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Creepy Nuts/かつて天才だった俺たちへの歌詞考察

昨年はケンタッキーやカップスターのCMに揃って出演したCreepy Nuts。食べ物系のトップ企業の次は、大学のCMソングに抜擢された。散々擦られてきた話題ではあるが、「高卒と中卒/偏屈で窮屈で低俗で軽率なポンコツとポンコツ(「たりないふたり」より抜粋)」のCreepy Nutsが大学のCMソングに起用されるというのは彼らにとってまた新たな金字塔だと思う。

さて、この曲は帝京平成大学のCMのために書き下ろされた一曲で、8/26発売のミニアルバム『かつて天才だった俺たちへ』の表題曲でもある。
タイトルを聞いた時、「果たして『(学力面で)かつて天才だった人』が帝京平成大学に進学することがありえるのか……?」と疑問に思っていたが、そこはリリシストR-指定。別の意味を込めたタイトルだったことは、歌詞を読むうちに分かってくる。

また、帝京平成大学の公式サイトに「帝京平成大学×Creepy Nuts」という特設ページがあり、ふたりが楽曲に込めた思いを語る動画がある。
曰く、「自分の信じた道を進む」という大学側からのテーマを元に、「歳をとると切り捨ててしまいがちな無限大の自分の可能性をもう一度信じよう」というメッセージが込められているという。
その思いを踏まえた上で、リリックを見ていくことにしよう。

子どもの頃、苦手なことや怖いことに積極的に関わろうとはしなかった。
それもそうだろう。仕事ならともかく、せっかくの休み時間や放課後にわざわざ嫌いなことを頑張ろうとは思えない。サッカーが好きな子はサッカーをすればいいし、本が好きな子は本を読めばいい。例え友達がおらずに教室でひとり絵を描いていたとしても、責められる謂れはない。

ただ、サッカーが上手い子への憧れはあった。休み時間の度に我先にと外へ飛び出し、授業が始まるギリギリになれば友達とワイワイ楽しそうに教室に戻ってくる。
自分がサッカーが苦手だと気づいてしまったがため、自意識に邪魔されて「ボールと友達になれ」なかったのだ。

頭が良ければ​(せめて、頭が悪いことに気づかなければ)──
補助輪(コマ)付きの自転車を笑われなければ──
子どもの頃、R-指定はその自意識過剰が災いして自分の可能性をどんどん狭めていた。
紙の切れ端に殴り書いた落書きや、自分なりに一生懸命オシャレした結果失笑を買った髪型、音楽理論に則っていないぐちゃぐちゃなオリジナルソングですら、続けていれば自分の可能性を開かせてくれるのかもしれないのに。

韻や言葉遊びについて。

「もし自分が○○だったら、~だったろう」という反実仮想4連発の部分で
「気づかなければなれた」「思わなけりゃ〜解けた」「笑われなけりゃ〜漕いでた」「守ってた」で[(aa)ea]の脚韻。
その間にも「とか」の脚韻、「れ」「ボール」「達」で[o]の頭韻、「フェルマー」「理」でファルセットの[e]で頭韻。
マサヤ」「笑われ」で[aaa]で押韻。

また、「力が」「知らなきゃ」で[aaaa]で頭韻し、「チャリ」「よわい」「鈍くさい」はアクセント込みで[ái]で踏んでいる。

そして、「落書きや」「似合わない」「言われた」「髪型」「うたが」「変えたかも」で[aa]と[ia]が絡み合いながら踏んでいる。

ボールと友達」のくだりは、『キャプテン翼』からのサンプリング。この表現はもはや一般的なものとして定着したから殊更取り上げるほどのことでもないかもしれないが、念のために記しておく。

フェルマーの(最終)定理」とは、数百年にわたって数学界一の難題と言われたもの。

a^n × b^n = c^n かつ n≧3を満たす自然数(a,b,c)の組み合わせは存在しない

というもので、1995年にアンドリュー・ワイルズという数学者がこれを完全に解き明かした。
そして、その時ワイルズは「大人になってからも子どもの頃の夢を追い続けることができたのは幸運だった。(中略)人は誰しも、自分にとって大きな何かに本気で取り組めば、想像を絶する収穫を得られるのではないか。」とコメントしている。

