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久しぶりの乗り鉄

竹内です。鉄道子ども会の行事ではいろいろなところに出かけていますが、最近自分でどこかへ出かけるということがあまりなかったような。

国鉄時代に国鉄全線完乗していて、その後しばらく放置していたので、あちこち伸びたところにJRでも未乗車区間が残っている。そこでここ10年くらいは、民鉄もなるべく乗るようにしていて、徐々に乗車距離を伸ばしています。年末の間隙を縫って、12月29日に東武の未乗車区間を乗りに行ってきました。

朝早く家を出て、6時過ぎの横須賀線。新橋駅も朝は人が少ないのですね。銀座線に乗り換えて、浅草へ。せっかく来たので、雷門前を見に。まだ観光客もいなくていい感じです。時間があれば浅草寺にお参りをしたいところですが、そこまでの時間はなく、東武浅草駅へ。

東武浅草駅 この2階から電車が発着します

券売機で、これからのる「りょうもう3号」の特急券を購入。一応1号車の右窓側中ほどにしました。通勤電車でもそうですが、乗るときは車両の真ん中あたりを狙っています。揺れ方が車両の端の方とはだいぶ違います。

「りょうもう3号」は車内清掃がちょうど終わったところです。浅草駅の先端部分は大きくカーブしているため、1号車の乗車口にはホームとの間で橋?がかけられています。なかなか見られない光景です。


列車とホームを渡る「橋」これは3号車のもの

反対側のホームには、スペーシアXが回送でやってきました。

スペーシアX やはり人気で子ども達が多く乗っていきました

「りょうもう3号」は定時に出発。次のとうきょうスカイツリー駅に停車しますが、この駅も工事が続いていましたが、ホームの切り替えが終わったようですね。この後は北千住を過ぎて高架の複々線区間を快調に走ります。

200系電車 浅草駅

さて、「りょうもう」に使われている電車は200系電車ですが、車内は昔の国鉄特急によく似ています。前の座席から降ろすテーブルのほかに、座席を向かい合わせにしたとき用のテーブルがあるのは、グループ客を想定してのことだと思いますが、さすがですね。しかしトイレなどは和式で、やはり時代を感じます。

特急らしい座席です
対面にしたとき用のテーブルがあるのはさすが

気が付くと東武動物公園に到着。ここからいよいよ未乗車区間に入ります。関東平野の中を驀進、羽生を過ぎて利根川を渡ると群馬県で館林。その後瞬間栃木県に入り足利市、また群馬に戻って太田、そして終点の赤城まで乗車します。

終点赤城駅で

赤城駅では、上毛電鉄に乗り換え。ここは以前子ども会の合宿で乗車したことがあります。旧京王の3000系がやってきました。

上毛電鉄 715 元京王井の頭線の車両です

西桐生で下車してJR桐生まで徒歩5分ほど。JR両毛線で伊勢崎に向かいます。これは、このエリアの東武線がほぼ1時間に1本しかないため、JRを使った方が約1時間早くなるためです。

両毛線の211系はまだまだ健在

東武伊勢崎線と線名までなっている伊勢崎駅は、JRと共に高架のきれいな駅になっています。しかし伊勢崎には朝と夜の1本しか浅草からの特急はなく、ほぼ毎時特急が発着している赤城駅とは対照的です。

伊勢崎駅から3両編成のローカル列車で太田へ。途中駅から南アジア系の外国の方が多く乗車。今日から工場がお休みなので、街に買い物や遊びに行くのでしょう。みんな楽しそうです。

伊勢崎線のローカル 3両編成です

太田駅で1時間ほどの乗り継ぎ時間がありますので途中下車。近くの太田郵便局を目指します。郵便局の向いが市役所ですが、なにやら飾り付けとTVの中継車が来ていました。どうやら市役所が元旦のニューイヤー駅伝の中継所になるようです。楽しみですね。

