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女優・美術家 中路美也子「偶然性が生み出す美の世界」 『暇』2022年11月号

2022年9月24日夕。どしゃぶりの雨の中、東京都内最大の暇人の魔窟・高円寺に降り立った中路美也子さん。女優・美術家として「偶然性」を力に変える、その人生の道のりを聞いた。(聞き手:『暇』発行人・杉本健太郎)

——Twitter(現X)で発表しているコラージュ作品が2022年7〜8月まで開催されたポーランド国際美術展に出展されました。2020年の第2波変異前の「初代」新型コロナで陽性になってホテル隔離されたと先日うかがいましたが、そのときの状況は?

第2波変異前、初代新型コロナに感染

中路美也子 Twitterのアカウントを開設したのが2020年5月なんですけど、新型コロナの陽性が発覚したのが7月4日のことでした。その日の朝10時に病院から「陽性でした」と電話があって。それで、7月6日から13日まで八王子でホテル療養に入ることになって。入れる療養所はその当時、両国のアパホテルか八王子の某ホテルしかなかったんですけど、指定されて八王子になりました。
 ホテル療養に入るその日、「5分後に行きますので外で待っていてください」って電話があって、家の前で荷物を持って待っていたらすーっと白い護送車が来たんです。運転席のドアが開いて乗っていた運転手さんが名前を聞かないんですよ。「中路さんですか?」とか本人確認がありそうじゃない? それがなんにもないんです。ただ「乗ってください」とだけ言われたから、それがなんだかものすごくゾッとしました。
 着いた八王子のホテルは、思っていたのと違ってツイン部屋で「こんないい部屋じゃん!」みたいなところでした。食事も、八王子の商店街の飲食店から和食も洋食もいろんなものを出してくれて、本当に良かったんです。1日3回、館内放送があって1階のロビーに取りに行くんですよ。
 その頃は夜の街がスケープゴートにされていたころで、そこの療養所にいた人たちは、本当にもうとにかくオーラがギンギンの人たちばかりで。きっと事務所に入っている俳優たちもいたと思うんです。私は全く食欲がない日が1日あって違和感を感じたくらいで、特に目立った症状はなくて。今だからこそコロナのことは言えるんですけど、初期は色々大変でした。でもまたとない経験をさせてもらったと思っています。
 2020年は1月にひとつ本番を終えたところだったんです。それがコロナ前の最後の公演で。それまでは年にだいたい3〜4本抱えていたんですけど、2月ごろから本格的に「あれ? やばいぞ?」っていう状況に入りましたよね。もともと私はSNSはぜんぜんやってなかったんですけど、二瓶龍彦氏(舞台演出家、『暇』創刊号参照)から「始めてくれると僕は非常に助かる」と言われて、それで2020年5月のゴールデンウィークにまずTwitterのアカウントを作ってそこから始めたんです。

すべては偶発のたまもの

——コラージュ作品の制作のきっかけは?

中路 舞台に出演して観に来てくださった方たちが花束を渡してくれるんですよね。その花束をいろんな角度から100ショットぐらい撮っていたんです。それをずっとストックしていたら、6年ぐらい使っていたスマホの画面を割っちゃったんですよ。でも、機種変ってめんどうじゃないですか? だましだまし使っていたんですけど、結局ショップに行って、修理も機種変も手間は同じということが判明して、ついに機種変しました。
 花の写真は「Googleフォト」にストックしていたんですけど、新しいスマホにダウンロードしていたときに、ふと「あれ? Googleフォトにコラージュ機能あるじゃん?」って気付いたんです。それでちょっとコラージュした写真をTwitterにあげてみたらすごく反応があって。ヴィオロンのライブの写真とかをコラージュして載せていたんですけど「もっとやりたいなあ!」って思って。それでよく見たら「Photoshop  Express」のお試し版がそのスマホに入っていたんですよね。作品を作り出したのはそこからなんですよ。
 制作はスマホで全部完結する形なんです。1回で40〜50パターン作るんです。ひとつに5分かからないんですよね。このことはポーランド国際美術展の文章にも書いているんです。

私の作品は、まさに偶然が生み出しています。
その作品たちのベースは花々です。
私は女優であり、一人のアーティストでもあります。
舞台公演で頂いた花束の写真や、偶然的に出会った花たちを撮った写真をベースに、様々な色たちをまるで賽を投げるように、配合していきます。
予測不可能なこの行為はいつもエキサイティングです。また私の愛するアーティストや心躍る体験からの刺激もスパイスとなり、私の作品として目の前に立ち現れ、Twitterを通じて世界に出現させているのです。

ポーランド国際美術展2022

 何種類もの画像もレイヤーで重ねているんですよね。作り方としては「偶発のたまもの」。いわば万華鏡って偶発的に映像のパターンが出来ていくじゃないですか、無限に。そうやって勘で組み合わせていって。自分の感覚的な作り方として、予定調和じゃないんですよ。

