アメリカ旅行記-2日目-「偽りの$45」

無言の時間は永遠に思えた。

僕の目の前の巨大な鏡餅は怪訝そうな表情を浮かべるだけで、何も言葉を発さない。

「What should I do?」

鏡餅の顔を見上げながら僕は言った。

1日目「この中にヘミングウェイはいない」はこちらから
僕…著者。
石川…最近彼女と別れた。こちらでは「タマキン」として登場。性豪。
中村…留学経験あり。「僕」の母親の中では就職留年することになっている。
吹野…人の心がない。人の不幸でいちばん笑う。
松岡…この旅行の計画者。最近太った。全部の予定を組んでくれているのだが…?
吉村…英語堪能。大学入学以来太り続けている。
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ロサンゼルスは思ったよりも涼しかった。飛行機を降りると、九月初頭の日本では考えられない湿度が僕たちを迎えてくれた。
屋内には等間隔で警備員が配置されている。彼らは全員が鏡餅みたいな体型で立っていて、日本のもやし警備員とは格が違うことを思い知らされる。僕たちが時給1000円で球場で警備員をしていたとき、この鏡餅が与える威圧感の何%の仕事をこなせていたのだろう。威圧感を仕事とした場合、言わずもがな僕たちは限りなく給料泥棒に近い。
そんなことを考えながら歩いていると、入国審査のゲートが近づいてきた。ゲートの両側には鏡餅が配置されており、僕はその右側の列に並んだ。

今のところ、この旅行で「chicken or pork?」「chicken」「here it is」「thx」しか英語を話していない僕は少し焦った。
英語を話さなければアメリカ旅行とは言えない。ここからが本当の旅の始まりなのだ。まあ相手から聞かれたことに答えればいいか…

松岡が入国審査を通過して僕の番になる。緊張していた僕は松岡と鏡餅のやり取りを見るのを忘れた。どうせ聞かれることなんて同じなのだから見ておけばよかった、と反省する間もなく僕は鏡餅の前に対峙する。
「?」
「??」
無言の時間は永遠に思えた。
僕の目の前の巨大な鏡餅は怪訝そうな表情を浮かべるだけで、何も言葉を発さない。
「What should I do?」
鏡餅の顔を見上げながら僕は言った。
「passport」
鏡餅は少し苛ついたような声音で言い、対面の陽気な鏡餅が噴き出す。
「ん?ああ!OK! sorry, man!」
僕は焦りながらパスポートを取り出し、鏡餅の前に提示する。目の前の鏡餅は僕とパスポートを見比べながら対面の鏡餅と笑顔で二言三言と交わす。
どうやら「HaHa!コイツは何しにきたんだい?」「たぶん慣れてないんだろ」「まあそうカリカリすんなよ」的なことを言っている。こちらは入国の作法が分からないだけで最低限の英語は解しているのだから少しは反論してやろうかと思ったが、言っている内容がその通りだったので下を向くしかなかった。

最後、対面の鏡餅が「first trip?」と笑顔で尋ねてきた。僕は先述の通り過去一度アメリカに来たことがある。しかし、あの鏡餅はフォローのつもりでファーストトリップかと聞いてくれたのだ。その厚意を無駄にするわけにはいかない。
僕は涙を呑んで「yes! I've never been!」と笑顔で答えた。

HISがチャーターしてくれたバスで揺られること45分、僕たちは宿泊予定のホテルに着いた。チャイナタウンに近いだけあってホテルの外観も中国風だった。重いキャリーケースを預け、僕たちはハリウッドに向かう地下鉄に乗った。

ハリウッドは陽気な音楽と観光客で溢れている。空港にいたような鏡餅体型はここには少ない。やはりアレは選りすぐりの高級餅だったようだ。
しかし、ここでひとつの問題が起きる。僕は洋画の知識がない。ハリーポッターがギリ。まあ周りの奴らに聞けばいいかと思っていたが、全員が全員洋画知識がない。2ヶ月ほど前から意気揚々と「ピクサーは見ようね」「そうだね」と言い合っていたとは思えない醜態だ。

