自然にお返し下さい……!」

穏やかな、全てを諦め切った表情で、モットは自分の首に縄をかけると、ヒョイ、と死出の旅路へと踏み出した。

しかし、ビリッと縄は途中でちぎれ、モットは死に切れず、ステンと尻餅をつく。「縄が弱すぎたんだ……」
命拾いした。始祖ブリミルのご加護だろうか。……とは言え、生きていてなんの甲斐があろう。全てを失い、借金まみれの中年の元貴族に、この先働く、生きる場所などあるのだろうか。

「いや、死ぬならいつでも死ねる! もう一度、女王陛下にご相談してみよう。これでも元伯爵で水のトライアングル級、それなりの地位には戻れるかもしれない……」
モットは襤褸を纏い、人目を憚りながら、王都トリスタニアの方角へ向けて歩き出した。

王都トリスタニア、裏通りのチクトンネ街。そこを歩くのは、ルイズと松下、それにアニエスだった。
「ねえマツシタ、そうは言っても、本当に平民として一ヶ月も暮らすの? ……私は気が進まないわ、陛下の勅命であっても」
「平民と言ってもピンからキリまである。粉挽きの娘も、巨大製粉企業の令嬢も、爵位がなければ『平民』さ。有り余るカネと人脈を使うなとは言われていない。ひとつ、ぱーっと城下町の再開発でもしてやるかな。あくまでも不動産経営・土木建築系企業を所有する一民間人として、だが」
「やめなさいよ!」

「まあ、それは冗談として、この辺りの武器屋と秘薬屋をぼくの部下に任せていたな。流通ルートはゲルマニアやガリアにもあるが、地産地消のために基本的にはトリステイン国内産のものを使用している。表通りのブルドンネ街に出しても文句はない品質だ。比較的値段も抑えてある」
「なによ、チサンチショーって」
「地元で生産されている物を、その近くの地域で消費することだ。通貨の地域外流出を防ぐ役割もある。規模を大きくすればブロック経済になりかねんから、他国との貿易も強化はされるべきだろうが」
「さっぱり分かんないわ」

三人はひとまず『ビビビンの秘薬屋』へ向かい、今後の方針について協議する事にした。そこへ、汚らしい身なりの中年乞食が現れる。禿頭で痩せ細り、鯰のような口髭はあるが、見るからに貧民である。
「もし、立派な身なりのお嬢様がた、おぼっちゃま。哀れな乞食に、どうかお慈悲を……」
ルイズは露骨に嫌そうな顔をする。金貨と銀貨は財布にあるが、ドニエ銅貨など持っていない。アニエスに出させて追い払おう、と思った時、松下が口を開いた。

「……なんだ、誰かと思えば、破産した悪徳徴税官のチュレンヌか。どうだい、清貧には慣れたかな?」
「おおお、これはメシヤ! お蔭さまで、生き延びておりますぞ! 貴方様の思し召しにより、貧民生活も悪くないと思うほどになりました。肥満は病気の元ですからなあ」
「嘘だッ!!」
ルイズがつっこむ。肥え太っていたという彼の体は、すっかり骨と皮だけになっていた。しかしその表情は今や晴れやかで、瞳も輝いている。まるで苦行僧のようだ。

「ははは、まあ過ぎたる苦行は及ばざるが如し。『魔酒』の毒とともにきみの罪業も尽き、よい顔になった。いずれぼくのタルブ伯領で取り立ててあげよう。秋まで待っていたまえ。……ではひとつ、平民なり貧民なりに流れている噂話を、少々聞かせてもらおうか」
「ええ、喜んで! こう見えても私は、このあたりの貧民窟では顔役になっておりまして。都下の飲み屋で出す旨い残飯ランキングから、女王陛下を巡る卑猥な話まで、何でもわきまえておりますぞ!」
ルイズとアニエスは眉根を寄せたが、任務であると考え直して表情を戻した。ずっと無口ではあったが。

ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人(民衆派ユダヤ教徒)で、もうひとりは取税人であった。パリサイ人は立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私は強請る者、不正な者、姦淫する者ではなく、この取税人のようではないことを感謝します。私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一を捧げております』ところが取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸を叩いて言った。『神よ! この罪人の私を憐れんでください!』この取税人は、義と認められて家に帰った。自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう。
――新約聖書『ルカによる福音書』第十八章より

