日常的な地獄の話。

小さい頃から近所に叔母が住んでいた。近所に住んでたということもあり、僕は幼少期からよくそこへ遊びに行っていた、と記憶している。

叔母は僕の従兄弟にあたる娘と二人で住んでいた。旦那とは、遥か昔に離縁していたので僕はその人を知らない。

叔母は公務員であり、女手一つで娘を育てるとても気骨な人だった。また、甥っ子である僕の面倒もよく見てくれる優しさも持ち合わせていた。

そんな叔母は近所からも評判の真面目で優しい人物である反面、実はとてもヒステリックで考えの浅はかな人でもあった。

僕の祖父はべらぼうな資産家だった。戦後の復興期に一代で富を築いた成金で、戦地で身につけた度胸と商才を持ち合わせた怪物みたいな人だった。その祖父は自らの貧乏だった幼少期への反発もあって、子供である叔母と叔父と私の父をとても過保護に甘やかして育てたようだった。

それは自らが戦争時代を生きて悲惨な経験をしたからこそ、子供達に苦労はさせたくないという純粋な気持ちではあるのだが、どうにもこうにも教育という観点からは間違えたように思える。

その甘やかされた環境を仔細に書くと僕自身もイラついてしまうので割愛するが、とにかく幼少期から欲しいものはなんでも買い与え、社会に出てからも家賃収入だけで暮らせる不動産を与えるという、努力や我慢を全否定するかのようなオートマチックぶりだった。

そんな環境で育った人間は、やはり社会で生きていく上で必要な感覚が欠落する、叔母は社会で生きていく上での忍耐というものがまるで欠けていた。

でも、その忍耐なんてものはお金で解決できてしまうのだ。裕福な家庭で育っていれば、おおよそのことは我慢せずに済む。欲しいものが買える環境に生きていると、欲しいものが浮かばなくなるのが人間の性(さが)なのだ。

祖父が亡くなってからも、祖父の残した莫大な遺産のあった我が一族はそれなりに裕福に暮らしていた。

ところが、僕のnoteやツイッターを読んでくれてる方はご存知かもしれないが、我が家は僕が中学生の頃についに破産をしてしまった。バブル崩壊後の日本経済の衰退に飲み込まれて、我が一族は祖父の残した全てを失ってしまったのだ。

しかし、そんな時にも公務員であった叔母はその煽りを一切受けることなく平穏に暮らしていた。そして、逆に本家のピンチを知った叔母は軽い気持ちで祖父から受け継いだ資産を本家の会社に貸したりしていたのだ。

ところが、やはりというべきか、叔母の貸したお金は一瞬で溶けてしまった。祖父の作った会社を潰すまいと叔父も踏ん張ったようだが、全てはバブルの泡と共に弾け、露と消えてしまった。

これは僕が中学の時の出来事だ。僕は、その日から漫画の世界のような貧乏生活を味わうことになった。でも、それは仕方のないことだった。事実、当時は親戚一同で誰もそのことを責め立てなかった。元々が裕福すぎたのだ。これからは普通の暮らしに戻るだけだ、と。

そういった経緯から当時、叔母が叔父と私の父に貸したお金(元々は祖父の遺産)は綺麗さっぱり無くなってしまったが、それは仕方ないこととして有耶無耶に片付けられていった。

それから時は流れ現在。叔母は76歳になった。そして、ここ2、3年で急にボケ出してしまったのだ。

元々があまり利口にできてない叔母は、思い込みが激しく、思慮分別もない上に世俗に疎かった。そういった積んでる脳みそ自体も劣悪品な所に経年劣化が重なってしまったのだから始末が悪い。完全に事実と妄想が悪い塩梅に混同され、その中で自分に都合のいい部分だけをピックアップしてしまうというモンスターへとなってしまった。

完全にとち狂っている。昔であれば間違いなくキチガイの烙印を押されていると思われる。とにかく思い込みの中で完全に叔母は、叔父と私の父に金を騙し取られたと勘違いしているのだ。

夜中だろうと朝だろうと我が家の電話は鳴り続けた。母が電話を取ると金切り声で叔母は金を返せ!とわめき散らす。それに困憊した母が卒倒するように泣き崩れ父に電話を代わる。父はその叔母に、いつまで訳わからんこと言ってるんだ!お前にはビタ一文返す金などない!いい加減にしろ!と怒鳴り散らす。完全な地獄絵図だ。

そうすると、痴呆とヒステリックと頭の弱さが絶妙なケミストリーを起こしてる叔母は更にとち狂い、我が家に押し掛けてギャンギャン叫びながらチャイムを鳴らして、ドアを叩く、完全なるキチガイだ。

そのあまりの醜態ぶりに、元々癇癪持ちでDV癖のある親父はついにブチ切れて叔母を張っ倒してしまったらしい。老人が老婆を打擲で黙らせるなんて悍しい限りだ。この惨憺たる状況を母親から聞かされた私は、なんだか一周回って他人事のように感じてしまい、思わず笑ってしまった。

