見出し画像

行列を成して練り歩くということの一考察

かつての北大仮装行列

私が大学に入った年は、まだ北大祭の仮装行列が盛んだった。
当時は教養部制で、文I系から理III系、水産、医進、歯進に分かれていて、それぞれクラス分けがされていた。文I系から順番にクラスの番号を決めるから、60組くらいあったのかな。それで、クラス毎に教養部の周辺を使って張りぼてとかを作った。

当日は、クラス毎に北大のメインストリートの北の端から北12条門付近までずっと列になって、札幌の中心部をねり歩いた。
なんでか知らんがうちのクラスは「世界の歴史」か何かがテーマで、私はガリア人の役があたり、液体の洗濯のりで髪を逆立てて貫頭衣を着た。それでモアイの張りぼてを担いだ。

同じクラスのカップルが結婚して、家の居間にその時の写真を飾ったため、子どもたちは当時18の私が奇妙な恰好をしている写真を見て私を知ってるとかで、あいつら、何してくれてるんじゃ。おのれ。奥さんの方は、学ランを改造した軍服を着て、恰好いいと大人気だった。
旦那は私と同じガリア人。

今は仮装行列もごくごく少数が歩くだけで、ニュースにすらならないが、当時の大盛況は、バブルだったからってだけではなかった気がする。

恵迪寮の寮祭で、寮生が赤フンで街中を歩くのもなくなったのだったか。

でも、そういうエネルギーが、のちのよさこい流行りに繫がったのではと思ってる。

ふんどしの種類やら分布、用途に特化したサイトで調べた限りでは、北大の伝統の赤フンの締め方は、ちょっと特殊だ。
基本的な締め方は六尺ふんどしなのだが、祭りなどでも見るように、六尺ふんどしは前袋が丸見え。
北大の締め方では、前垂れを作るので直視を避けられる。ちょっと珍しい形式だ。

全国への「古くて新しい」祭りの波及

ちなみにその赤フンで有名な、YOSAKOIソーラン祭りのチーム「北海道大学"縁"」では、ポロリは厳禁とされていて、安全ピンとかで結び目を固定するけれど、数年に一度は「事故」が起こって怒られるそうな……。
あれでパレード5本、着ては脱ぎの演出をアドバイスしたのは三浦先生だと聞いたなあ。

「あれは何の祭りなんだ」と、醒めた人達は、大学の同期も含めて言うけれど、貴様もガリア人で髪の毛固めて街中歩いただろが、とツッコミ返したい。
神々ではなく、「人の祭り」なのだと高知のよさこい祭りでは言っている。
若者中心になりがちだが、何かしらの発散の場が、今は全国で同じような形式で流行っているが、かなり昔からそういった場は設けられてた。

ええじゃないかもそうだけど、風流踊りを始めとして、長くは残らなかったものの、賑やかに踊る「祭り」が、歴史上には散見される。江戸でも、流行り廃りが早いものの、いくつもの踊りなどが文献に残っている。
そういうのでは、比較的長いのは阿波おどりか。

みんな大好き「博多通りもん」の由来


博多どんたくは、元々は博多松囃子の後ろに「通りもん」と呼ばれる、思い思いの扮装や「作りもん」と呼ばれる飾りなどを携えたりした人達が、ぞろぞろ行列してねり歩いた。
そして「通りもん」の一部が酒飲んで暴れたりしてそのへん壊して福岡奉行所に捕まった記録まで残ってる……。
今はどんたくにもよさこいのチームが参加してるけど、そういう意味では歴史通りともいえる。

博多松囃子は起源がはっきりしておらず、確実と思われるところでは、織豊政権の頃に博多から名護屋へ、江戸期には博多から福岡城まで、博福の街中を祝福して回る年賀行事だった。
華やかなパレードだったのだ。

「行列」という形式

行列形式で何かしらをアピールする、というのは、神仏がどうの、伝統がどうのを超えて、世界の歴史上に度々登場する儀式だったり、民衆の娯楽だったりのひとつだ。
デモ隊も一応行列だなあ。
なぜ似たような形式になるのか解らないが、札幌の、普段びゅんびゅん車が走ってる大通の真ん中に立つと、その非日常感に、何かしら高まるものを感じる。

ハレ、という言葉では、ちょっと説明が足りないような気がする高揚感。
活字の上での「ハレ」論に終始する研究者は、一度その感覚を実地で味わってみるといいと思う。
式次第が伝統的な上下関係で決まっている神事よりも、大路を練り歩く「常ならざる者」のひとりとして。


もしサポートしてもらえるなら、ぽちっとお願いします。