一行は『ビビビンの秘薬屋』の二階で密談した。
「……なるほど、やはり女王=マザリーニ路線には、平民にも反対者が多いのだね。税金も高くなっているし」
「太后や女王は飾りのようなもので、実権は枢機卿が握って来ましたから。平民の血が混じっているという噂も、共感よりは嫉妬に通じているというわけでしょう!」
「いや、陛下は着実に政治力をつけて来ているよ。ぼくが保証する。いずれマザリーニが死ぬか引退すれば、彼女が親政を開始するだろう。まぁ、補佐は必要だろうが……」
見た感じでは、マザリーニの寿命はあと10年余り。それまでには千年王国を形にしておきたい。

そろそろ日が暮れてきた。ルイズとアニエスはしっかりメモを取り、チュレンヌの話を纏めている。件の『薔薇十字団』については、名前とチラシは有名だが実情は分からず、存在自体定かでないという。
「ところでメシヤ! 今宵はどこにお泊りで? まさか貧民窟にはお泊めできませんし」
「ブルドンネ街に宿を予約してある。資金は潤沢だから、一ヶ月ほど居座るつもりだ」
「そうですか。では再会を祝して、酒場にでも行きましょう! いままで溜め込んだ金銭をぱっと使ってしまいます! ねえ、お嬢様がたには、いい男が一杯の楽しい酒場もございますよ! うひひひひひひ」

「……どうするね? 東方産の茶やコーヒーを出す、カッフェという店もあるそうだが」
「……そうね、行ってみようかしら。酒場ほど情報が集まるところは、そうそうないわ! ダメそうなら、カッフェとやらへも行ってみましょうよ」

目的の酒場は、チュレンヌが徴税官をやっていた時からの馴染みだという。
夕方のチクトンネ街をしばらく歩くと、『魅惑の妖精亭』と書かれた看板が見つかった。

「あ~ら、いらっしゃあいチュレンヌちゃ~ん。今日は随分久し振りに、ぱりっとした恰好ですこと!」
「やあスカロン、久し振り。今日は可愛い女の子と、私の大事なお客様をお連れしたんだ。最高のおもてなしを頼むよ!」
「もっちろんよぉ! 張り切ってお仕事しちゃいましょ、妖精さんたち!!」
「「押忍、ミ・マドモワゼル!!」」
低く野太い漢たちの挨拶が店内に響き渡った。

『魅惑の妖精亭』。別名、『地獄の妖怪亭』。むくつけき漢どもが化粧を塗りたくり、きわどい衣服を纏って給仕する、その手の店である。亭主のスカロンも、いい体格の中年男だったが、大きく胸元の開いた紫のサテン地のシャツから胸毛を覗かせ、鼻の下と割れた顎に洒落たヒゲを生やし、黒髪をオイルでてからせている。強い香水をつけているようだ。

「魅惑の妖精たちのお約束! ア~~~ンッ!」
「「ニコニコ笑顔のご接待! 押忍!!」」
「魅惑の妖精たちのお約束! ドゥ~~~ッ!」
「「ぴかぴか店内清潔に! 押忍!!」」
「魅惑の妖精たちのお約束! トロワ~~~ッ!」
「「どさどさチップを貰うべし! 押忍!!」」
「トレビアン」

「…………さあ、ルイズ、アニエス、帰ろうか」
「ええ、ついでに火を放ってしまいましょうか。風紀を著しく乱しているわ」
「ちょっと銃士隊に連絡してきます」

ひとしきりチュレンヌを袋叩きにしたあと、三人は珍しく意見が一致した。

真夜中。人知れず国境近くの山野を彷徨っていたモットは、ようやく生きる目的を見出し、村里へ降りてきた。汚らしい襤褸を纏い、髭もじゃで垢にまみれ、拾った木の枝を、体を支える杖に突いている。

「ああ! だがこのままでは、わしは空腹のあまり死んでしまう! ……おおっ、家だ! やっと、人のいるところへたどり着いたぞ……」
しかし、この真夜中に貧民同然のモットを受け入れる家はない。誰も扉を開けようともしない。慈悲深い家でも、せめて銅貨やパンの切れ端を投げ与え、追い払おうとする。空腹と怒りの余り、モットはばったりと倒れこんだが、思い直してそれらを拾う。夜になるとゴミ捨て場を漁り、残飯を食べた。山で獲れる魚や小動物や、種類の知れない木の実の方がましだった。

「ああ……なんという残酷な運命だろう。杖も地位もない貴族は、こんなにも無力だったのか……。わし自身さえ、この身の上に起こった事実をいまだに信じられん」
杖さえあれば、メイジは優れた力を振るえ、貴族でなくなってもなにがしかの仕事はある。水なら医療関係者、風なら操船・通信業、土なら細工師・鉱山師や農業経営者、火なら鍛冶師や工業関係職。複数の系統が扱えれば更によい。コモン・マジック一つでも、魔法の使えない平民よりは凄いのだ。