と、言うのも私は父親と馬が合わずに、二年ほど前から家族とは完全に絶縁状態なので笑っていられるのかもしれないが、、

まぁ、状況としてはこんな感じであって甚だ恥ずかしい限りなのだが、これはもう仕方のないことだと割り切っている。

実際に私のケータイにも叔母からしょっちゅう電話が来る。もちろん狂人に付き合うほど暇ではないので、イッツオートマチックにそれらは留守番電話サービスにぶち込まれるのだが、たまにその音源を聞くと頭を抱えてしまわずにはいられない。

私の金をかえせ(俺は1円も借りてない)

あんたまで私を無視する。散々面倒みてやったのに(特に世話になった覚えはない)

あんたは親父に似て薄情だ(一理ある)

私はもう死にます(お疲れ様でした)

このままじゃ死んでも死にきれん(頑張ってください)

別にいいのだが、叔母がボケる前に私は随分と面倒を見てやったり、病院の送り迎えをしてやったり、たまに飯に連れていってやったりしたのだけれど、その辺は都合のいい呆け方で全部なかったことになっているらしい。見返りが欲しくてやったわけではないので、全くもっていいのだけれど。

更に言うのであれば、叔母は唯一の一人娘(私の従兄弟で私とは仲が良い)とも絶縁なのである。この叔母の度重なる狂言とヒステリックと暴言で従兄弟は体調まで崩してしまい、家を出ていってしまった。それくらい叔母は常軌が逸している。

今まで、色々と叔母が呆けていると書き連ねてきたが、普通の老婆は呆けてもこうまでなるまい。ましてやうちの叔母は認知症検査の結果はまだまだ軽度だったらしい。いわゆるこういった品性の悪さ、底維持の汚さ、自己中心的な思想とは、呆けによって如実に出てきたその人の本性なのだと思う。これが私の叔母なのだ。

私はいつだって人間関係に公正でいたいので、一度叔母と叔父と私の父の間の金銭のやりとりを調べたことがある。詳しくは書かないが、これは貸したと言うよりも、祖父の作った会社に貸付けたのであり、叔母が貸したと主張するお金の弁済義務は叔父にも、もちろん父にも一切ない。またその貸付けをした叔母の金も、祖父の遺産の一部であるために、祖父の会社を潰さぬように当時は納得してだしたお金であるようだった。

これがなぜか20年以上の月日が経ったある日に急に返せと言う騒ぎになっているのだ。(そもそも債務は5年間放置すると無効である)

なにがどうなって、そんな狂った話になっているのか、よく分かりかねる。本当によくわからない。

そして、今も叔母は現在進行形で自分は騙された。金を踏み倒されたと近所中の人に言って回ってるらしい(叔母は完全に狂人なので誰も信じぬだろうが…)

長々と書いてきたが話をまとめると、結局この狂った叔母は、私と血の繋がっている紛れもない叔母なのだ。

そして、痴呆により理性がなくなり赤子のように喚き散らす叔母の愚行は、私にも確実に遺伝している。更に前述した通り、この狂った叔母を暴力でねじ伏せた父の血もまた私には入っているから困ったものだ。

こういう血縁者の愚かな行動を見るたびに、私は私を見つめているような気になる。そして、元々マトモだと思ったことは一度もないが、改めて自分って人間を低く見積り直さざる得ないのだ。もうこれ以上低く見積もると私はウンコにも負けてしまうかもしれない。。

世間では鬼滅の刃の映画がが大ヒットしている。劇中で鬼殺隊の炎柱である煉獄杏寿郎が「老いることも死ぬことも儚い人間の美しさだ」と語るシーンは大抵の人の心を打つだろう。でも私のような境遇だと素直に感動しかねるのだ。

私にも素晴らしい出会いはたくさんあり、人生を照らしてくれるような人もいた。その人に会うことで、人間を賛美の心で見ることの大切さも学んだ。確かに信じてあげることで人は強くなることもある。

でも私の叔母や私の父はどうだろうか?そして、その血を色濃く継いでいて、更に母方の家系は離婚だらけのアル中だらけの私はどうだろうか?はっきりいって救いがないと思う。

生まれなんか関係ないし、人は個人で見るべきだ。たとえ殺人鬼の子供でもその子は親と切り離して見るべきだと私は思う。でも、血は争えないのもまた事実である。

自分の生まれや境遇をいくら呪っても、何も始まらない。人は宿命のもとで生きているのだから。川端康成風に言えば、この不浄な私もまた生きていかねばならぬのだ。

今朝も信じられない声色で怒鳴り散らす叔母からの留守電が入っていた。朝の4時に(笑)

なんだか知らないが、私が会社なんか作ったから親父の金がなくなり、ひいては叔母の金も無くなったと言っている。私は自分の金で、自分の力で8年前に起業した。叔母は完全に狂ってる。

でも、そんなこと言っても何も伝わらないから言わない。言っても信じたくないものは信じないだろうから。

私は思う。きっと老いることも、死ぬことも、愚かな人間の醜さだ。と

人間を光と見る限り、その照らされた人間の背後には影となる闇がある。全てが美しい訳ではない。光ある限り闇もある。人間は一概には言い切れない。

じんせいってのはおつらいですな。

おわり

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