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マザー・テラサワ40歳「知と演芸、その魂の記録」 『暇』2023年3月号

2023年1月新宿。今年40歳になる哲学芸人マザー・テラサワの半生を聞く。ハンナ・アーレント『エルサレムのアイヒマン』から現代暇人論まで、知と演芸の行方を語り尽くす孤高の哲学芸人の現在—
聞き手:杉本健太郎(『暇』発行人)・見學慶佑(箱根の暇人王)

マザー・テラサワと見學慶佑(新宿)

杉本健太郎 今日は2023年1月10日、暇なので新宿某所にいます。いよいよ満を持して『暇』誌において大マザー・テラサワ特集をやる段に至りました。つまり、今年はもう「マザー・テラサワ特集号」を日本社会に提出してもいいんじゃないか?まだなのか?まだかもしれない。まだなら出さない。『暇』読者のみんなは、この号が3月に刊行されたら社会情勢が熟したとわれわれが最終判断をくだしたのだと考えてください。
 ところで、今日はただ暇だからという理由で箱根のホテルマンの見學慶佑君が箱根からのこのこ新宿まで出てきました。
見學慶佑 今年の箱根は外国人観光客が多くて多くて、参っちゃってます! だけど僕はずっと暇。暇だからって箱根から新宿までのこのこ出てきちゃうぐらい暇です!
杉本 相変わらず暇だなあ!『暇』1月号では「新春暇人鼎談」としてテラサワ氏とは「日本社会と個の不在」というテーマで最新の暇理論を提起しました。これは今日のテーマとも密接にかかわるので、いまいちど核心の部分を抜粋しておきましょう。

マザー・テラサワ 実践のレベルでは話はわりとシンプルで、僕はお笑い芸人をやってるんで、もうお笑い芸人も既に規律化とか画一化みたいなことが起こり始めています。レースに出てどうやって自分の人生設計をしていくかが既に決まっているみたいな、ケースみたいなのが出来上がってるんですね。だからもう刻苦勉励して、みんな横並びでライブに出るし。Twitter見ると「何月のスケジュール」って月の29日以上もライブで。その構造を出し抜くような表現を構築していくのが本来の芸人とか表現者のはずなんですけど、何かそういういうことをやりだしたら「独自路線行ったんですね!」みたいに言われる。そういうのがもう常態化している。

『暇』2023年1月号「新春暇人鼎談」

M−1グランプリという未完の近代化プロジェクト

杉本 ある意味、今回はこのテーマの続編ともいっていい。これをさらにテラサワ氏の半生を振り返ることで暇理論として深堀りしていこうという狙いです。ここでもうひとつ重要なので、同号掲載の「マザー・テラサワ時事放談」から抜粋しておきます。

M−1というシステムの発展のために芸人が動員され、M−1規準に己の芸人人生の価値を規定し、視聴者もM−1の結果で芸人の格を画一的に裁定する状況が究極化していった時、システム発展のためのお笑いは残っても、人間個々の幸福のためのお笑いは残るのであろうか? それは近代の理想なのか未完の姿なのか?

『暇』2023年1月号「マザー・テラサワ時事放談」

マザー・テラサワ ついにあれですね、M−1って15年で終わる大会なんですけど、フジテレビが16年超えた漫才師の大会を作るとかっていう。(「THE SECOND 〜漫才トーナメント〜」)今年の5月ぐらいにやるそうです。でも、そうなっちゃったらそれはもう、誰かが言ってましたけど、芸人はいつまで「競技漫才」をやり続けなきゃいけないんだって。
見學 その大会はどういう経緯で?
テラサワ 要はM−1に出れなくなったけれども、芸歴15年超えたけども結構活躍している漫才師が多いんですよね。吉本でいうと囲碁将棋とか。それからランジャタイとか金属バットみたいなM−1を沸かせてきた人たちとかがもう卒業ってなると、来年再来年になるとそっちに出てくるみたいなこともあるんでしょうね。おそらくそういう人材をまたリサイクルさせるための場として。そうなったらもうM−1とそれの違いって何だっていうか。それじゃあ何のために芸歴制限を設けるんだっていうことにもなっちゃうし。
杉本 結局のところ日本の「未完の近代」のある種の矛盾が今なお歯止めがかからず拡張しているというか。お笑いというシステムの発展のために個が動員され、殉じてゆく。「人間の個の幸福のためのお笑いは残るのか?」というテラサワ氏の問いかけは今なおアクチュアルだし、それが日本社会という「未完の近代化プロジェクト」の現在だということでしょうね。