しかし貴族は体面を守るため借金まみれである場合が多く、没落貴族も増えている。そうした連中は傭兵やテロリストとなり、食と職と世界の破滅を望んで戦争を引き起こす。もっと、もっと、もっと、もっと。馬鹿馬鹿しい、際限のない欲望が、どれだけ自分自身を、そして人々を苦しめているかを、モットは身を以って学んだ。戦争のみならず国境も、考えてみれば人類全体にとっては害悪なのではないか。いわば『公害』だ。

わしがもっと力を持っていれば、枢機卿だって女王陛下だってアルビオンだって、なんだってやっつけられるんだ!そして、苦しんでいる善良な人間を救う事だってできるはずだ!そうだ、神様でも悪魔でもいい、凄まじい力を持った存在が、こんなおかしな世の中をひっくり返してしまえ!

モットは、段々危険な思想に染まりつつあった……。

【第八章 薔薇十字団】

ここは不幸な人、幸福な人が何気なく行き交う、王都トリスタニアの中心地……。その奥にある寂しげなカッフェ(喫茶店)『再会』……。その片隅に、一人のみすぼらしい中年紳士が座っていた……どうにかトリスタニアに帰還し、拾い物で多少の身なりを整えた、元伯爵のジュール・ド・モットであった。

今は黄昏時。彼は先ほど王宮に行ってはみたが、あっさり門前払いされた。新しく制定された『治安維持法』により、アポイントメントなき客は教皇だろうと入れないそうだ。どうせ貧民同然の身なりのモットなど、アポがあっても無理だろうが。いよいよ臨終だ、火葬場だ、骨壷だ。終点は地獄、地獄だ。モットは再び、目の前が真っ暗になった。債鬼がわしを追っているだろう。モットは夏だというのに冷たい世間から逃げるように、このカッフェに身を潜めた。

「一番安いコーヒーを、ひとつくれ!」
コーヒーは彼の好物の一つだった。近年、茶とともに『東方』やサハラから輸入され、始めは薬であったが、やがて嗜好品として流行し、こうしたカッフェや中毒者も増えている。無論それなりに高価だが、下々の者はそこらの草の根を煎じて、ごく安価なコーヒーを作る。どうせその類の贋コーヒーだろうが、臨終を迎える前に1杯でよいから飲みたかったのだ。チャリンと拾い集めた4枚のドニエ銅貨を前金で支払う。これで一銭もなくなった。

しかし、深い溜息とともに絶望に沈むモットを、更なる悲劇が襲う。
あっ、それは僕のコーヒーです!
つい手を伸ばして啜ったのは、前の席に座る夫婦者の、夫の方の注文したコーヒーだった。
「!?……おお、なんという悲劇だ。誤って他人のコーヒーを飲んでも、弁償するカネもない……」
不幸な人はより不幸になり、貧しい人はより貧しくなる。それがこの世の中だった。

「ど、どうしてくれるのです。どないしてくれるんですかっ」
若い男は激昂して、立ち上がった。

モットは顔を伏せ、舌打ちした。
「チェッ……まったくのケチンボウだ!」
「ケチンボウ!? ケチンボウはあなたじゃありませんか! 人のコーヒーを飲んでおきながら! 中年の立派な紳士が、たった6ドニエのカネがないはずがありません」

なんて事だ、わしの注文したのより2ドニエも高い。もう文無しだと言うのに。この衣服を売れとでも言うのか、どうせ半ドニエにもなるまいが。
「……世の中を理解してないなァ。この夫婦はなってない……」
「なってないのは、あなたじゃありませんか! カネがないならそう言えばいいのよ!」

たかが数ドニエの贋コーヒーで、なんでこのわしがここまで、平民から金切り声で悪罵されねばならんのだ。モットはもう、気がおかしくなりそうだった。いや、気が触れてしまいたかった。

「……あんたたちは、そんなにこの哀れなわしを傷つけたいのですか!わしは、もう数日もすれば、飢えと絶望の余り死んでしまうのです!刻々と迫る、臨終の時を楽しんでいる人間なのだ……!こ、この苦しみに比べれば、た、たかが数ドニエの安い贋コーヒーを他人に1杯飲まれたからって……!」
わなわなとモットは怒りに打ち震える。もはや涙の一滴も出ない。

「あなた、この人、きっと○○○○よ」
「うん、なんだか様子がおかしいと思っていた」
夫婦者はその剣幕に恐れをなし、席を移って新しいコーヒーと菓子を注文した。

「……ああ、酷い世の中だ」
どうにか息を調え、モットは最後の晩餐ならぬ、末期の1杯を味わった。悪魔のように黒く、地獄のように熱く、この絶望と同じぐらい苦い。震えながら飲み終わると、ぐったりとテーブルに倒れ伏した。あとは死ぬしかない。

