【むかしのはなし】勉強の話

 今も大して痩せてはいないが、もっと丸かった昔は運動が嫌いだった。
 反面、勉強はちょっとだけ出来た。大体教科書を読めば分かったし、分からないものも勉強したら解けた。
 多分、その頃は『勉強』が好きだったと思う。
 テストで良い点を取って「凄い」と言われることは気持ち良かった。それくらいしか取り柄がなかったのもある。

 中学一年の頃だった。
 五つ下の弟は勉強が苦手で、あまりのある割り算に苦戦しているのを見て「なんでできないんだろう、ばかだなぁ」と思っていた。
 今にして思えば噴飯ものである。でもその時は本当にそう思っていた。
 中学校に上がって勉強に順位がつくようになった。 
 その頃はインターネット黎明期で、ホームページが普及し始めた頃だった。
 作ってみたい、と言ったら、「学年一位を一回か、クラスで一位を五回取れ」と言われた。
 小学生の頃まで、「結果ではなく過程が大事」と言っていた親だったから、なんでいきなりそんなことを言うのかわからなかった。
 わからないなりに、クラスで一位は取っていた。 

 きっかけはなんだったか分からない。確か「なんでこんなのもわからないの」というようなことを言った時だった。
「少し勉強ができるからって調子に乗るな」
 母は冷えた声でそう言った。
 似たようなことを父も言った。
 私に「勉強ができること」を求めた親がそういう理由がわからなかった。
 その頃にはしんどくて、左手首の薄皮を切ることを覚えた。痕の残らない薄い引っかき傷を沢山作って、その内のいくつかは思いのほか深く、残った。
 三つ下の妹の時も、ほしい物を勝ち取るために学年一位を、の制限はついた。
 確か妹の時は携帯だったと思う。
 妹はクラス一位を五回取れなくて、その時に両親が「一位は取れなかったけど、頑張ったから許してあげて」と言ってきた。
 高校に入って初めて持った携帯だった。貴方の時とは時代が違うから、ということだった。
 わからなかったけど、頷いた。
 噛みついたら怒鳴られるだけだと、その頃にはもう理解していた。
 末の弟の時は、ついぞ、そんな条件は付かなかった。
 そんな私達を、両親は「平等に育てた」という。
 一体何が平等だったのか、今でもわからない。
 何回か、「どうして私の時はあんな条件がついたのか」と聞いたことがある。
 返ってくるのは「貴方はできる子だったから」「もういいじゃない終わったんだから」で、理由にはなっていなかった。

 高校は絶対評価だった。
 点数を取ったらとった分だけ評価されるのは分かりやすかった。
 少なくとも、気分でかわる物差しよりはずっと安心できた。
 化学が楽しかったので文理選択で理系を選んだ。
 物理と数学Ⅲは最後まで理解できなかった。
 親元を離れる為には遠くの大学に行くしかなかった。
 勉強は、ここに来て武器になった。
 ここでも「できるからって調子に乗るな」と言われるのが分からなかった。できるように努力をして、その努力の成果だった。
 でも、私が進学校で取った数学Ⅱの八十点よりも。
 中学校の弟の、五十点を親は褒めた。
 学校の絶対評価は、安心した。
 
 
 大学は後期で地方の国立大に受かった。
 父方の従兄達の中では、偏差値というものは一番高かった。
 そんな私を、父は「誇りだ」といった。
 何を言っているんだろうなぁ、と思った。
 あぁ都合のいいトロフィーだったんだなぁと思った。
 私が必死で研いだ武器でさえ、この人達は良いように使うんだなぁと思った。

 勉強は、その頃には、あんまり好きではなくなっていた。

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