『エルサレムのアイヒマン』から受けた衝撃

杉本 暇理論としての今日の本題に入りますが、テラサワ氏は現在40歳。しかし、その半生は謎に包まれていますね。高校までは北海道で、大学は横浜市立大に。そして早稲田大学大学院に進学。で、結果としては除籍になる。

マザー・テラサワ年表(2023年2月時点)

テラサワ 本当に「暇」っていうこととは無縁の人生を歩んできましたから。それでどこかで崩壊しちゃったんですよね。30手前で。要は自分にないものを手に入れようとしてもがき続けていたのが28歳ぐらいまでだったんです。大学院に入ってから研究者になろうとする段階で自分には研究者としての才能はないんじゃないか?って。自問自答して人からも言われて。でも、認めまいと思っていろいろ体をよじっていたんですけども。しかし、精神的に追いつかなくなってしまったんです。
 今思うと、アカデミックな研究者にそのままなっていくっていうことよりは、哲学をやりながらもどこかズレたことをやりたいみたいな欲求がすでにあったのかもしれないです。その頃はまだ言語化もできていなかったし、自分が持っている枠組みみたいなものも全体像として描けていなくて。そして27〜28歳のときについにもう制度の中の学問の世界にはいられないなって。パーン!と破綻をして。大学にも一切行かなくなっちゃって。本当にずっとバイト以外の時間は思想書を読んで、映画を見て、お笑いのDVDを見続けて、ほとんど何か高等遊民みたいな生活でした。
杉本 それはどのぐらいの期間?
テラサワ なんだかんだ1年ですよね。気持ちは安定していたんですけど。自分のやりたいことしかやらないって決め込んだ1年でした。芸人になるってことはうすぼんやりと決めてはいたんです。それで「僕は芸人になります」っていうことを小出し小出しに周囲に言っていく流れみたいなものを1年かけて作っていったんです。
杉本 小出し小出しの1年に自己変容のプロセスがあった。大学院時代はハンナ・アーレントの研究を。きっかけは?
テラサワ アーレントは『エルサレムのアイヒマン』(邦訳はみすず書房『エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』大久保和郎・訳)っていう本を書いているんですよ。アイヒマンって第二次世界大戦下のナチスの官僚で、ユダヤ人をガス室送りにした人で。彼が書類上でいろいろ事務手続きしていたんです。だけど、性格が突飛な人だったとか、ユダヤ人憎悪がすごかったとかいうことよりは、ただたんに組織の中で出世したいからユダヤ人をガス室に送る書類を書き続けたっていう感じの人だったんです。アイヒマンは第二次大戦後はアルゼンチンに逃亡して、それでイスラエルの秘密警察に見つかって捕まって。アルゼンチンの農場で牧歌的な農場生活を送っていました。奥さんに花を買ってあげるみたいな。そんなある日に、バス停でバスから降りたところで秘密警察の車に急にぶち込まれてイスラエルに送られちゃって。それで裁判にかけられちゃうんです。そこでいろいろ証言をしたときに、「自分はただ組織のためにやっただけです」みたいな。本当に凡庸な普通の人で、とにかく知恵がない。
 そのアイヒマンの裁判に興味を持って「何としても行く」って言って『ニューヨーカー』っていう雑誌の特集記事の取材も兼ねて傍聴に行ったのがハンナ・アーレントという哲学者だったんです。この人はこの人でユダヤ人で。ドイツから亡命してアメリカに渡った人です。結局、そこからアーレントは「悪」っていうのはものすごい悪魔のような恐ろしい人がやることじゃなくて「凡庸の悪」って言い方をしたんです。

ハンナ・アーレント

 いわゆる「ふつうの人」が気がついたら悪事に荷担している。自分が学部で教わっていた先生からそれを教えられたときにショックを受けて。自分の母方のおじいさんも第二次大戦に従軍していたんです。すごい凡庸な人だったんですけども、満鉄で技術者をやる学校に行っていました。それで戦争になって中国の戦争に紛れ込んでシベリア抑留されて。戦後引き揚げてきたら人間性も変わっちゃったらしいんですよ。今で言う戦争後遺症みたいなもので。おそらく精神がやられちゃって。急に激高するようになったりとか。そういうこともちょっと引っかかって、「ふつう」とか「まっとう」というものが孕んでいる狂気みたいなものをちょっと考えたくなったっていうのがあったんですよね。