しかしそこへ、思いもかけぬ救いの神が現れたのだ。
「……ひょっとして、きみかい? やあ、久し振りだね、モット伯爵」
名前を呼ばれて、モットは憔悴し切った顔をゆっくりと上げた。小粋な身なりの、銀髪の壮年紳士。その顔には確かに見覚えがある。
「あっ、り、リッシュモン閣下!」
高等法院の院長、リッシュモンだ。どうしてこんな、場末のカッフェなぞに。

「こういった寂れた雰囲気が、結構気に入っていてね。まあ、高等法院の仕事のついででもある。民情に触れるのも、政治家や官僚の職務のうちさ。そうだろう?」「は、はぁ……」
「きみの窮状については、わしも良く知っておる。随分大借金をしたそうじゃないか。幾らぐらいだい? 少しカンパしてあげてもいいぞ、あんまり哀れげだし」
助かった。モットは心底安心したが、借金の肩代わりは流石にしてくれまい。ひとまずペンとメモ紙を借りた。

「あ、あの……元々の全財産がこれぐらいで、借金総額がこれ、それに利子がついていますから……うわぁあ、もうダメだ、わしは破滅です! いかに高等法院長閣下でも……!」

しかし、リッシュモンはあっさりとした口調で言った。
「ふーん、それなりだなぁ。うん、全額は無理でも、この程度ならわしのポケットマネーから出せるぞ。借金した金融機関はどこだね? 口を利いてやるよ。ここの勘定も払っておくから、好きな夕食を注文したまえ」
「え?」
「きみはトライアングル級の優秀な水のメイジ、このまま埋もれさせるには惜しい。わしには、結構なパトロンもついとる。きみが良ければ、紹介しようか? ……ここじゃまずい、ちょっと密談用の個室へ行こう」

モットは意外すぎる展開に仰天する。しかし、今まで黒く苦い絶望に沈んでいた自分には、悪い予感しかしない。
「あ、あの、パトロンってまさかそれは……アルビオンの『レコン・キスタ』では?」「……だったら、どうする?」
にやっとリッシュモンが笑う。

モットは目を見開き、最後の力を振り絞って答える。
「わ、わしも是非、参加します! たとえこれが、閣下の仕掛けた釣り餌、罠であっても構いません! 没落した貴族でも、手柄さえ立てれば国家の重職に……」

「果たして、そうかねえ。それにこの国を征服すれば、ゲルマニアやエルフとも戦うんだろ? たとえガリアが味方していたとしても、勝てるわけがない。わしは穏健派、平和主義者なんだよ」
ぐらりとモットの力が抜け、テーブルに崩れ落ちた。リッシュモンは個室にモットを運び込むと、彼のために軽食を注文してやる。

「わしが信用しとるのは、基本的にカネだ。坊主どもはとやかく言うが、奴らの方がよっぽどあくどく儲けとる。マザリーニ枢機卿がせっせと蓄財に励んでおるのも、万一王室から見離されても勢力を維持できるようにさ。大貴族の子女と縁戚関係を結んでいるし、今のところ権力基盤は安泰だよ」
個室に入ると、独り言のように、リッシュモンは裏の政事を語りだす。

「古い権威・道徳にしがみつく輩や、戦場で何万人と敵を殺す英雄も結構だが、それより平民の大富豪だ。現代の社会では、その人間がどれだけカネを稼げるかで、人間としての価値が決まるのだよ。人間はそのものが尊いなんて言うけれど、それはほんの上辺だけのことだからねぇ」
「そうすると、今のわしの価値は『ゼロ』かも知れません……」
モットが弱々しい声を出す。気がついたようだ。
「……従ってあの男は、『レコン・キスタ』には賛同すまい。この王国から充分美味い汁が吸える。賛同するのは、きみやワルドのような、没落貴族の類ばかり。奴らとこの国とどっちが正しいか、わしにも裁けんよ」

モットが改めて問いかける。
「で、では、閣下のパトロンとは……?」
「そうだな、ちときみを利用させてもらう事になるし、知っておいてもらわねばなるまい。では話そう、わしのパトロンは『レコン・キスタ』ではない。その名も『薔薇十字団』と言う、新教系の秘密結社さ。大陸各地のアルビオン王党派とも通じている」
「王党派と!?」
「そう。わしは別段どっちでもよいが、彼らはカネを持っている。わしは、彼らを通じて国外に情報を流している。無論、王党派にだが……」

