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最近のAIの進化にふと思ったこと

AIの進化がすごいですね。
もう「シンギュラリティ」なんて言葉で危惧していた時期が昔に感じるほどです。
最近ではAIによる自動コーディングができるようになり、プログラマ不要説なんてものまで出てくる始末です。
しかし不要になるのと同時に必要になる職業も出てきます。
今の所AIはそれ単体で完璧ではありません。
むしろ「進化した道具」なのでツールを扱う人間の手腕が問われるわけです。

例えば最近一番一般的に目にするであろうAI製画像。
私も無料なものを試しましたが、ここで重要なのは「プロンプト(指示書)」です。
私は絵が描けないので、代わりにAIに作ってもらおうとしたわけですが、脳内で思い描いた情景を再現させるのはかなり困難です。
「プロンプト」を駆使して、ちょっとずつ望みの画像に近づけて行くのは「調教師」のようでもあります。
音楽(レコード/ディスク)を自在に乗りこなす人を「ディスク・ジョッキー=DJ」というように、AIを乗りこなす「AIジョッキー」「電脳ジョッキー」というべき職業が専門性を持つのではないでしょうか?

あれ「電脳」「ジョッキー」と書いていて昔のSF小説を思い出しました。
それは「カウボーイ」という単語。
AIってウィンターミュート?
……そうです!
ウィリアム・ギブスンの「ニューロマンサー」シリーズに出てくるハッカーたちを「カウボーイ」と呼んでいました!
彼らも作中ではAIたちを出し抜き、望みのデータを自在に抜き出し、改変する技術を持った存在でした。

結局状況が変われば、それを専門的に使いこなす職業が生まれるということではないでしょうか?
恐れるのは、その新技術についていけない人たちなのでしょう。

話は変わりますが

私自身、ゲーム業界で30年ほど生きてきました。
30年でゲームハードは進化し、その機能をフルに使うことを求められた結果、今では2Dゲームより3Dゲームが普通になりました。
デザイナーもプログラマーも今までとは違う技術が求められるようになり、幾人ものスタッフがついていけずにやめたり別業種に転向していったのを見ています。
私自身、シナリオだけでなくスクリプトによるデータ作成も行っているのですが、スクリプトもかなり複雑になって来ました。
昔はスクリプトも会社で用意していたのですが、今やUnreal Engineなどをそのまま使うようになってきました。
過去に覚えたスクリプトは新しい環境を覚えるのに、実は足かせになったりします。
データの構造の考え方が全く違うので、今まで作りなれた思考の「〇〇すれば□□になるはず」がミスを生むようになってしまうわけです。
50を過ぎて今まで覚えてきたことを「無かったこと」にして「新しいことを一から」覚えなければならないのは、けっこう大変です。
だから「AIは危険だ! 我々の仕事を奪う!」というのはわからなくもないです。
しかしこれはAIに限ったことではなく、手作業で行ってきた農業に、農耕機が登場したときにも農耕機を運転する技能を持たない人は差をつけられたことでしょう。
未だにスマホが使えない人は現代の便利なサービスを使えないでしょう。
それが嫌なら「覚える」か「今のスタイルを貫いて先細りする」か「見切りをつけて諦める」かの三択です。

主張がとっちらかりましたが、技術の進化は止められません。
ですが技術は「道具」です。
道具である以上、「オペレーター」が存在するわけです。
これからAIがどんな社会を作るかを見極め、乗り遅れないように行動することが大切なのだと思います。

ゲーム業界に身を置いたのは、はるか昔…… ファミコンやゲームボーイのタイトルにも携わりました。 デジタルガジェット好きで、趣味で小説などを書いています。 よろしければ暇つぶしにでもご覧ください。