ブラッド・ピット、ジョニー・デップ、トム・クルーズ、トム・ハンクス、ヒュー・ジャックマン…
今のみならず時代を超えた名優たちの手形&足形が掲示されたスペースを散策していても、「あ、これがブラピだって」
「足でっか」
「これ盛ってるだろ」
「ブラピってなんの映画の人だっけ?」
「…さぁ?」
「…」
のように中身がスカスカな会話しか成されない。無言で嬉嬉として写真を撮りまくっていた松岡も、恐らくは何も知らない。だって知ってたらこれ見よがしに説明してくれたはずだから。

適当にぶらついた僕たちは、どデカいハンバーガーだけを食らい宿に戻ろうという話になった。事実、僕たちは疲れていた。アメリカ時間は17時、日本時間にすると朝の10時。前日からオール明けで迎えた朝10時だと思えば眠いのも仕方がない。
帰りは地下鉄で20分ほどだ。とりあえず、地下鉄を途中で降りて夕飯をスーパーで買って帰ることになった。

地下鉄に乗ると、先程と雰囲気が違う。
夜に近づくにつれて、ロサンゼルスの地下鉄は客層が変わっていくらしい。昼時は平和だった車内も夜にはカオスと化す。
心無しか暗い車内、1Lのミルクティーを手にしたイカついおじさん、ベタにカーステレオからウェッサイのヒップホップを流す若者、誰彼構わず声をかけてチュッパチャプスを売りつけようとしてくる男の子。
日本と変わらないのはぺちゃくちゃ喋っているおばちゃんだけだ。降りるときまでおじさんのミルクティーは1mmも減らなかった。なんのためにあの量のミルクティーを買ったんだろう。

僕たちはすっかりビビってしまった。
「な、スーパーからホテルまではタクシーでいんじゃね?」
「そうだな」
「あ、ウーバー使うって手もあるけど」
「いやーこわくね?」
「たしかに」
「今日はいいよタクシーで」
濡れた子犬のような目でタクシーを探す僕たちは、一軒の高級そうなホテルを見つけた。ホテルの軒先にはタクシーが数台止まっている。ここが自分の見せ場とばかりに中村が値段交渉に向かった。

「いいってさ!」
「何ドルでいけた?」
「コミコミで45ドルだって」
「おっけさんきゅ」
奥にはニコニコの運転手がミニバンに寄りかかっている。さすが高級ホテルだけあって治安がいい。地下鉄とは段違いだ。

車は快適だった。車内で流れるヒップホップも僕たちのアメリカ気分を高めてくれる。グラサンを掛けた運転手も縦ノリしながら楽しげに運転している。
ホテルの目の前に車を停めてもらい、支払いの段になる。45ドルを差し出すと、運転手の眉尻がピクっと上がった。
「え?」
中村が焦りの表情を浮かべる。どうやらチップ込みで45ドルだと考えていた中村と、45ドルプラスチップだと考えていた運転手とのあいだで齟齬があったらしい。後部座席の僕たちと運転手の表情が険しくなる。焦る中村。後ろからよく見てみると、運転手の肩口の筋肉は隆々と盛り上がっている。密室の車内で事を構えられたらタダでは済まない。
「oh, I see」
中村は5ドル紙幣を追加で手渡した。
「Thank u!」
運転手は途端に上機嫌になる。筋張った筋肉は心無しか収縮する。運転席から軽やかに降りると、僕たちの後部座席のドアを開けてくれた。

「…ごめん」
「まあしょうがないって」
「うん」
「50ドルかあ」
「高い買い物だったな」

僕たちは傷を舐め合いながらホテルに帰り、痛みを忘れるように19時過ぎには眠りについた。

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