見出し画像

活字版 いわし女本話①食と読書(にぼしいわし・いわし)『暇』2022年9月号

読書中である。うつ伏せになって、肘を自分の脇腹あたりに設置、顎の下には枕。こちらのフォーメーション名、尻窄み。最初は完璧な姿勢だと自負するが、次第に肩周りに異常な凝りを感じる。この姿勢で本を長時間読むことができない。ちょっとだけ雨が降ってきた午後18時。今日の夕飯を買いにスーパーに行こうかどうかと思うが、雨が降っていることを言い訳にして後回しにする事実に、空腹が追いかけてくる。今、読書は、別に中断してもいい。
自分の体調がキラキラしてる日はこのタイミングで、「んしゃ」と立ち上がり、我慢していた膀胱の解放などを一発かませるし、一回分にみたないトイレットペーパーを残して次回のトイレ時へペーパーの交換を先送りにしない。そのあと、洗面所に行って、うつ伏せの重力に負けた髪の毛を立位の重力に負かす。財布と鍵とテテっとスリッパを履いてスーパーにいける。スーパーに行くと流行りの曲のメロディーだけの機械音が鳴っている。合わせて自信のある歌詞の部分だけ歌う。今日はきのこがやけに安い。しめじとえのきは同じキノコ類であるが一緒に買って良いキノコである。しめじと舞茸はだめ。しめじと椎茸もだめ。椎茸と舞茸ももちろんダメである。たまねぎ、にんじん、じゃがいものゾーンは部室のように安心する。ここは眺めるだけで良い。じゃがいもとにんじんの間に「薄切り豚ロース」が挟まっていた。豚肉を直接手に取って良いかかなり躊躇する。牛肉は割と生でもお腹は壊さないが、鶏肉と豚肉はお腹を壊すというのが私の母の教えである。後で手を洗えるところがあると信じて、薄切り豚ロースを手に取る。
薄切り豚ロースは合計10ページにわたる。一枚目をめくりたいのだが、めくるのにコツが要りそうだ。脂身からいったら脂身だけが剥がれてしまいそうだ。いっそのこと湯掻いてしまって湯の中で分離させようと思ったが、豚肉に文字が書いてあった場合、湯掻いたときに消えてしまうかどうかがわからなくてやめておいた。薄切り豚ロースを素手で持ちながら立ちすくんでいると、スーパーを惣菜コーナーから逆走して見るタイプのおばはんがやってきた。
おばはんは「おばはんがやったろか。」と言った。おばはんとは一人称ではしっくりこないなと思っていると、やってきたオバハンが薄切り豚ロースをペロリとめくってしまった。おそるおそる捲らない方が綺麗に捲れるんだなと思った。「なんて書いてありますか?」と問うと、これは直接読んだ方がいいと言われた。おばはんの持ってる薄切り豚ロースを覗くとこう書かれていた。

「ルーズソックスのゴム部分は偉い。」

おばはんは、小さい声で偉いと言われてもね。と言っていた。でも私は、常々思っていた。学生時代にルーズソックスが流行った時、テレビでギャルがルーズソックスを履いているのを見た時、確実にだるだるの方が重いのによく支えられているな。と思った。私もこういう人間になりたいと思っていた。私の薄切り豚ロースは私のバイブルになるかもしれない。胸が高鳴った。次のページも読みたいが私が捲るよりオバハンがめくった方がうまく捲れるのかもしれない。黙っていたらおばはんは勝手に次のページをめくってくれた。私は再び「なんて書いてありますか?」と問うと、また直接読んだ方がいいと言われる。おばはんの持ってる薄切り豚ロースを覗くとこう書かれていた。

「櫓の上で太鼓を叩いている人間も君と同じ人間」

確かに。と思った。お祭りで櫓の上で太鼓を叩いている人間とは、どこか同じ人間じゃなさそうなのに、同じ人間なんだろうなと思っていた。幼少期、櫓の下から櫓を見上げる人間の方の私はいつも、櫓の上で太鼓を叩いている人間とは同じ人間じゃないんだろうなと思っていた。大人になってお祭りに行った時に、櫓を見た際、もしかしたらこの人たちも同じ人間なのではと思った。生まれた時は同じ赤ん坊で、育ち方に寄って、櫓の上で太鼓を叩く人間と、櫓に近づくだけの人間に別れる。ただそれだけのことだ。私は大人になったなあと思った。
やはりこの薄切り豚ロースは私のバイブルだ。ジーンとした胸の熱さを感じているとまたおばはんが薄切り豚ロースを1ページめくってくれた。私は薄切り豚ロースを覗き込んだ。そこにはこう書かれていた。

「ボウリングの球を何個も使うやつはフレンチブルドックを飼っている」

私はショックだった。自分のバイブルだと思った本が、急に自分を突き放してきたのだ。私のこれからの人生の光になるはずだった。私はおばはんを置いて走った。走って走って走った。段ボールに積み上げられている新発売のインスタントラーメンを蹴散らした。冷凍食品のドアを開けて、冷凍食品を常温に戻した。(投げた。)スーパーで作ってるパンコーナーのベーコンエピをちぎった。息を切らして自宅に戻った。
いつか、時が経てば、私にも、3ページ目の意味がわかるのだろうか。私なんかにわかる時が来るのだろうか。でも、もしかしたら、わかる時が来たならば、その時に必ず、再び薄切り豚ロースに出会える気もした。私は凝った肩を揉みながら、仰向けになって寝た。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?