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最も悪い意味で近いあなたを失った私。

今日は、カウンセリングの日だった。
先週、臨床心理士が欠勤していて医師と話をしたけれど、
改めて、加害者の死を知って2度目のセッションだった。
「被害に遭ったその日も理解が追い付かなかった。その2番目に加害者の死を知った時は、市役所の職員の方が「亡くなってますね」と言った際の意味が全く分からなかった。
それくらいに、自分にとっては悪い意味で影響力のある人間だった。」
と言う話をした。
「きっと、〇〇さんは今、これから怒りや悲しみをぶつけることもできなくなって、私に少しでも預けたいと思っているかもしれないけれど、〇〇さんが加害者に向けていたボールはひょっとしたら、私を殺してしまうくらいの強さがあると思っているのかもしれませんね。」と返してきた。

私は、基本的に「現状に起きていることのみ」を見て、感じるので
セラピストが「先週、私が休んだことでいら立ちだったりはありませんでしたか」と聞かれたときも、「今は、コロナウイルスが流行っていたり、急用があっても不思議ではないので休みなんだなと言う風にしか感じませんでした」と言った。昔から、現実しか見ていないからこそ、犯罪被害に遭ってしまった時の「信じられないほどの情緒の動き」というものに触れて、こんなにも恐ろしいことがあるのだと思った。それから、現実を見るというよりも過ぎ去ってしまった過去が怖い、未来を作り上げても壊されるかもしれないということしかなくなってしまった。その両方も存在していないのにだ。

「私は、私なりにどうにかこの被害を受け入れられないか、性善説をもとにしているけれども許すことができないかと言うことを考えて、処遇状況がどんどん悪くなって、懲罰を受けたりと言うのを半年に1回見ていると結局、人は変わらないというか変えることは出来ないんだと、森羅万象の外の話なんだと思いました。」と。

私は、加害者の死亡ということの不条理さであるとかいら立ちを、誰かにぶつけることだとか、共有することは出来ない。
今まで以上に、孤独な闘いを毎日、日常と共に生きていかなければいけないんだと再認識したとき、
「結局、自殺するのだったら私の事件を起こす前に、私と出会ってしまう前に知らないところで果てていてくれたら、普通の生活をしていたのだと思う。そう思ってしまう自分に対して、嫌悪を抱くしどうやっても好転の兆しを見出すことができない」と淡々と述べた。

「〇〇さんが法的に訴訟をしたり、裁判で語ったことがひょっとしたらこの死の結果に関りがあると考えて、責めてしまったりしているのでしょうね。」と言葉が返ってきた。

「私は、意見陳述の際にA4用紙3枚に皮肉の限りを込めた言葉を書いて、読み上げました。そのすべての伏線が回収されたような形にしかなっておらず、結局、戦ってきた10年間とこれからも戦う日々に何の意味があるか分からず、「もう、早く死にたい」と昨日思ってしまいました」と述べた。

医師の診察で、「最近、まともに眠れない。思考もまとまらないし、やる気もなければ食欲ももない」と言った。

「あなたにとって、悪い形で関係性がお互い深かったから、悪い意味での喪失感はあって当然で、ふつうに家族とかであったら葬儀をしたり初盆をしたりして、周りと思い出を語ったりして徐々に「あんなこともあったな」と思うようになるけれど、それでも通常3年くらいはかかってしまう。
弔うようなことではないと思うけれど、孤独な闘いが長く続くことだけは、あなたに伝えることは出来る。被害に遭ったことは、一生死ぬまで消えない上にこんな風になったら、頭で分かっていることを心で分かるようになるまでは果てしない時間と覚悟がいるね」と言われた。

絶望的な気持ちになった。
なぜ、犯罪被害に遭って腰椎の骨折の後遺症を負って、うつ病とPTSDに悩まされるうえに、後味の悪い死に方を私は受け入れる努力をしなければいけないのか、さっぱりわからないという感覚だった。
哲学的なことになるけれども、加害者が人権を奪ったのにも関わらず、その加害者の人権の方が遥かに守られ、その加害者によって被った身体的被害の後遺症となぜ被害者が戦わなければいけないのか、すべて加害者が担うべきことを皮肉にも被害者がすべて負うのかと考えてしまった。

