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2020年代に聴く「On The Corner」


私はマイルス・デイヴィス「On The Corner」のCDを2枚所有している。

1枚は1996年に発売された紙ジャケ日本盤。2枚目は2000年に発売された輸入盤。何故2枚あるかというと、所有していることを忘れていたから。
2枚目を購入して、聴いてみて気付いた。そんなことは後にも先にもこの作品だけだ。

恐らく最初に購入して聴いた時には途中で聴くのを止めて、そのままCD棚の目立たぬ場所へ置いたのだろう。そして2枚目もやはり同じような運命を辿った。



しかしながら、それから20年の年月を経て2022年にサブスクで聴いた「On The Corner」は全く別の音楽として強烈なインパクトを叩きつけてきた。


……ああこれ、ミニマルなんだ。


そのように意識した途端にこの不可解な音楽の解像度が急に上がったような気がしたのだ。



かつてこの音楽を聴いた時はジャズという枠組みの中でしか捉えていなかったので、フリージャズのような音楽として聴いていた。そうすると「On the Corner」の衝動的な短いフレーズの集合体のようなインプロビゼーションは、今一つ消化不良で物足りなく感じてしまう。

ところがこれがインプロビゼーションの饗宴を意図しない音楽であればどうだろう?

するとこれまで何となく目にしていた『マイルスがファンクを取り入れた』『ヒップホップの先取り』などの文言が急にリアリティを伴ってくる。

ちょっとこれは腰を据えて聴かねばなるまいと、私は20数年ぶりの「On The Corner」に本格的に向き合ってみることにした。





「On The Corner」は1972年にリリースされているが、その2年前にマイルスは「Bitches Brew」を世に送り出している。エレキギターや電子ピアノを導入して、ワンコードでマイルスを筆頭にウェイン・ショーター(sax)、ベニー・モウピン(bcl)、ジョン・マクラフリン(g)、ジョー・ザビヌル(ep)、チック・コリア(ep)等がサイケデリックなインプロビゼーションを繰り広げる、前代未聞の大作だ。


「Bitches Brew」では4ビートを完全に脱却した複数の打楽器によるポリリズムにフェンダーローズとエレキギターが織りなす音が渦巻いて独自の混沌を生み出していたが、モーダルなインプロビゼーションの様相は60年代のジャズを踏襲しており、インプロビゼーションを楽しむ音楽としてのジャズという要素は辛うじて残されていた。


一方「On the Corner」のそれは上述したように衝動的な短いフレーズの集合体のようなインプロビゼーションである。


例えば1曲目『On The Corner/〜』のアドリブはデイヴ・リーブマン(ss)→ジョン・マクラフリン(g)→ハービー・ハンコック?(ep)→マイルス・デイヴィス(tp)と続くが、特にマイルスのワウペダルでエフェクトをかけたトランペットによる演奏は相当にエキセントリックである(しかしワウを使わない本来の音ではこの音楽にハマらないのだろう) 。

続く「Black Satin」はテーマらしき短いフレーズが数回反復された後にワウでエフェクトをかけたマイルスのトランペットがアドリブらしきものを鳴らすが、それもいつのまにかテーマらしきフレーズに戻り、よく分からないうちに終わってしまう。

3曲目「One and One」に至ってはテーマ的なものは無いままベニー・モウピン(bcl)やカルロス・ガーネット(ss)が単発的なフレーズを繰り返すが、徐々に混沌とした様相を呈し、フェードアウトして終わってしまう。

ラストの4曲目「Helen Butte/Mr. Freedom X」は……

と、アドリブの説明をするのがナンセンスであることは既に歴然としている。アドリブだけ追っていると起承転結が定まらずどこを楽しめばよいのか迷走してしまうのだ。



しかしながら他ジャンルの要素を潤沢に取り入れた2020年代のジャズに馴染んだ今、「On The Corner」は単一のモチーフを反復するミニマルがその主構造だと理解できる。


ミニマル・ミュージックとは本来現代音楽の用語であり、短いモチーフを反復するループ構造をとる手法を用いた一連の音楽を意味するが、1980年代にドイツのマニュエル・ゲッチングがその手法を電子音楽に応用し、それが後のテクノ/ハウスに発展したという見方もある。


