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Apple初心者の苦難

『神はまずアプリを作られた。
然る後にデータを作り、それらを専用のものとしてが開かれた。
そのため別のアプリからは見られないよう、ルールを作られた』


『まずは多様なデータがあった。
それらはどこからでも見られる箱に入れられていた。
そこで人々は自分の使いやすいツールでそのデータを自由に開いた。
そして全ては共有された』

これがiPadを使ってわかったことです。
もちろん前者がiOSで、後者がAndroidなどのことです。

よく「卵が先か鶏が先か」と言いますが、それは優劣がつかない時の例えです。
しかしデータとアプリについてはこの思想の違いはユーザーによって明確に差が生まれます。
DOSから入った私にはディレクトリという概念が染み付いており『なぜ他のアプリから見えないのか』が理解できません。
ファイルは共有されるから意味があり、作業がやりやすいというのに。
AというアプリとBというアプリでは得意分野が違うわけなので、行う作業によって2つ以上のツールを併用するのは当たり前だと思うわけです。

しかしそれより「一つのことは一つのアプリの中に留めておくことで、混乱を避けさせるのだ」「複数のアプリからのアクセスを禁じることで、データの保護ができる」という設計思想の方が「初心者にとってミスが起こりにくくて良い」というのは分かりはするのですが、一度自由さを知った後だと不自由すぎて非常に困ります。

iOSとは『データを扱うものではない、アプリを使うためのハードだ』ということなのでしょうか。
せめて「初心者向けセーフティモード」と「自己責任モード」を切り替えられたら良かったと思います。

ここのところiPad miniをつかっていて、ふとAndroidタブレットに戻ったときに上記のようなことを思いました。

ゲーム業界に身を置いたのは、はるか昔…… ファミコンやゲームボーイのタイトルにも携わりました。 デジタルガジェット好きで、趣味で小説などを書いています。 よろしければ暇つぶしにでもご覧ください。