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犯罪加害者は二度殺す。

今回は、犯罪被害者は2度苦しむということをテーマに書こうと思う。犯罪被害に遭うこと自体がまず1度目の被害とすると、2度目の被害は周りからの事実を知らない人たちの好奇の目や噂、中傷である。

私自身、犯罪被害に遭ってから、近所の人にあることないことを言われたり、善意の気持ちで言ったであろう言葉が心をえぐるほどに辛いことだったりした。一番に悲しかった言葉は、

「仮に、強姦されても減るものじゃないし、あそこ触られただけでしょ?嫌な思いしてないじゃん、誰も笑」と言うような言葉だった。

私はその友人を信頼していたから、事件の辛さを吐露してしまったが、そういった言葉が返ってきて友人と言う関係は破綻した。近所の人たちも、私の家に警察が出入りするのを見ていたら、駅で実況見分をして被害者、加害者のプレートを首にかける警察官を指さしをしているところを見れば、普通のことではないとわかるだろう。そうすれば、おのずと色々なところからあることないことを言われ、そこに住みづらくなる。私が住んでいた場所(今は、帰住したが)比較的田舎で、何か大きな事件が起きるような街ではない。それがゆえに、人の口に戸は立てられず、私の精神と言うものは崩壊の一途をたどった。正直に言えば、一家で引っ越しをしてしまいたかった。しかし、主人の仕事の都合上そういうようなことも不可能だった。

リンクを貼った事件は、ある暴力団員の思い込みで関係のない人が罪のない人を拳銃で銃殺するという痛ましい事件だった。その家のローンを払いながら、PTSDを発症した妻が子供たちの後を追わないように、旦那様はずっと奥様と寄り添っている。当然、子どもが殺された玄関をそこに住むならば毎日、通らなければいけない。犯罪被害者の事件の多くであるのが、事件現場が自宅だから、引っ越しをしたいが費用がないという場合である。例えば、寝ているところを見知らぬ男が入ってきて、強姦をし逃走をした。しかし、犯人は捕まっていない、けれども引っ越すには何十万と金銭がかかる。それを誰かが出してくれるかと言うと、そんな話はない。仮に、犯人が捕まったとしてもその家に住み続けたいと思う人はいないだろう。一部、県営住宅などの優先入居などがあるが、それもその県営住宅が空いていればの話であったり、期間が設けられたりしている。

そのうえ、銃撃で殺されたご遺族の元には事実を知らない人から、差出人は書かずに「猛省しろ」などや、近隣から規制線が貼ってある謝って歩くべきだなどの罵詈雑言が飛ぶ。どうして、理不尽に狂った犯罪者によって大切なお子さんが奪われ、財産や職業、奥様の寄り添いなどを人生をかけてしているのに、貶めるような発言ができるのだろうか。それは、事実と言うものをしらないということと、それを言われたらどんな気持ちになるかと言う想像力の欠如と、自分は正義として行ったという気持ちが存在しているだろう。

この被害者遺族の方は自治体の住宅に入居を希望するも加害者が暴力団関係者であるということで、周囲の住民の安全が担保できないと断られている。この被害者の方は一切、反社会勢力に関わっていないのにだ。そして、犯罪被害者給付金も600万円程度しか支給されなかった。その算定は、当時の収入、年齢、扶養家族の人数などによって変わる、私の知る限りでは最大で2900万円が50代の方に支払われたと記憶している。生きていたら、色々なことが出来て、社会に出て、好きなことをしたり家庭をもったりしたかもしれない。そういった未来を乱暴に奪われた上に、命に値段をつけられることがどれだけの屈辱であるか。私は、犯罪被害者給付金に関しては、自賠責と同じかそれ以上に支給額を上げるべきと考えている。600万円もらえたのだからと言う声がネット上で聞かれるときがあるが、600万円は確かに大金であるが、子どもを二人うしなって600万円ということを考えると日々の生活を正常に遅れなくなってしまった現実を考えたら、一瞬にして消えてしまう金額であるし、遺族からしたら「お金なんていらないから、子どもを返してほしい」と思うであろう。