これは、先のインタビューでR-指定が言っていたこの曲のテーマと似通ったものだ。
300年もの間、数学者を狂わせ続けてきたフェルマーの定理に無謀にも挑み、自分の可能性を信じて遂に定理を証明したワイルズと、苦手ものを遠ざけ、自分の可能性を自ずから狭めていたR。
この部分では、そういったRの劣等感を相対的に描いている。

コマ付きのチャリ」は、補助輪付き自転車のことを指す。調べてみると、関西圏では一般的な表現らしい。
また、梅田サイファーのOSCA(別名義:コマツヨシヒロ)が芸人をしていた際、組んでいたコンビ名が「ちゃりんこ」であることから、そこに掛けた言葉遊びであろうことが推測できる。

また、「ボール」「コマ(補助輪)」「地球」と、Rと相容れなかったものはすべて球体だ。
これについてはまた後で。

続いてHOOKを見ていこう。

生まれたとき、人は誰しも無限の可能性を秘めている。
「天才」とは、学力面や己のラップスキルについての話ではなかった。未来に起こりうる事象から何でも選択できる、そんな赤子を「天才」「神童」と呼んでいるのだ。

そんな天才たちは世の中に揉まれていくうちにどんどん角が取れて世間に適応していき、「似たような形に整えられて」しまう。
人間を形で表すとしたら、Creepy Nutsはふたりともまだ形が歪なままだ。
入り組んだ選択肢の中から悩み抜いて、厳しい選択肢を歩いてきたという自負があるのだろう。だからこそ、まだすり減ってはいない。
茨道で削られようと、風の吹くままに直面した選択肢から自分の人生を選択していき、いざその時が来たら全力でカマすのだ。

この文脈での「勝者」「強者」とは、良い大学を出て良い会社に勤めて金を稼いで……ということではない。
あくまで「自分の可能性」を信じ抜けるかどうかが重要なのだ。
赤子の頃から数多くの選択肢を諦め続けてきた。しかし、諦め続けてきたことを自覚した時点で、「勝者」への道は開けている。
ここからもう一度、自分の可能性を信じて「我が身果てるまで」「高み」に駆け上っていくことができるのだから。

「俺たち」「貴方」「かつ」「way」「悩」「カマ」「風まか」「way」「大器晩」「カマせ」「Ey」で[e]、

それと絡んで「め」「だけ悩め」「来たらカマせ」「風まかせ」「いばらの」「大器成」「来たらカマせ」「wanna be」「wanna be」「まだ見ぬ」「高み」「花火」「さだめ」「我が身」で[(ae)aa(i)]でも踏み倒している。
ついでに「たら」「どっち」で[oi/i]でも踏んでいる。

また、「勝者」「強者」「乗車」「のような」「だろうが」「やりきれそう ya」で[o-a]でも脚韻している。

さて、ここでは「似たような形」というフレーズがカギになる。
Verse部分の「ボール」「コマ」「地球」に加えて、HOOKでは「花火」という球体ワードが出てきた。

「サントラ」では

パッと咲き誇り 散ってゆくのか
(Creepy Nuts × 菅田将暉/サントラより)

と自身の将来について歌っていた。今回は、そのリリックに対してアンサーを返している。
花火は、花火玉(=球体)が空で爆ぜて火薬の花を咲かせて散ってゆく。
R-指定は、もし自分の形が整えられて丸くなってしまったとしても、爆ぜて身果てるまでやりきるのだと決意表明している。

つまり、皆と「似たような形に整えられて」も、ただ丸くなるだけでは終わらないぞ、という意思表示なのだ。

Verse 2へ。

「天才」だった赤子は、「分岐点を見過ごして」しまうことで自分の可能性を閉ざし、凡人と化していく。
そして、何も気づかないままなら、死ぬまで自分の可能性を閉ざし続けていくのだろう。

