見出し画像

競泳人生の振り返り〜社会人編

大学卒業後ミズノスイムチームとして水泳を続けさせてもらっている。

 入社後、日本新記録を樹立してから6年。大学卒業後も田中先生に教わってきたが、コーチが変わったり、手術をしたり色々あった。学ぶこともたくさんだった。6年ベストが出ていないのもあって今回は話が重くなってしまう。

前回の記事はこちらから

 日本記録を出したのは入社してすぐの6月のジャパンオープン2014。監督からプレッシャーをかけられていたが、うまく作用していい結果につながった。2ヶ月前の日本選手権では初めて15分を切れた。その時派遣標準に届かず、ジャパンオープンで再選考となった。日本選手権が終わってからも調子が良く、練習ベストを連発していた。ジャパンオープンでは始めと最後の100を57秒で泳げれば、残りの1300は100につき1分ちょうどでいいんでしょ?と簡単に考えることができた。

 レースも序盤から飛ばしていった。しんどくなったのは800過ぎてから。ラスト200は死ぬほどキツかった。初めて泳ぎながらフラフラしてコースロープにぶつかった。1500のしんどいところを乗り切るには少しコツがいる。レース中苦しくなった時、泳ぎ終わった後サブプールで脱力してプカプカと浮いてると想像をする。レースが終わったらどんなにだらけても良い。だから今だけ頑張ろう。そうすることで乗り越えられた。

 2014年シーズンはパンパシ、アジア大会と国際大会が続いた。調子が良かったが、外プールと低い気温で思っていたほど記録が出なかったパンパシ。

 調子が良過ぎて左手中指を突き指したアジア大会。思わぬハプニングがあったが日本記録とほぼおなじくらいで泳げた。孫楊のとなりで初めて泳げたのもアジア大会だった。ラスト100は孫楊のキック波が高くてまともに泳げなかった。自分とのレベルの差を知った。



ここからベスト記録は出ていない。

手応えがあったのは2016年リオオリンピックの選考会だった。シーズンが始まった9月から想像を絶する泳ぎ込みだった。後にも先にもあんなに泳いだ半年はない。にも関わらず予選の前日にまた左手中指を突き指した。調子が良いと感覚と進む距離にズレが生まれる。気がついたときには壁に指がめり込んでいた。2回目の突き指で症状がひどく、痛みで左手の水の感覚はなくなった。それでも予選は痛みに耐えながら泳ぎ切った。オリンピック選考会でなければ棄権もあったかもしれない。決勝も痛みに耐えながら泳いだが、派遣には届かず。この時はショックで涙も出なかった。準備はちゃんとできていた。怪我をした自分が悪い。

 それから手術をした。2ヶ月くらいは泳がずにいた。

自分は本当にオリンピックに行きたいのか確認するため会社にわがままをいって自分で飛行機を予約して一人でリオオリンピックを現地まで見に行った。2回も行けなかったオリンピックはどんな空気でどんな場所なのか肌で感じたかった。現地では他に来ている社員さんと合流し、一緒に観戦した。地元のブラジル選手が出てきたときの歓声は凄まじかった。観客として見た憧れの舞台は、普通の世界大会と同じだと思ってしまった。オリンピックにしかない独特な空気は代表選手にのみ感じられるものかもしれない。

 

 リオオリンピック後もう4年頑張ると決意したのは、東京でオリンピックが開催されるからである。東京で開催だと注目度も上がる。今まで支えてもらった会社や先生、家族、応援してくれているたくさんの人たちに恩返しができる。2回も行けなかったオリンピックに行くことで続ければ夢は叶うとジュニア選手に希望も持ってもらえるかもしれない。喜ばせたい。笑顔にしたい。2回ダメだったオリンピックも3回目が東京というのはそういう運命なんだと考えた。


 

 時が経ち2017年の日本選手権後から田中先生が鹿児島に戻られるとのことでイトマンのAQITで堀之内コーチに師事した。これまで泳ぎ込みはたくさんしてきていたのでまずはスピードの強化ということで1年行った。2年目は400の記録を上げる。3年目は田中式の練習とスピード持久力の強化。このような流れで強化を行ってきた。

 自分の中で1500を泳ぐのがいつからか恐怖になっていた。入水後うまく息ができなくなったり、泳ぎが硬くなったりする。今年に入ってからやっとなくなってきた。この4年間悩まされていた。練習の泳ぎはスムースないい泳ぎができることも増えてきた。なのに試合になると少しでも不安になると症状が出る。よく試合より練習の方がキツかったという人もいるが、この症状が出ると圧倒的に試合の方がキツい。レースで泳ぎながらこんなしんどい思いをするなら引退しておけば良かったと何度思ったことか。もちろんタイムも中々伸びず、悔しい思いをすることの方が多かった。それでも引退しなかったのは上に書いたとおりだ。泳ぐことで喜んでもらいたい。タイムが遅くても全力でやることに意味がある。


 選手にとって故障はつきものだ。何かしら痛みを抱えている選手が多い。だからこそ故障しないように気をつけてきた。痛くなりそうな時は頑張らないといけないポイントだけ押さえて、他は少し控えめにする。そういうコントロールをして故障を避けてきた。ただこの半年はそうではない。多少の痛みがあっても無理やり押し切ってきた。こんなことができるのも身体のケアがしっかりできるように環境を整えてくれたトレーナーさんとそれを理解してくれている会社のおかげだ。選考会前の半年はさすがに無理をした方がいい。ここで結果が全て決まる。そんなこんなで少しづつ調子も上がってきていた。2月末くらいから肩の痛みが取れにくくなっていた。力が入りにくいこともある。日常生活でも痛む時もある。

 日本選手権の中止でそんな頑張りもどうタイムにつながったか検証する機会がなくなった。肩の痛みだけがのこっている。続けた先に何が待ってるのか。自問自答が続く。



次回、田中理論。速くなるための3要素の話を書きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?