スクールJCAからオフィス北野の時代

杉本 戦時体制のなかでの個の不在というか、システムの中で思考停止してしまう状況。そして、そんな大学生活を経てスクールJCAへ。
テラサワ 最初はスクールJCAに入っていて。これも縁なんですけど人力舎に所属ができなかったんすよ。卒業ライブっていうのがあって、査定をされるんですね。入ってから1年後の卒業公演みたいな感じの頃までに人力舎のマネージャーが見ててそれで査定にかけられて。
見學 みんな入れるわけじゃないんですね。NSCとは違う。
テラサワ そうですね。おそらく全員入った上で劇場を振り分けられるのがNSCの仕組みなんですけど、JCAはもっとリアルに年次のスケジュールが貼り出されてるんですよ。一番最後に黒枠があって目を細めて見ると「首狩り式」って書いてあるんです。卒業ライブが終わった次の日か翌々日ですね。2クラスあって、それぞれのクラスのライブが全部終わった日に「首刈り式」っていって。全員が稽古場に集められて。何の説明もなく「レギュラーメンバー誰々、準レギュラー誰々」って。「名前を呼ばれなかったら出て行って!」みたいな。人力舎って東京で一番最初に養成所を作った事務所なので、わりと懐が深いところがあって。人力舎では預からないけれども他で若手がほしい事務所がいれば門戸を開きますよっていう。その年はたまたまオフィス北野だったんですよね。マネージャーとかが見に来ていて。僕は当時は漫才だったんです。人力舎に入るために即席で組んだユニットでやっていて。卒業公演1回しか出ていないんで、結局、人力舎は取らないってなっちゃったんですけど。北野から声がかかったんですよね。なんなら行ってみようかって。それでネタ見せに行ったんです。
見學 オフィス北野にはどれぐらいいたんですか?
テラサワ 僕は4年8カ月ぐらいですかね。2013年所属で。ただ、当時の相方はわりとキャッチーな笑いをやりたいという希望がある人で。吉本の漫才師みたいな、NON STYLEとかそういうポップな感じの。僕は現実的にそんなのできないなというか。ニッチにいっちゃうんで。バランス的には良かったと思うんですけど、お互いの方向性の違いと、相方が北野に入りたくないって感じだったりで。3カ月ぐらいで解散しちゃったんですよ。
杉本 「哲学芸人」を標榜し始めたのは?
テラサワ 養成所のときですね。最初はもうお笑いと哲学なんて一切結びつける気はなかったんです。本当に何のキャラも乗せないでお笑いをやろうとしてたんですけども。養成所に入ったら「お前には何ができるんだ?」ってずっと言われ続けて。「他の人がやってなくておまえがやってきたのは何だ?」って。で、「研究です!」って。「だったら研究でネタを作れ!」って。皮肉なもので結局そういうことになるのかなあ!と思いました。
杉本 逃れようとしてきたのに!
見學 養成所の先生のアドバイスで。
テラサワ 時代もあったんですよ。お笑いが飽和状態になってるから、何か方針を決めてネタを作った方がいいっていう。漫才を最初やってたんですけど、なかなかうまくいかなくて。ピンになってからの方がネタを作りやすくなったんですよね。じゃあ、なんでコンビを組んでいたかっていうと、人力舎はあんまりピン芸人を好まない事務所で。当時の社長の玉川善治さんがとにかくピン芸人が嫌いだったんですよね。だから事務所の方針としてコンビを組んだ方がいいと判断して。今思うとそんなの無視してやってればよかったんですよね。結果としてやっぱりコンビはうまくいかなくて。養成所を出て北野に入ってから解散してピンになったんですよ。2011年7月が僕の最初のピンとしての芸人デビューです。オフィス北野でマキタスポーツさんとかが「フライデーナイトライブ」っていうのをやっていたんですけど。
杉本 その時代。
テラサワ そうですね。その時やったネタは古代ギリシャ哲学者のディオゲネスを紹介するネタだったんです。ディオゲネスって樽の中で生きていた哲学者なんです。その人のエピソードをひたすら斬っていくっていう。「人間は二本足で歩く羽のない鳥のような生き物である」とプラトンが言っていて。それがプラトンの名言とされているんですけど、ディオゲネスはプラトンがすごく嫌いで。それである日、鳥を捕まえて鳥の羽を切って「これがプラトンのいう『人間』だ!」みたいなことを言ってた人です。そういうのを紹介し続けるネタだったんですけど、一般のお笑いライブではウケないです。でも、北野のライブではめちゃくちゃウケるんですよね。お客さんはおじさんばっかりなんですけど。
見學 一般的なお笑いライブの客層とは明らかに層が違う。
テラサワ 島田紳助さんが「劇場に来てる女子は逆に自分たちを潰す可能性がある」みたいなことをかつて仰っていて。「テレビの向こうにいる人たちに届くような漫才を紳助・竜介はやっていた」と。そのテレビの向こう側にいるような人たちが劇場に集まっているのがオフィス北野のライブだったんですよね。
見學 ちゃんと来てた!
杉本 可視化されていた!
テラサワ でも、やっぱり何かそのおじさんばかりの状況を北野も変えようとしていたんです。それで僕は事務所に所属してからのほうが事務所ライブに出られなくなったりして。
杉本 所属してからのほうが出られなくなった?
テラサワ 僕を何としても事務所のライブに出さないと決めた先輩がいたりとかして。
見學 そんなことあるんですか!
テラサワ 前説コーナーみたいなものを抜かしたら本編は所属してから1回か2回ぐらいしか出れてないです。4年半ぐらい事務所の一番上のライブの本編には出れていないんですよ。それで何をやっていたかっていったら、オフィス北野のライブって毎回毎回「フライデーナイトライブマガジン」っていう読み物を出すんですね。開場前にお客さんに読んでもらうみたいな感じの。前回のレビューと、今回どういうところが見どころかみたいな。僕はずっとライブの写真を撮って記事をまとめ続けるみたいなことをやらされていたんですよ。自分が出ないライブのレビューで「今回はもう目が離せない!」とかって書いて。俺は出ないのに!って思いながら。それが4年間ぐらい続きました。
見學 苦悶の日々ですねえ。