織田信長に例えるなら、いまはまだ「尾張の大うつけ」と言われた頃だろうか。「みにくいアヒルの子」で言えば、まだ自分が白鳥だと気づく前段階だろうか。
果たして、俺は自分の可能性を信じることで「強者」になり、結果として天下人にまで上り詰めることはできるのだろうか。現時点では分かりようもない話なのだが。

ただ、俺はかつて切り捨ててきた自分の可能性がたくさんあることに気づいた。それだけは言える。だからこそ、ゼロから自分の可能性を信じることができる。
もちろん、他人には理解されないこともあるだろう。「青臭いことを言うな」とTwitter上で正論ぶった説教を食らうこともあるだろう。
世間とは得てしてそういうものだ。昔から「出る杭は打たれる」なんて慣用句があるくらいだから。

体」「くつ」で[i]の頭韻。
か場に」「いる」「と」で[a]の頭韻。

「分岐点を」「可能性の」「芽を」で[eo]で踏んでいる。
ちなみに、上の三つの三連符をそれぞれ(1,2,3)に分解したとき、「分岐(1-,3)点を(1-,3)」「可能(1,2)性の(1,2)芽を(1-,3)」と、歌い方が変わっている。
三連符ひとつ取ってもテクニカルである。

「見過ごしてきたんだろうか」「摘んでしまうんだろうか」で[eiauao-a]で脚韻。

また、DJ松永の声ネタである「Woah!」は、後ろの「or」「ほら」で[oa]で踏んでいる。細かい。

「稀代の~」以下三連符ゾーンでは、
稀だいの」「」で[ia]、
「うつけ」「天下び」「アヒルの子」「ほらどうぞ」「ご鞭撻のほど」「とこ」で[(o,)o-]、
世間の」「洗礼を」で[eeo]で踏んでいる。

また、「ご指導ご鞭撻のほど」は、南海キャンディーズ山里亮太が蒼井優との結婚報告記者会見で言ったセリフだ。
オードリー若林とのユニットライブ「さよならたりないふたり」では、このセリフがギャグ扱いされて漫才の中オチになっていた(Huluで見られるのでぜひ見てほしい)。
R-指定が山里を敬愛している点、「さよならたりないふたり」のテーマソングにCreepy Nutsが採用されている点、それに加えて、山里が発売した書籍のタイトルが「天才になりたい(2006)」、「天才はあきらめた(2018)」であり、この曲のテーマとリンクする部分がある点。
以上から、「ご指導ご鞭撻のほど」は「たりふた」サンプリングだろうと考える。

言うなれば、俺はかなり薄汚れたキャンバスだ。別に綺麗に保管されてきたわけでもないし、茨道を通ってきた。アヒルの子のように世間から除け者にされることもあった。
しかし、これからは自分の可能性をみすみすドブに捨てるようなことはしない。フェルマーよろしく「(まだ人生の)余白はある」のだから(注※)。

あることでは人より目立ったり、また他のことでは劣っていたり、そういう凹凸が自分を形づくってくれる。
だからこそ、R-指定は自分の弱い部分すらも愛せるのだ。

キャンバスかなり薄汚れ」「ワンチャンスまだ余白はある」で[a-au/aa/a]で踏んでいる。

ちゃっかり」「目立ったり」「劣ったり」「このへだたり」「とわに」で[(e)aai]で踏みつつ、「劣ったり」「この」「隔たりよとわに」で間隙をぬって[oo]でも踏んでいる。
個人的にはここがいちばん好き。

正しい歌詞では、絵の「キャンバス」ではなく「キャンパス」と表示されていた。これは大学の敷地を指す言葉で、大学のCMソングということもありこのチョイスにしたのだろう。

(注※)
Verse 1で出てきた「フェルマーの定理」。
フェルマーとは、17世紀の大天才数学者であり、48の新しい定理を愛読書『算術』の余白にメモとして書き残した。
フェルマーはその証明を残さずに亡くなり、彼の遺族がそのメモごと『算術』を再販し、後世の数学者たちは血眼になってその定理を証明していった。
その結果、ほかの定理は証明できたものの、一つだけ証明できない難攻不落の定理があった。それが、先述の「フェルマーの最終定理」だ。
フェルマーは、