 その感覚はすべて芝居に通じているんです。芝居の稽古って、ある程度やっていると「型」をなぞるんですけど、そうしないように私は女優として心がけていて、いったん壊すんですよ。今まで作ってきた役を。そしてまた新たに構築する。「偶発性」でいうと、即興劇もそうですよね。その感覚が非常にリンクしたんです。
 私の大好きな映画監督のデヴィッド・リンチが言ってたんですけど、撮影中に、たとえば電球が切れてチカチカってなったときに、スタッフがすぐ替えようとしたのをリンチは「ノーノーノー! やめて!」って言って、そのまま撮った。その場で起こった偶発性を取り入れる、予定調和ではない偶発性。それに近い感覚なんです。「私自身もどういうものが出来ていくかわからない」っていう感覚。

ポーランド国際美術展2022へ

 それで今年、ポーランド国際美術展の主催者(Artystyczny Ruch Społeczny)からメールが来たんですよね。「7月に、ポーランドの私の町のショーケースで展覧会を開催します。世界のアーティストの作品を展示します。 作品は販売されませんが、印刷等は私が負担します。 目標は芸術の振興です。 私はあなたの作品をずっと見てきました。あなたのお許しをいただければ、あなたの作品を2点選び、出展させて頂きたいです」とオファーが来たんです。オファーの決め手となった、先方が選んだのはこの2つの作品です。

 これって何の花だと思います? これは芍薬(しゃくやく)なんですよ。私は芝居をやる前は絵筆を毎日握って生計を立てていたので、時々すごく描きたくなる時があるんです。芍薬が私は大好きで、ある花屋さんで1本の芍薬がビニールのカバーで包まれていて「きれいだな」と思って買ったんですよね。「描きたいな」と思って描くつもりで家に連れて帰ってビニールを外したとたんにパーン!ってぜんぶ散っちゃったんですよね。それで絶望的になって。どうしようかなと思って、白い紙に並べて100ショットぐらい撮って、いろいろエフェクトをかけてできた作品なんです。こういう作品を作ろうと思って作ったんじゃないんですよね。

「フォトショはまるで私の脳内?」

 レイヤーを重ねて出方を調整すると色の浮き沈みが偶発的なんですよね。外国の方からも「これはどうやって作ってるんですか?」ってよく聞かれるんですけど、細かく指定するわけじゃなくて、まさにPhotoshopが紡ぎ出す形にまかせているところがあって。「フォトショはまるで私の脳内?」みたいな感じで。だから同じものを作ることはできないし、一発勝負なんですよね。
 もともとコラージュは美大時代に紙でやっていたんです。紙をびりびり破いて手作業で貼っていく。そうやってアナログでやっていたコラージュを今デジタルでやっているんですよね。手でやっているとバランスが作為的な感じになったりするんですけど、そこがデジタルと違うところで。
 それで世界中の方が喜んでくださるのは、Twitterの良さで、日本から世界につながっていくおもしろさですよね。私の作品に音楽や詩をつけてくれたりする人もいて。自分の放ったものが刺激になって人のクリエイティブな創作意欲に火がつくこと。それが私の一番の望みでもあったし、目指していたことなんです。
 女優として舞台に出るのはその場でのグルーヴ感ですよね。絵を孤独に描いているとずっとつながらなかったけど、何かを始めるきっかけは偶発的なことで。逆にコロナのこの状況がなかったら、今のこの新しい表現のステージは生まれなかったわけですよね。

バブル時代、美大を経て声優に

——美大のころの生活サイクルは?
中路 バブルの頃ですね。私もそもそもは一夜漬けの人間で。美大には卒展があるんですけど、私は泊まり込んで一晩で仕上げました。それも賞を取ったんですけど。作品として世に出すものは時間をかけないでその場でギリギリまで落とし込んで。描いているときも「これはだめ! 失敗!」って一回投げ捨てて、いや待てよ?ってゴミ箱から拾い出して、そこから作品にするような作り方だったんです。そこも偶発というか。
 美大の頃は一回家を出たら3日帰ってこないみたいな。フットワークは軽かったですね。美大卒業後にデザイナーの仕事をがんばっていた頃、私はジュリアナでジュリ扇持ってお立ち台もやってましたから。バブルはしっかりと満喫してました。
 私はデザイナー時代にセツ・モードセミナーも卒業しているんですよ。デザイナーとして仕事をしていて自分の絵を描きたいなと思ってセツ・モードセミナーに入ったんですけど。そこで知り合った人から「あなた描くほう?」って言われて。「どちらかといえば描かれるほうっていうか、女優さんじゃないの?」ってある人から言われたんですよ。
 私は芝居を始めたのは遅いんですよ。1996年の27歳の頃。デザイナー時代から声の仕事には興味があって。何か声を生かすことをしたいなと思っていて。それで養成所に入って、最初の講師である岡田和子さん(俳協所属の声優であり女優)から「あなたはスケール的に舞台のほうが向いている」と言われて。その後も、同じく講師で入ってらした声優の沢田敏子さん(『アルプスの少女ハイジ』のナレーター)にも「あなたは声優ではもったいないわよ!」言われまして。だんだんと自分を表現するジャンルがはっきりしてきたんです。「舞台だな」と。