そして、このご遺族のとても不幸なところが、加害者は自殺してしまっているので損害賠償の請求のしようもないのである。現在の私と同じ状況になってしまっていて、この世にその不法行為によって損害を与えた人間が消えてしまえば、その権利は消滅してしまう。これが日本の現実であって、犯罪によってこういった二次被害が起きている。私自身も、犯罪被害に遭った後に計算したくないが、相当な金額を支払っている。貯金もある程度は残しておかなければいけない、生活に使ってしまっては子どもの未来が奪われる。そうすると、後遺症の痛みを毎日2本の注射を打って会社に行く、そんな生活をする以外に方法がなかった。それでも並行して民事訴訟はしている。医療費は窓口で払う。しかし、加害者は刑務所で当たり前のようにつま先から頭まですべての衣食住を税金によって用意されているのだ。この雲泥の差というものが埋まらない限り、一生かかってもどの被害者も被害回復ということが叶うことなく、一生を終えてしまう。国民が知らないうちに税金から2000円を矯正施設などの刑務所、少年院に使われ、被害者へは税金で知らないうちに6円使われている。その1994円の差は命の差だろうか、尊厳の差だろうか。刑務所にいれば、再犯の恐れはない。そもそもが、物理的に行うことが出来ないからだ、それでいても刑期を終えたら更生したものとみなし、大腕を振って傷つけた被害者を横目に可逆的に無責任に贖罪をせずに生きていく、そして、刑務所の外で被害者は同じタイムラインにいながら、不可逆的な世界を生き続けている。

私は、心情陳述の際にも

「あなたは刑務所を出所すれば法的にゆるされます。同じタイムラインを過ごしながらも、あなたは可逆的で未来を考えられるでしょう。しかし、私は不可逆的な世界で生きていくことを差がどれだけの大きさかわかりますか」

と述べた。

そこのすべて集約されるほどに、

「被害者の方、運が悪かったですね。ですが、国には犯罪被害者の方々を公判が終わった後の支援をするシステムがないので、医療が必要ならば自分で払ってください。カウンセリングが必要ならば自分で払ってください。引っ越しが必要なら自分で払ってください。そうです、勝手に立ち直ってください。私たちは何も知らないんです。しかし、加害者側は刑務所で衣食住と健康を保証します、あなたの払う税金で。」

と言うことを国が言っているようなものなのだ。よくここまでのことを国は言葉にしないとしても、制度がないということで表しているなと思う。今までの時代で、犯罪が起きなかった時代が果たしてあるだろうか?今までの時代の中で何人もの人が苦しんできていることを見ずに、なぜ罪を犯した加害者側のことを重んじ、被害者は公判の一材料としての様に扱われて、それが終われば「はいご苦労様」と言う感じなのだろうか。

上記に書いたように、殺人犯が後に自殺してしまうとか最近では大阪の資産家殺人の犯人が留置所で自殺してしまった事件があった。今日も、留置所で窃盗で捕まった被疑者が自殺してしまった事件があった。加害者側が自殺してしまうケースは少なくない。そうすると、権利の主張ができずに終わることが被害回復を大きく遅らせる。仮に、加害者が死亡したとしても、被害者は加害者が生きているものとして訴えを起こせるようにし、司法が民事の判決を下し、損害賠償を税金で支払うという形の法案があっていいと思うのだ。人はお金が無くなれば、今日の生活の糧にさえ困るようになれば、何を考えるかなどお分かりだろう。「死ぬしかない」と思えてしまうのだ。そもそも、生活の糧以前に犯罪被害者と言う人生をいきてたくない、その上にまだ苦しめるのかと。私の加害者の死を一種の命を懸けた自己破産と例えた人がいたが、同じようで違うのは、自己破産は借金である。納得して事業に融資したり、貸したりしている。損害賠償はいきなり奪われた尊厳にふさわしい対価を司法の力でもって、得た債権なのだ貸したくて貸したというものとは大きく違うもので、死んだからもう「残念ですが、回収不可能です」と言う文字で終わらせるのはあまりにもおかしいのではないかと思う。私自身は、そもそもの回収に望みは薄かったので、しかし、それがなければ生きていかれない人だって存在している。

窃盗に置き換えたら、100万円奪われました、100万返してくださいと言うのに「なんで、この人こんな守銭奴みたいなこというの」と言う人はいないだろう。

それが、犯罪被害によって精神的苦痛、後遺症を負いました。その金額を根拠のある計算をするとこうです。なので1500万円、支払ってください。となると、「金目的かよ」と言う人が出てくるのは一体何なのか。私は、被害に遭っていない自分を返してくれるなら、お金はいらないと言った。しかし、今の司法では失った対価を金銭に換算する以外に方法がないのだ。「金目的かよ」と言う人は、それ以外の方法で代替できる案があるなら教えていただきたいです。

犯罪被害に遭った人たちのニュースは毎日のように流れていますが、そのニュースを見た次の日には私たちは忘れてしまって、けれどその当事者の方々は一生涯にわたる犯罪被害者と言う人生を歩んでいるということを決して忘れてはいけないのです。忘れないこと、そして犯罪被害者の人々すべてが平等に「事件前と同じかそれに近い生活に戻れるようにする」と言う支援が必要であることを強く思っていただきたいです。

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