「私は、加害者の死亡を知ったその足で弁護士事務所に行って、相続人全員に順番に放棄するならばするようにと内容証明を送ってもらう委任をしました。私の中で、損害賠償請求権の時効をもって終わらせるのではなく、葬儀的な意味合いで、全員が放棄したときこの事件の区切りがつくと思って、本当に無意味なことですが依頼しました。それから、考えることしかできないのではないかと思っています。」と返した。

「あなたは理解できている人だからこそ、頭での理解と心での理解ができないことのダブルバインドが余計につらいんだろうと思う」と。

実際、頭で分かっていることが心で分からないということの意味がさっぱり分からない。ロジカルに理解しているのに、精神的な場所にスライドさせた瞬間に「神様はいるのか、ニーチェの言った、神は死んだってなんだ」と言うくらいに、抽象的に成り下がって根拠も自分に示すことができない。その居心地の悪さというものが、とても気持ちが悪い。「なんで、分からないんだよ。」と自分にいら立つ日々がずっと続いているし、論理的に理解したいと思って、学術的な解釈を求めれば求めるほどに「法自体も人が作っているから、穴があり・・・」と言う状態になってしまった。私は、刑事裁判が終われば一区切りがつくだろうくらいに思っていた、「頭」では。心はその体験を非常に恐れ、何度も再体験させる。
現象として分かっているのに、どうしてだろうと。
この世の中には、狂ったまでの狼心狗肺な人間がいるという現実だったりに、犯罪被害を起因して実体験してしまうと、何事も裏があり嘘がありと人間としての純粋さと言うものが消え去ってしまった。

もしも、これが何かの方式で表すことができて、きれいな解が見いだせたらどれだけ素晴らしく、救いなのかと帰りの車で思った。

しかし、私は加害者の事の真相は何一つ知り得ない。
知ったところで、現実が変わることはない。
被害に遭っていない自分の人生を見ることもできない。
負けてしまった、と言う現実に尽きる。

欲を言えば、朝まで起きずに寝てみたい。
生きていない加害者が、さも生きているように私の目の前であの日を繰り広げることがなくなったら、少しばかり恐怖や苦痛が軽くなると思った。

私の、当時持った正義感と言うもの。
ほかにいる被害を声に出せなかった、暗数となってしまった7人の女性たちのためにも裁判を戦い抜いてくださいと言う言葉を何人かの警察官や検事から受けた。けれど、私は自分1人のためにも戦い抜けていないのに、さも戦い抜いたかのような顔をして今生きている。
どちらの方が辛いのだろうと、「被害を声に出せなかった人」と「声を出す以前に事件になった私」きっとどちらも辛さの極みにあると思う。
今日、10年と言う日々を一瞬にして振り返った時、もしもその選択をしていなかったらという事柄が数個あって、こうして加害者が死んでしまった現実をこれから、よく噛みしめながら自分の中で落としどころを見つけるという作業に没頭しなければいけないのかと思うと、「これが二次被害なんだ、本当の。」と言う、泣くに泣けないぶつける人間も消えた現実に極彩色が一瞬見えた、そして色はなくなった。

こんな風に生きたいというものに制限が掛かってしまったら、人が尊厳を取り返して自分を癒しながら立ち上がるというのには信じられないほどの努力がいる、けれどその努力の途中で、目の前の風景も匂いも形も音を立てて崩れ落ちる様を見なければいけないかもしれない、そんなに悲しい努力をしてまでと思うけれど、孤独と言う意味がよくわかる。
複数の中にいて、初めて人は「孤独」と思うのだと。
天国よりも地獄な反響する日々に剝き出しの恐怖を見ないでいる時間が増えるようにと思う次第だ。

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