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ビジネスコンサルタントにおける≪アート≫

この発言は聞く人によっては攻撃的に読めてしまう事は自覚している。ただし、目指している所は攻撃や否定ではなく批評である。批判ですらなく批評である。
また自身がアート原理主義者である事は自覚した上の発言である。

結論から言うと、住む世界が違う。食べてるものが違う。吸ってる空気が違う。
なので、
定義が違うし世界が違うので、好きにすれば良い。
けれど、そのやり方だと言ったもんがちになる。
論理的に突き上げられるとアートであると証明できない。
…と思う。

いわゆるビジネスコンサルタントが使う≪アート≫である。
"今はもう一歩先の視点が必要"。それを耳障りの良い≪アートの時代だ≫と言いたいだけに聞こえる。

面白い事、戦略、経験、全てを無批判に≪アート≫と呼ぶ。
サイエンスではないもの。サイエンスを裏切れば。すべて≪アート≫
非効率な事は≪アート≫感性を大切にすれば≪アート≫
男の美学的な選択も≪アート≫

結論に戻るが、やってる事が違うので、それでインスピレーションを与えてお金を稼ぐのは否定しない。ただ、論理的に突き上げられてもしっかりアートだと言い切れるのだろうか。
定義が違うので彼らの中では≪アート≫であると言い切れるのかもしれないが。

ゲームはアートか?という問いがある。僕の定義では、アートは世の中に問うてしまうもの。だ。
そして必要条件たるものは、松永伸司さんの定義に依拠する。

松永伸司さんのビデオゲームの美学(p.57,p.61)では、その受容慣習や提示形式の点からビデオゲームは芸術であるとされる。
それに比べて、彼らのアートは脆弱、無秩序過ぎないか?と思うのだ。

ビジネスとアートの文脈に関する自分の見解では、秋元雄史さんの「アート思考」は納得感のある本であった。

以上。

(追記)
松永さんからそもそも意味が違う言葉だからじゃない?と指摘をいただいたので、追記。
確かに 立場が違うと思っていたけど、そもそも意味が違うという事だったのかも。

https://twitter.com/mizuno1982/status/1372098570296299521?s=21

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