「私はこの定理について真に驚くべき証明を発見したが、ここに記すには余白が狭すぎる

というなんとも身勝手な名言を残しており、Rはこれを引用したものとみられる。

HOOK2へ。

CMにも使われている部分。
最初のHOOKからは
「似たような形に整えられて/見る影もない」

「何にだってなれたAnother way/まだ諦めちゃいない」
に変わっている。

最初のHOOKで示していない部分を挙げると、韻としては「貴方へ」「Another way」で[aaae]で、
何にだって」「諦め」で[aiae]で踏んでいる。

声ネタは「俺たちへ」のあとに「We!」、「貴方へ」のあとに「You!」という二点が新たに乗っかっている。アホっぽくて好き。

Verse3へ。

宇宙は広い。ビッグバンが起きて以降とんでもない速度で広がり続けて今に至る。
人間だって同じだ。生まれてからこの方どんどん知識を蓄え、見える世界は広がり続けている。そして、新しく出会った物事の前では、老若男女誰もが新人であり続ける。
そんな広い世界にいる自分だから、未知のものに対して些細な過ちを犯すこともある。日本人の粗探ししがちな特性かTwitterの影響か知らないが、そんなことにまでああだこうだと責め立ててくる奴らがいる。
でも、そんなことを言ってくる奴らにビクビクして自分の可能性を閉ざしてしまうのは勿体ない。雑音はシカトしてしまった方が精神衛生上いい。

R-指定自身も、死ぬ間際までずっと「何かの新人」だという(これも、「さよならたりないふたり」で若林が山里に伝えていたことに近いものがある)。
そして、死んだ後もHIPHOPやレゲエに関わってゴンフィンガーをPow! Pow!しているだろうと歌い上げるのだ。

未だに」「銀河」「フレッシュマン」「シカトで」「金輪ざい」「未だに」「銀河」「今際の」「際まで」「フレッシュマン」「come back」「ゴンフィンガー」で[(on)ia(a)]で脚韻。
また、「シカトで」「カマそうぜ」で[oe]でも踏んでいる。

得意な」「お国がら」で[ouia]で返し韻。

くたばり」「草葉の」で[kuaba]で頭韻。

フレッシュマン(freshman)」というワードは高校・大学1年生を表す英単語で、転じて「新人」という意味にも使われている。
前段の「キャンパス」と同じく、大学に寄せた言葉選びだろう。

ゴンフィンガー」とはレゲエ用語で、盛り上がった時に指で銃の形を作って高く掲げる仕草のことを指す。
Pow!」はその時の掛け声的なアレ。

「銀河」は広がるものではない。
膨張するのは宇宙そのものであり、銀河とは宇宙を構成する一要素だ(いろいろ読んだが銀河の進化の過程は未解明らしく、よく分からなかった)。
ただ、文脈としては読み取れるので今回は上記のように読み取った。

(8/28追記)
「銀河」は宇宙を表しているが、「金輪際」はその対となるワード。
「金輪際」は元々仏語由来で「地の底」という意味を持つ。「金輪」が大地の世界で、その果てという意味だ。
つまり、「粗探しをしてくる日本人」は地の底レベルで、「広がり続ける銀河」である俺(R/松永)/お前(リスナー)とは次元が違うということを端的に示している。

そして、「孫の代まで」というフレーズがどうも引っかかった。Rはなぜこのフレーズを選んだのか。
「freshman」があるなら「sophomore」→祖父…?とか、孫がいる→老人→シニア(senior)→大学4年生…?とか考えたのだが、少し無理があろうという結論に至った。
上で無理矢理使った「銀河」というワードと関連した言葉遊び(ex.銀河英雄伝説、銀河鉄道の夜、銀河鉄道999…)なのかと考えたのだが、上手いことバチッとハマる答えは浮かばなかった。
もし何か分かった方はコメント欄にお願いします。

(8/28追記)
「フレッシュマン」は、米XXL誌で毎年掲載されている「XXL Freshman Class」と掛かっているようだ。
「XXL Freshman Class」とは、今後ビッグネームになることが予想される若手注目株のラッパーがリストアップされたもので、歌詞の意味に当てはめると「孫の代/今際の際までずっと最先端を走り続ける」という風にでも言えようか。