SUBARUの横断幕が出ています

郵便局に行くのは、旅行貯金をするため。今日(12月29日)は平日なので、窓口が空いています。さて、と窓口に行くと長蛇の列。係りの方によると、海外への送金手続きなどが集中していて、かなり時間がかかるとのこと。やむなく断念して駅に戻ります。

太田は自動車会社のスバルのおひざ元。街もまずまずの規模で繁華街というか飲み屋街も充実。また駅構内にはコミュニティーFMのスタジオがあり、放送中でしたので、ブースの外から手を振ったら、しっかり放送に生かしていただきました。

太田からは、赤城始発の東小泉行に乗車。小泉線の運転系統は、赤城ー東小泉、館林ー西小泉に分かれています。東小泉で接続が取られています。太田から東小泉の間に竜舞(りゅうまい)駅があり、来年の干支にちなんだ駅名なのですが、記念切符なんかは出ないんでしょうかね。※駅名表も取り忘れましたが。東小泉駅で、向いのホームで西小泉行に乗車。二駅でで西小泉に到着しました。

西小泉駅に到着した2両編成

西小泉駅といえばブラジルタウン。この地域は日系ブラジル人が多く住んでいる地域で、ブラジル料理のレストランも多くあります。今回の旅の目的の一つにブラジル料理を食べることも考えていたので、駅から比較的近くにある「レストラン ブラジル」に向かいました。

西小泉駅の駅舎 どことなくブラジルカラー

レストランでは、定番の「ピッカーニャ」(牛肉のステーキ)とフェジョンという豆料理を頼みます。やはりお肉はブラジル式に限りますね。おししいです。

レストラン ブラジル
ピッカーニャ にんにく添え

街は、以前はブラジル一色でしたが、多くのブラジル人が帰国してしまい
、今は南アジア系の人が多くなっていて、そのようなお店が増えている感じです。

西小泉駅は、唐突に終点になっていますが、その先も広い道路が続いています。これは戦中に利根川を渡って対岸の妻沼を通って熊谷までの線路を建設していた名残で、昔は利根川には橋の土台も残されていました。川の反対側に建設された東武妻沼線が廃線になったのは、昭和の最後のころですね。

熊谷から妻沼までは開通しましたが、妻沼ー西小泉間は完成しませんでした

さて、西小泉から次の折り返しの2両編成のワンマン電車に乗って館林に向かいます。館林からは佐野線に乗車。こちらも2両編成のワンマン電車で、終点の葛生(くずう)を目指します。途中の渡良瀬(わたらせ)川を渡ると栃木県です。JRとの接続駅佐野を出るとぐっと山が近づいてきて、ローカルな感じになります。

山が迫ってきています 分岐の先が長いです

葛生は昔から石灰石の産出地で、東武は昔からこの石灰石輸送を行っていました。佐野線の駅は、待避線の長さがかなり長いことが多いのですが、これは過去に貨物列車の行き違いをしなければならなかった名残のようです。構内が広い駅は、入れ替えなどに使っていたのでしょう。

終点の葛生駅を降りて、近くの郵便局へ。今回は何事もなく、旅行貯金に成功です。私は1回100円を貯金して、通帳に「局印」というゴム印で郵便局名を押してもらうようにしています。そんなに頻繁にはできませんが、時間のある時は街を歩く楽しみもありますね。

葛生駅の駅舎

葛生駅から先にも、昔は貨物線が伸びていて、石灰石などを輸送していました。比較的最後までSLが走っていたようで、結構写真を撮りに行った人も多いようです。

葛生駅の先には、以前貨物線が何本も走っていました

葛生からは館林に戻ります。いい時間に特急「リバティりょうもう」があったのですが、全席満席。見ると3両の短い編成でした。残念!

乗れなかった「リバティりょうもう」は3両編成でした

なかなか乗りつぶしができなかったのですが、久しぶりに一日楽しんできました。ちなみに家に帰ってから、家内が「家の掃除もしないで、どこほっつき歩いていたの!」と角を出していました。。。。(怖!)