薔薇は、テューダー王家の紋章のひとつ。モットの目の前が薔薇色になった。軽食も来た。
「で、では、トリステイン王国とも連携をとっては……この事が表沙汰になれば、閣下は逮捕されますぞ」
「そうもいかん。それに、彼らの全てが必ずしも王党派というわけではない。いまや国際的な秘密結社なのだ。王国政府だってその存在を知れば、うかつに弾圧はできまいがな。あの枢機卿も、案外隠れ会員かも知れんし」

トリステイン王国政府さえ手を出しかねる、かなりの実力を有する秘密結社『薔薇十字団』。それがリッシュモンの、高等法院長のパトロンだと言うのだ。

「起源は東方らしい。あのタルブ伯爵、異能児マツシタも知っておった。昔ゲルマニアやロマリアで流行しておって、20年前にはダングルテールにも布教された。しかしそいつらは『薔薇十字団』の中でも更に異端で、本部がわしに弾圧命令を下して来た。……しかも、時の教皇を通じてな」
「きょ、教皇!?」

「然様。ハルケギニア諸国の最深部まで、そいつらの勢力は伸びているという事だな。いわば内ゲバだったんだろうて。ただ、派遣した部隊の隊長が酷薄な男で、生き残りもなく焼き滅ぼしおった。なんでも、ロマリアに伝わる秘宝『火のルビー』を持って逃げた人物がいたらしいが……その隊長に捜させたものの、結局見つからなかったそうでな。まあ、仕方あるまい」

「か、閣下、話がなにやら、物凄くきなくさくなってきましたが」
「そうだな。まあひとまず、食事にしなさい」

とりあえず、モットが食事を終えるまで、リッシュモンは紅茶を啜っている。慌しい食事が終わると、再び話し出した。
「……王党派とは言うが、アルビオンの王室に仕えていたとあるメイジが、ゲルマニアの内紛を煽るため東方由来の秘密結社と手を組んでいた、という程度らしくてな。『レコン・キスタ』とは疎遠だが、直接敵対しているわけではない。学術的研究が主要な目的だ。幹部級には、ガリアやゲルマニアの上位メイジもいて、『錬金』で黄金を作り出せるとか」
「そりゃスクウェア級ですな、土メイジの……それならきっと、わしの借金も返せます」

リッシュモンが肯く。
「わしの目的も、東方の優れた錬金術だ。文字通りの、な。尽きざるカネと、不老不死の霊薬。それがあれば、なんだって出来るのではないかな?
とは言えわしゃ、それ以上は望まんよ。純粋な好奇心、学術的興味もある」
「ううむ……」

「しかし、この頃巷を騒がせている『薔薇十字団』のビラは、どうもおかしい。本部に問い合わせたが、口止めのつもりかカネほど送ってきて、なしのつぶてなんだ」
「つまり、贋者という事ですか?」
「分からん。わしの管轄区なのに本部からの連絡はないし、どうも妙なんだよ。ひょっとしたら、上層部で何か変事があって、活動が表立つようになったのかも知れんし……」
「あるいは、閣下が滅ぼされた異端の残党かも知れませんな……」

リッシュモンが、モットに顔を近付ける。
「そこでじゃ。例のマツシタも、今王都で『薔薇十字団』について調べておる。主人の小娘つきでな。わしがわざと、枢機卿を通じて女王陛下にビラをお見せした。何か動きがあるやも知れん。きみはあいつと因縁があるのだろう? ひとつ、協力してやってくれんか」
「え、わしが、ですか?」

「ああ。わしはちと今、女王と枢機卿に睨まれておってな。保身のためだったが、派手に裏金を動かしすぎたわい。きみなら、今はバックもないし、わしとマツシタのつなぎになれるだろう。あいつもかなり、枢機卿から危険視されておるしなぁ」

モットの顔色が、喜びで薔薇色になった。気持ち悪い。
「……分かりました。閣下の口利きで、わしの地位が回復されるならば」
「分かっておる。くれぐれも、枢機卿たちには内密にな。マツシタが今宿泊している場所を教えておく。それと、枢機卿の子飼いの部下のアニエスという女騎士には気をつけろ。今はマツシタのお目付け役をしとるが、どうやら個人的にわしの周囲を嗅ぎ回っておるようなんだ。一応アルビオン系の人間もわしの邸宅に出入りしとるし、『レコン・キスタ』とつながっとると思われても困る」
「はっ、承知いたしました! この大恩は、このジュール・ド・モット、子々孫々にいたるまで忘れませんぞ!!」

モットはリッシュモンからカネを受け取ると、安堵して気を失った。

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