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人生ってなんですか。

この現状に叩きつけられたのは、「不運の積み重ね」だと思うようにしている。昨日のカウンセリングで、「今の私は、社会的に終わっていると思う。外に出て働くこと自体が不安で、自分の裁量で仕事をするかしないかをきめている。生産性がない人間であることが苦しい」と。
心理士は「今、〇〇さんは毎週、こうしてカウンセリングに来て立て直すことをしているのは、生産性のあることではないのでしょうか?」と問われた。「確かに、とても辛いことがたくさんあって傷つくということ前提に来ています。切り付けてて切り付けて同じ場所を切り付けたら、皮膚は硬貨していくから、その作業を身体に対してでなく、精神にしていると思います。生産性とは違います。」と答えた。

恐らく、犯罪と言うものは不運が存在していないと発生しないライフイベントだと思う。加害者の多くが、幼少期~成人までの間に通常習得するであろう規範意識を教育されなかったり、社会を恨むような出来事が起きている。
だからこそ、加害者の成育歴を公判で重視するのだろう。
しかし、不運だったからと言って、人を傷つけていい理由にはならない。
不運なことが全くないまま生きて、大往生する人は遥かに少ない。
私自身、加害者の成育歴を聞いていて「その程度かよ」と正直に言えば思ってしまう。そうなると、単純に私の中に規範意識があって、犯罪行為をするメリットとデメリットを考え、犯行をした場合の短、中、長期的に起きるであろうデメリットを予想出来るだけの知能を偶然持ち合わせていたから、私は「今被告人質問をされている加害者が私だったとしてもおかしくはない」と、メモを取りながら刑事公判中に思ったことがあったなと思い出した。

加害者や一人話したことのある(強盗致傷)の加害者も。
そして、私も36歳で(加害者は生きていたらの年齢になる)その年齢と言いうものは一種の符号でしかない(符号の意味とは大きくそれるが)。
ただ、知能や知識、礼儀などが36歳相当に習得出来ているのかと言うのは全く別の話であって、社会心理学者の加藤諦三氏の著書に「大人になりきれない人の心理」と言うものがあり、5歳児の大人というテーマが出てくる。
私たちは無意識に、35歳なら50歳なら「これは出来るだろう、理解できるだろう」と決め込んでいるが、精神的な発達の部分が5歳だったり10才だったりしたとしても、全くおかしい事ではない。
犯罪に手を出す多くの人間が、無資力であるとか衝動性が高いというのは計画性と様々な発達障害が絡んでいる。少なくとも、発達障害は先天性の障害のため、親が気づき小さなことでも認めたり、療育施設、小児精神科に繋がることが出来れば、親は孤独でなくなる。しかし、私の年代の人間が小学生だった時、「こいつは駄目だわ」と大人は決め付けて置いてきぼりにしてしまう。それが家庭でも再演されていて、そう考えればどうやって人を振り向かせようとか考えたときに、ほぼ間違いなく悪いことをして目を引くようになっていく。適切な対応は悪いことをしている時に「〇〇をやめましょう」と言い続け、辞めたところで「辞められたね、がんばったね」とシールなどのトークンを与えて10個貯まったら、好きな絵本が買えるなどの計画性が身につく方法はどこかに行かなくても、今の時代であればネットで検索をしたり、保健所でも教えてくれる。しかし、そこまで1人の子どもに手を掛けられる家庭ばかりではない。共働きのケースも多くある。段々と孤立して、同じような不運カラーの人たちと関わる機会が増えて、中にはそれが半グレだったりするかもしれない。

犯罪行為を犯した人(加害者)と犯罪行為で不利益を被った人(被害者)
は刑事公判というシステムを持っている法治国家が容疑者、被害者という関係性で深く深く考えるのは、本当に刑事訴訟の時だけであって、これが民事になったら原告と被告と言うだけで、刑事事件と全く違い判決に法的拘束力が存在しない。「払いたければ払えばいいけれど、被害者の多くは払ってもらえていないから、払われないんだろうね」と簡単に裁判所は述べる。
しかし、一矢報いることや仇討ちを禁止した日本政府が成り代わって罰則を与えている。ただそれだけの話で、包丁でぶっ刺して殺して自分も死ぬというのはあってはいけないのである。出来る復讐手段として「損害賠償請求」になるのだが、そもそも復讐ではない。権利として被害者が与えられているものなのだ。裁判をする権利が憲法32条に記載されているから、
「裁判はやらせてやるけれどもね、判決の強制執行や財産の特定は自分でやってよ。これは私人間の争いだから」という状態である。
被害者のメンタルを全く考えていない、そもそもが国税はその人の勤務先、年金状況、口座の流れ、買ったものすらを把握して、早朝やってくる。
その情報を被害者に渡せばいいだけの話で、1件1件どこの銀行か分からないけれども15時までに回って、照会してくるんだね。はあまりにおかしい。

加害者が死んでいなかったら、私はまた弁護士に依頼をして時効を止める為に再提起をしたんだろうと思うと、一矢報いられていると相手が感じていないなら、全く意味がないことだなと思えてしまった。金額の問題ではなくて、現状の損害賠償の算定方法が金銭でしかないだけで、少なくとも守銭奴ではないのである。一番望んでいるのは、被害に遭う前の私に戻してもらう事である。戻してくれたら、金銭は1円もいらないというのは本当に嘘偽りのない正直な気持ちである。しかし、絶対にそれが叶わないと思いながら、自己の力で生きていくということを選ぶ以外に道がないと思うと、果てしなさ過ぎる。

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