衣替えとマイルール

暖かくなってきた。
紅梅は咲き、国公立大学の入試結果が発表され、雛祭りはもう過ぎていった。

もうすぐ衣替えの季節だ。
誰にでも年単位のルーティンはあるだろう。
小学生の頃、真冬であっても半袖半ズボンで通す同級生がいた。
「寒くないの?」
尋ねるとそいつらは決まって自慢気に「いや、ぜんぜん寒くないよ!」と答える。

小学生なりのプライドなのか、はたまた本当に寒くないのか。
今となっては答えは見つからない。
僕は、奴らに少し憧れていた。11月までは対抗してみた。
ただ、如何せん八王子は寒い。人より代謝が良く暑がりの僕でさえ、12月になれば寒さを感じるようになる。
トレーナーを着込み、長ズボンに履き替える。
少し判断を誤った年は、すぐにインフルエンザに罹った。僕は病弱な少年だった。

2年前に引っ越した時、母親が納戸から僕の幼稚園時代の出席表を発掘した。そこには年間30日以上体調不良で幼稚園をお休みしているデータがあった。だいたい2週間に1回は体調を崩している計算になる。よくまぁここまで健康に生きながらえたものだとしみじみと思いを馳せる。

中学に上がると、野球部の練習も相まって徐々に身体は強くなっていった。
新宿区の中学に通っていると、「八王子市在住」という特徴は、僕を規定するアイデンティティの中でそれなりの分量を占める。
「山梨」「かっぺ」と罵倒される中で、田舎っぽさ、洗練されていない粗暴さを出してセルフプロデュースすべきだと、朧気ながら考え始める。
そこで、服に着目した。特に意識していたわけではないが、人より代謝が良く暑がりの僕は、半袖のYシャツを常用していた。

一般的に、中央線でケツに「ジ」のつく駅を過ぎるごとに気温が1℃下がると言われている。
高円寺、吉祥寺、国分寺、(西国分寺)、八王子、(西八王子)。
周りより平均して4℃も寒い都市で育った僕が寒さに強いのは必然だろう。

「お前、半袖で寒くねぇの?」
「俺、八王子育ちだから都心暑くて」
「マジかよ」
「お前らが雑魚いんだよ」

あぁ、なるほど。
「半袖を着る」という行為だけで自己規定できるのか。小学生時代、冬に半袖を着込んでいた彼らの自慢気な表情はそういうことだったのか。
ただ、彼らからしてみたら特別何かを意識していたわけでもないだろう。
普段、何気なく行っていたルーティンが友達の注目を集め、称賛される。
小学生がそこまで深く考えていたはずもないが、誰だって褒められて悪い気はしない。

かくして、僕は半袖を着続けた。
中高生はただでさえ代謝が良い。僕は苦労することなくひとつのキャラクターを得た。

大学に入ると、八王子如きでは田舎扱いされなくなった。
北は北海道、南は沖縄と地方出身者も多い。果てにはアメリカ、シンガポール出身者まで存在する。

中三の時に八王子で腰のあたりまで雪が積もって、庭に二人なら余裕で入れるかまくらを作ったんですよ、という田舎エピソードは本物の前では霞んでしまう。

追い討ちをかけるように、大学1年の夏、僕は実家ごと世田谷区へ引っ越した。
天下の世田谷区民だ。もはや「田舎」というアイデンティティは存在し得ない。僕は一心同体の相棒に別れを告げた。

そこで新しく台頭させたのが、「鼻につくシティボーイ」感だ。
ここらへんは本筋と離れすぎてしまうのでまたいつか。

そして、冬が訪れる。
冬服について僕は自分のルールを定めている。
12月になるまでコートを着ない。
年が明けるまでマフラーを巻かない。
この二つのマイルールに僕は苦しめられる機会が増えてきた。

寒いのだ。
幸か不幸か、世田谷に引っ越したおかげで、都心-4℃の寒い土地に鍛えられることはなくなった。
部活も引退し、てんで運動と無縁の生活を送っているせいで、代謝も下がってきている。(ただし夏の発汗量は未だ高止まりしている)
この複合要素から、僕は徐々に寒さに蝕まれてきた。

それでも、長年培ってきたマイルールは簡単には破れない。
もちろん、このルールを破ったところで何も影響がないのは分かっている。
「田舎」というアイデンティティを補強してくれるわけでもない。
そんなことは問題ではないのだ。これは自分との戦いなのだ。
昨年まで自分が暗に下に見ていたものに成り下がる恐怖、昨年の自分より衰えていると自覚する恐怖とも言えるかもしれない。

今日はなんだか寒いな。ニット帽とコートを着ようか。いや、まだ11月だ。負けるな。でも寒いよ。なんでだよ。寒いんだよ。

そんな逡巡を繰り返すこと数日。

着てしまった、コートを。
まだ11月なのに。

これは、下らないことに固執していた自分からの成長、という綺麗事では語れない。
何とも言えない罪悪感に駆られながらも自分に負けたのだ。
大人になり切れるわけでもなく、ガキのまま勝手に敗北感を重ねる。何とも中途半端で情けない。

ドアノブに手を掛け、そのまま押し出す。
予想よりも遥かに冷たい空気が身体を襲う。
僕は一瞬にして後悔を忘れ、さっきの自分に感謝した。

暖かくなってきた。
各地で卒業式が行われ、桜の開花も宣言された。あと10日足らずで新学期だ。

もうすぐ衣替えの季節だ。
僕は、また昨年の自分に戦いを挑もうと思う。負けてしまったら、それはその時考えよう。

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ありがとうございます!!😂😂