 この写真は90年代半ばから後半にかけての頃ですね。当時はずっと髪が長かったんです。劇団在籍中にグループ演劇工房という、引用とモンタージュで20世紀を演劇化する試みを行っていた演劇集団の主宰であり演出家の木内稔氏から出演オファーがありまして。そもそも木内氏が劇団本公演の演出についたのがきっかけで。劇団をやめてフリーになっても出演させていだいてました。そこで出会ったのは、共演者でもあった劇団もっきりやの門岡瞳さんです。そこからまた、劇作家で劇団もっきりやの杉浦久幸氏とも出会い、2010年『母さんが教えてくれなかった八月』という杉浦氏書き下ろしの脚本で杉浦氏と瞳さんの三人芝居が最初です。この作品は朗読劇としても阿佐ヶ谷アルシェで二瓶氏のゲルブとも共演しています。その後も劇団もっきりやの公演では杉浦氏に当て書きをしていただいています。『彼方のツグミ』(13年6月)からコロナ禍直前の『カラカラ。』(20年1月、二瓶氏がフライヤーの画を担当)までの全作品に出演しています。
 髪を現在のように短くしたのは、役のためでして。前出のグループ演劇工房の最後の作品『満洲國の黄金の都市—幻影の王道楽土—』(07年、演出:木内稔)に登場する男装の麗人、川島芳子の役を演るために。
 声優事務所所属の劇団にいた終盤の頃、所長とすごくけんかになりまして。事務所は私をすごく売りたいと言ってくれて、いろいろオーディションを持ってきてくれるんですけど、オーディションの時に「芝居の稽古なので入れません!」って言ったらそれでけんかになって。「なによ!」って。「芝居の稽古だからってオーディションを受けないってどういうことよ!」みたいな感じで。

声優がアイドル化していった90年代

 90年代の声優全盛期の頃はまさに声優が顔出ししてアイドル化・タレント化していっている頃で。「声優」が独立してフォーカスされていて。かつて声優は職人芸というか、新劇の俳優が収入を得るためにやっていたんですよね。
 私が芝居で演じてきたジャンルは総じてストレートプレイになりますね。新劇のメソッドです。私は劇団にいたけど外部出演はフリーで。私のもともとの劇団の本公演を見たいろいろな方から声をかけていただいて、いろいろな小劇場に外部出演していたんです。2000年前後に声優の事務所を辞めてから完全にフリーになって、自由になって晴れ晴れとした感じでした。
 「和もの」としては、2016年に岸田國士の『賢婦人の一例』という作品で主演だったんです。古民家でやったんです。話としては30分ぐらいなんですけど、この役は刺激になりました。これを見てこの役をやりたくて自分で劇団をたちあげたという人もいるんですよ。そしていろいろ経てグループ演劇工房がなくなって、杉浦氏の当て書きで劇団もっきりやの公演を主軸としてそこから派生してお声がかかれば出ていって。
 二瓶龍彦氏との出会いは、ヴィオロン(阿佐谷の名曲喫茶)での二瓶氏のライブを私が見に行って知り合ったんです。この人とは仲良くなるんだろうな!と直感しました。その後、二瓶氏から声をかけてもらって、ヴィオロンのライブに私も出るようになったんです。
 ヴィオロンの二瓶氏のライブに出ているのも私のひとつの拠点です。ライブでは二瓶氏に書き下ろして頂いている詩を朗読していますが、二瓶氏の詩を演ることは、手強くて、それでいてわくわくします。私は昔を振り返ることにはまったく興味がなくて。自分のやってきたことは常に壊していきたい。「ホーム」っていうのはあくまで私自身だし、自分が拠点で発信している。アウェーのほうが逆に燃えたり。

立ち止まることから

 立ち止まったり、なにかが壊れたりするときは変化のタイミングだと思いますよね。コロナはそこを逆手にとって転機になったと思います。「隔離された時に孤独感とかはなかったか?」と二瓶氏にも聞かれたんですけど、まったくなかったんですよね。それを自分の表現に生かしていくのは人それぞれの課題だと思うんですよね。「だからこそ新しいことを」と思って。私の根底にある原動力は、人と違うことをやっていきたいということ。同調圧力なんてもってのほかですね。

【関連記事】
生成と消滅をめぐる時間と空間の詩人・二瓶龍彦ロングインタビュー 『暇』2022年9月号

【関連書籍】
二瓶龍彦『竪琴を運ぶ』(英語版)Carrying the Lyre - NIHEI Tatsuhiko



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