考えるということ


大学まで出ても、考えたことがほとんどない人々の運命
外山 滋比古 お茶の水女子大学名誉教授
2019.4.12
日経ビジネス2019年4月15日号 5ページより



こういうコメントをすることは残念です.

「高齢者は自決すべし」という,知性・知識・常識のカケラすら無いチンピラの暴言騒ぎがありましたが,好意的に見ればそこにも「泥棒の…理」に類する点はあるでしょう.

同じパターンはあちこちにあり,マスメディアのこの記事もそうでしょう.インタビューを受けたのでしょうか,名前の出ている先生は(上記のチンピラと違い)おそらく業績のある方で,高齢の故今回の記事が勘違いの読まれ方をしたとしても文章の雑さを朦朧だなぁと見られる程度で,非難されることはないでしょう.

しかし,インタビューをさせた責任者はそれこそ「自決」すべきでしょう.このアウトプットは余りにも迷い道があり過ぎ,頭の弱い読者を勘違いあるいは路頭に迷わせる.

そして一言追加.引退した人を安直に引っ張り出して利用すること勿れ.

【知識・考える・知識偏重】

昔々は,知識などは小学生がうつつを抜かすことであって,高校生以上は,考えることが常識でした.

それがあっという間に,受験勉強を効率的にやり遂げ少しでも偏差値の高い大学・学部へ合格するための 知識偏重モードの世の中になってしまいました.そして今頃になって文科省の新しい学習指導要領のウリが探求学習….

ところで,良き時代には,つまり考えること・調査研究のための便利なハンドブックとして梅棹忠夫の本とか世界的にも評価されるべきものが出ていました.

その後,知識偏重モードの流れに乗って無事大学に入った連中向けでしようか,似て非なるものとして,たくさんのハウツー本,しかも役に立たないそれが雨後の筍のように出てきました.大学生になって初めて考えることに直面しても手遅れでしょう.それらは当時のコーラの程度の新鮮な清涼感として役立ったか違和感だったかしりませんが,それで終わり.

【知識・実行】

記憶がかなり薄れてしまっているのですが,梅棹他で納得して止めていれば良かったのですが,その種の本,その後も漁っていました.この人物の本も昔読み,それらの中には気になる論点を興味深く取り上げていたのもありました.しかし,時間がかかりましたが,気が付きました.結論が実は曖昧で霧の中に消え役に立たない.で,読むのを止めました.それをこの記事で思い出しました.

そういうわけで,このコメントを書くことは私自身の昔の馬鹿さ加減,かなりの時間を無駄に過ごしたことの白状でもあり,恥ずかしいことです.

しかし,まだ売れてると言われているので,出来れば,このコメントを読んだ人が,私の費やした無駄な浪費時間より短い時間で足を洗われることがあれば,そういう形で役に立てば,このコメントを書いた価値が出てきます.

最初に断っておくべきでしょう.この人の言う「知識」は科学的知識ではないし,科学的精神にも関心が無いようだ.これを踏まえないで読むと,内容は戯言になり,読んだ人は路頭に迷う.

【考える・創造・問題意識】

私が『思考の整理学』を書いてから…ずいぶん時間がたちました…書いたのは、すべて自分で考えてきたこと…伝えたかったのはまさに自分の頭で考える大切さです。学校での教育は…小学校から大学まで学び続けても、多くの人は「考えたことがほとんどない」のです。

その通りだとしても,では,自分の頭で「考える」とは何か?

身につけた知識は、もちろんさまざまな点で参考にはなります。…だからといって、いつまでも覚えておく必要はありません。…もっと言えば、知識はどんどん忘れてしまって構いません。…忘れてもよいと思いながら忘れられなかった知見によって、そこから新しい思考やひらめきが生まれます。こうして考えるのでなければ、真に創造的なことはできません。

少し違うと思う.知識は「参考」になるものではなく役に立つか立たないか,どういう場合にどの程度役に立つか,それ次第.

それと,「身に付けた知識」とか「創造」とは何か,は置くとしても,曖昧すぎる.

仕事に絡む以上,あるいは真剣なことであれば,「忘れてもよいと思いながら忘れられなかった知見」などという軽いものはそもそも問題外.

問題意識という言葉を知らないのだろうか? 忘れてもよいのではなく,重くのしかかって逃げたくなるほどだろう.でも逃げられない,足掻く,解決しない,突然・偶然,松明と細い道とビジョンが見えてくる….創造という以上これが普通だろう.

【考えるとは? 金融機関で必要なものは? 】

この人たちはA I以前にコンピュータのことも殆ど知識が無いのだろう.ならば黙るか勉強するかどちらか.

知識という点ではどれだけ優秀な人でもAIに太刀打ちできないからです。

知識の定義次第だが,AIあるいはコンピュータを出すならば,知識ではなくデータベース特に知識DBという言葉を出すべきだろう.それを知らないようだ.

一昔前までならば大学を卒業する、特に文系学部の学生にとって金融機関は魅力的な就職先であり、優秀な人材の受け入れ先となってきました。これは金融機関が知識を最も生かせる場だったからでした。ところが今や金融機関では、仕事の大きな部分がAIに取って代わられよう

金融機関で必要だったものは理系・文系には関係無かった.高度経済成長期もバブル期もその後も営業が第一だったはず.その後は金融工学系か.従って文系の知識が重要とかそれがAIにとって代わられるとかは筋違い.定型的な単純知的労働が取って代わられること.

想像力を飛行機になぞらえて「自分で翔(と)べない人間はコンピューターに仕事を奪われる」と書きました…。これからはAIと知識で競うのではないあり方、つまり考えることが大切です。

何のことか具体的に,その入り口すら分からない文章.

「これからは」という意味では,イメージとしては一種の問屋性家内工業の復活かもしれない.違いのメインは,親方が道具の熟練労働者ではなく,AIツールの熟練知的労働者.人間のアシスタントも付くだろう.

【考える力・ひらめき・成功】

忘れてならないのは人間が本来、考える力を持っていることです。…本来持っている能力を生かしていけばいいのです。

間違いではないが,「考える力」は鍛えなければ使い物にならない.

自分で考え失敗することで、人はひらめき、成功にたどり着くことができるのです。

「ひらめき」「成功」,それぞれ一歩前にまでに到達するに何歩必要であろうか,どれほど壁があることだろうか? そして大事なことは成功するとは限らないこと.

ここで初めて,楽観的なことと場合によってはアッサリ撤退することが大事となる.


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