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官能小説「ナルキッソスの咲く丘に」

自分自身とセックスがしたい。
己の理想を詰め込んだ肉体を、理沙子は愛していた。けれど、マスターベーションではその願いはとうてい叶わない。ただ気持ちよくなりたいわけではないのだ。趣味嗜好を詰め込んだ世界で快楽を貪りたい。ディルドなどの玩具は理沙子の美観が許さなかった。誰か自分に瓜二つの理想の人間が現れたら、この願いを叶えられるのにと思っていた。けれど、そんな偶然がないことも理沙子はとうに思い知っていた。

理沙子は今年、三十歳になる。まだ肉体の衰えは感じない。長く伸びた黒い髪は艶やかに輝き、細く長い手足から赤く塗られた爪の先まで手入れは行き届いている。身体を埋め尽くすタトゥーは理沙子をより浮世離れした存在たらしめていた。ナルキッソス、と呼ばれるほどに、暇さえあれば鏡を覗き込んでいた。1ミリでも劣化するなんて許せなかった。そのために理沙子は一日一食だけの簡素な食事を自身に強いており、鋭く尖った爪や睫毛の維持のために昼間の仕事だけではなく、夜も働いていた。すべてを犠牲にして美を得ている、と言っても過言ではない。そのため理沙子には友達と呼べる人物がほとんどいなかった。理沙子がスマホを手にとるとき、それはLINEや電話のためではなくSNSを眺めるためだけであった。

恋人が欲しい、と思ったことはない。理沙子にとって恋愛はマイナスな局面しかみせてくれなかった。ただ、肉体の内奥に秘めたる欲望を果たしたいと願っていた。快楽に溺れ、昼とも夜ともなしに犯されたい。自我を失くすほどに弄ばれたい。そしてそのまま、首を締め上げ殺して欲しい。醜く朽ちるその前に。

ある晩、いつものようにSNSを眺めていた理沙子の目に大きな蛾のタトゥーが飛び込んできた。太い胴体にくすんだ羽根を持つそれは美しいとは言いがたく、けれどそれは持ち主の首に彫られていた。痺れる。理沙子は夢中になってその蛾の飼い主を探した。その先がみたい、と思ったけれど、SNSにアップされていたのはそれだけだった。
醜い、と呟いた後で理沙子はそのアカウントをフォローして画面を閉じた。たくさんの蛾が自分を覆い尽くす様子が脳裏をよぎる。重なる醜悪な羽根を想像しながら、理沙子はマスターベーションを始めた。ネイルで傷つけないようにそっと秘部に触れる。既に熱く熱を持ったそれは蛾と同じくらい醜いと思った。
わたしが醜い?
ハッとして理沙子は飛び起きた。黒いショーツは粘りのある体液で濡れていた。蛾の体液は何色だろうか、そしてその蛾を持つ主人はどのような人物なのだろうか。空気が生温く不快に感じた。もうすぐ大嫌いな夏が来る。

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