オフィス北野解体でフリーに

杉本 そしてオフィス北野が解体してしまったのが2018年。今思い返してそのときの心境は。
テラサワ 皮肉ですけど解放感はありましたね。それと同時に他に行ける事務所もないなっていう気持ちもあって。どうしようかなと思っていて。今だから話せるんですけど、オフィス北野はちょっと解体の仕方が特殊だったので、事務所の人も気を利かせてくれて。もしどこか他の事務所に移籍したいなら1社までだったら、マネージャーが相談しにいく、みたいな話で。しかしどこか他に行くといっても、正直なところ北野以上にフィットするような事務所もないなっていうのもあったんですよね。事務所ライブには不満があるにしてもオーディションを回してくれたり。そこは北野のマネージャーも僕が理不尽を受けてる感覚はわかってくれていて「ライブに出れないことは気にするな!」と言ってくれていたんです。
見學 ケアしてくれていたんですね。
テラサワ それで、どうせだったら行けないような事務所を出してみようと思ったんです。それで僕が出したのが田辺エージェンシー。
杉本 田辺エージェンシー、タモリさん! もともとは1970年代初頭のGSブームの頃にザ・スパイダースの田邊昭知リーダーが設立した老舗の事務所ですね。
テラサワ 研ナオコさんやRIP SLYMEも所属していました。絶対入れない事務所っていう。たぶん即戦力しか入れない。興味があったんで「田辺エージェンシーに出しておいてください」って言って。チーフのマネージャーが「タモリ倶楽部」の現場まで行ってくれたりとかしたんですけど「いやいや厳しいですよ!」みたいな。最終的には自分でホームページから応募するとかしていかないとちょっと厳しいかもしれないみたいな話で。それで公募からも送ったんですけど返答はなくて。それでフリーになったっていう。
見學 他のところは検討しなかったんですか?
テラサワ しなかったですねえ。とにかく自分の年齢とかいろいろ考えると。その頃は36才の頃ですね。行ける事務所がもう限られていて。ソニーとか浅井企画とかグレープとかも出せはしたと思うんですけど、グレープの芸風じゃないだろうし、ソニーはソニーで事務所の方針でがっつり賞レースに合わせてる事務所です。もう毎月毎月ネタ見せを3回4回やって。それを考えるとソニーに入っちゃうとおそらく「哲学芸人」としての活動はおそらく相当限られるし、無理だろうなと思ったんで。浅井は浅井で決して悪い事務所ではないけれども自分が行ってハマる気がしなかったんです。だからもう「ない!」っていう。
見學 ない!
テラサワ あとはなんか事務所のゴタゴタにも巻き込まれたくないってのがあって。一回様子を見たいっていうのでフリーになったのもあります。
杉本 組織には関わりたくないという。
テラサワ そうですね。結局それから今に至りますからねえ……。だから積極的にフリーになったわけではなくて。オフィス北野もオーディションが回ってくるぐらいでほとんどフリーと同じような活動ができる事務所だったんですよね。たとえば、ライブを自分で主催するにしてもできる事務所とできない事務所があったりするんですよ。だから、オフィス北野がなくなってもライブに出れる関係性みたいなものは数年かけて作ってはいたし、自分もライブもやってるし。これを広げてってやっていきましょうかっていう感じでしたね。