HOOK3へ。

茨の道を進むのだから、無傷で済むわけがない。歪な俺たちもその角を削り取られながら、コロコロと転がっていく。
丸くなって似通ったお前たちの尺度では理解できないかもしれない。まあ、無理に理解して貰おうとも思わないのだが。

改めて、生まれたときは「天才」、子どものときは「神童」だった皆へ。
もう一度自分の可能性を信じて明日へ羽ばたいてみようと思わないか。先鞭をつけるため、Creepy Nutsは先に羽ばたいて背中を見せる。
この先、大変な道のりもあるだろう。そんな時は悩めるだけ悩め。そして、その時が来たら矯めた力を全力でカマせばいい。

今までのHOOKで出てきていない韻などについて。

「無傷のまま」「天才だった」「神童だった」で[ioaa]で頭韻。

「いられない」「多面体」「測れない」「測らせる〜ない」で[aeai]で脚韻。
また、「測らせる気もない」「」「One, Two, Three, Four, Five」も[uioai]で脚韻している。

(8/28追記)
多面体」とは、オイラーの多面体定理と掛かっているようだ。
オイラーとは18世紀に活躍した数学者で、現在よく使われる多くの数学の定理を作り上げた人。また、フェルマーの最終定理(a^n × b^n = c^n かつ n≧3を満たす自然数(a,b,c)の組み合わせは存在しない)のn=3の場合を証明した人でもある。
オイラーの多面体定理の説明は省くが、歌詞の内容と照らし合わせると、オイラーとは当時の人の価値観の「物差しじゃ測れない」先進的な人間で、Rはその先進性に自身の存在を重ねて引用したのだろうと思われる。

変わり続けてく多面体」というフレーズは今のCreepy Nutsのスタンスを端緒に表している。
ここまで、「ボール」「コマ」「地球」「花火」と、R-指定は球体のものと相容れなかった。
球体とは、角が取れて丸くなってしまったものの極致だ。「似たような形に整えられて」、「目立ったり劣ったり」の「隔たり」を嫌った結果、球体のような人間になる。
歪なCreepy Nutsも、多少は角が取れた。松永は「悩む相談室」「ANNR」の頃のような過激な発言は控え、メディアに出せるような形に進化した。Rもリリックに放送禁止用語を混ぜ込む頻度は減った。
ただ、それでも重要な部分は捨ててはいない。
HIPHOP畑とは全く戦い方が違うラジオやテレビバラエティでHIPHOPを広め、自身のありのままの生き様を曝す。
その結果が「変わり続けてく多面体」なのだ。

アルバムの〆の曲のラストに、Creepy Nutsは「自分たちを見て、皆もカマそうぜ」というメッセージを発した。
メジャー進出後、『クリープ・ショー』では後暗い過去に踏ん切りをつけて前を向き、『よふかしのうた』では生き様を提示したCreepy Nutsが、今作ではリスナーに向けて自身の背中を見せたのだ。
ここ最近のCreepy Nutsの勢いは物凄い。それに伴い、ふたりは徐々に見えない"格"を上げていっているように見える。
ヤンキーでもオタクでもないふつうの人間の代表、のような立ち位置から、親しみを持たれながらも尊敬される存在になったのは、YouTubeやTwitterのコメント欄を見れば自明だ。
だから、否が応でも曲へのスタンスは変わらなければならない部分もあると思う。今後もそうだ。また時間が経つにつれて良くも悪くも変わっていくだろう。
それでも、Creepy Nutsは自分の可能性を信じて「変わり続けてく多面体」なのだ。
ステージが上がるにつれて変わっていくCreepy Nutsを、僕は今後も安心して応援したいと思う。

良かったと思って頂けたらサポートして頂けると嬉しいです。
次のやる気にめちゃくちゃ繋がります。

今アルバムのほかの曲の考察
(リンクを押すと考察に飛びます)

オトナ

サントラ (Creepy Nuts × 菅田将暉)

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