杉本 そういえば「オフィス笑いの現象学」っていうのは?
テラサワ それはすごい邪な気持ちで作ったんです。オフィス北野を離れた直後のR−1グランプリににエントリーするにあたって。もう野武士なんだから手段を選ばず、目立つことをやった方がいいって思ったんです。エントリー時に「フリー」って書くよりは「なんだこの事務所名は?」っていうのを書いて出した方が悪目立ちするんじゃないかと思って。それが2018〜19年頃ですね。……って、なんだか妥協の産物ばっかりですね!
見學 妥協!
テラサワ 何が何でもこうやっていこうというこだわりがなくて。芸人になってから特にそうですね。なんかもうその場その場で。
杉本 なるほど。ある種、「暇道」の感覚に近い。
テラサワ 無理したくなくなっちゃったんですよね。
杉本 「定例読書会」はもうじき10周年になるんですね。
テラサワ 2014年に始めてるんで、来年10周年ですね。正直、ネタを効率的に作るとかそういう観点で言うと、定例読書会って「本当に無駄だ!」というか。
杉本 直接的な利益にはならない。
テラサワ 利益にはならないんですけど、読書会の時間は「別枠」で設けたい。なんか「気持ちに余裕があるんだぞ!」っていう意思表示で。
杉本 やってやるぞと思ってがんばってやってるわけではない。でも10年やっている。
見學 ただ、やっちゃう。
テラサワ 今そう言われて「もう10年たつんだっけ?」っていう感覚ですね。10年続いちゃってますね。
杉本 たぶん、それは努力でやってるわけじゃない。
見學 呼吸するようにできる。
テラサワ 回数で言うともう相当やってますね。だいたい年20回ぐらいやってるんですよね。

杉本 「定例読書会」の記録をマザー・テラサワ講義録として2022年までに15巻分のPDF書籍にしています。今年は元日に16巻目となるベルクソン『時間と自由』と、そのあと立て続けに17巻目の『マリノフスキー日記』も刊行しました。昨年までは傾向として、わりとみんなが知ってる教科書的な「名著」みたいな回をあえてチョイスして講義録として刊行してましたけど、今年はもう少し濃いめのところをやる段でしょうね。
テラサワ 今月の定例読書会はモースの『贈与論』をやろうと思っています。この読書会に救われているところはありますよね。なんて言うか、やれ「芸人として売れていない」みたいな圧力にさらされる業界ではあるんですけど「だからなんだ?」っていう。時代にぶつかるかどうかみたいなことはありますけど、だけど一本これを筋を通してやろうとしてるっていうことがあればいいという感覚ですね。自分で計算立ててつかみ取るって発想はないんですよね。……っていうことは芸人には話せないですけど。こういう話は芸人にはしないようにはしています。
杉本 アカデミズムから抜け出したかのように見えて、でもやっぱり学術は深くテラサワ氏の根幹に根ざしている。今までとは違う新たなマザー・テラサワ像が生まれるかもしれませんね。ことによると「マザー・テラサワが急に東大の教授になる」みたいな。長時間ありがとうございました。                          


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