勿論マイルスのそれは時代的にもハウスミュージックのようなデジタルではないので、ミニマルテクノのような音楽をイメージしてしまうと雰囲気がまるで違ってしまうのだが、モチーフの反復とそこに付加される様々な要素を丸ごとグルーヴとして楽しむダンスミュージックのような捉え方をすることで「On The Corner」の魅力が一気に可視化される。




そのグルーヴを構成する重要な要素であるビートについても「Bitches Brew」とは様相が異なっている。どちらも複数の打楽器によるポリリズムが特徴だが、「Bitches Brew」は2名または3名のドラマーとパーカッショニスト達が各々ビートを複雑に叩くことで自然発生的なポリリズムが生まれている。


一方の「On The Corner」も複数の打楽器奏者が参加している。参加アーティストについてはどういう訳か資料により異なっているのだが、ドラムス/パーカッションはジャック・デジョネット、ドン・アライアス、エムトゥーメ、ビリー・ハート、アル・フォスターの5人の名前が挙げられている。誰がどこを叩いているのかは聴いていても判別困難。あとはタブラ奏者のバーダル・ロイがいる。


バッキングも豪華だ。ギターはジョン・マクラフリン(M1)とデヴィッド・クリーマー(M2-4)。電子ピアノ/シンセサイザー/オルガンにはチック・コリア、ハービー・ハンコック、ハロルド・ウィリアムス、セドリック・ローソンの4人が参加しているが、どのように分担しているのかは判らない。そしてエレクトリック・シタール奏者のコリン・ウォルコット(M1,3,4)とカリル・バラクリシュナ(M2)が参加している。


「Bitches Brew」の自然発生的な流動的ポリリズムとは対照的に、「On The Corner」の打楽器とバッキングのリズムパターンは明確でほぼ一定。それ自体がミニマルの小単位を構成している形だ。そしてそのデザインされたポリリズムから生まれる躍動感の鍵を握るのはファンクのグルーヴだった。



マイルスが「On The Corner」に至った動機についてはスライ&ザ・ファミリーストーンに影響されたという記載が目立つ。1967年にデビューしたファンクバンド、スライ&ザ・ファミリーストーンは1969年にウッドストック・フェスティバルに出演し、翌年リリースされたシングル曲「Thank You (Falettinme Be Mice Elf Agin)」はファンクを代表する名曲との呼び声も高い。


スライ&ザ・ファミリーストーンが賞賛される理由の一つは1971年リリースの「暴動」の存在だと思われる。薬物に依存しバンド内で孤立したスライがリズムボックスのビートに乗せて多重録音によりほぼ一人で完成させたとされる本作品の音楽は、音楽の様式自体はファンクに相違ないが、大勢のホーンセクションを従えた開放的な王道ファンクとは趣を異にする。


当時のリズムボックスによるビートは単調だが、そのスカスカ具合が絶妙なグルーヴの一素材となった。それに乗せたシンプルなコード進行のベースとギターは1930年代のデルタブルースのような憂いに満ちたフレーズを鳴らし、スライの歌はアフリカにルーツを持つアメリカ人が歌い継いできたスピリットを感じさせる。


「On The Corner」のリズム構成は複数の打楽器によるポリリズムであり、ファンクそのものとは言い難いが、確かに「暴動」に渦巻くグルーヴに近接した要素を感じとることができる。しかしながら「On The Corner」がスライ&ザ・ファミリーストーンの延長線上にあるファンクなのかといわれると、それはそれで首を傾げざるを得ない。鳴っている音は全くもって異質だからだ。


ファンクはヴォーカルありの曲が多く、例えインストゥルメンタルであってもヴォーカルの代わりにホーンがキャッチーな主旋律を奏で、基本はメロディアスな歌える音楽だ。それに対して「On The Corner」はテーマらしいテーマが皆無であり、とても歌える音楽ではない。



エレクトリック・マイルスを表現する時に、特に古い解説にはしばしば「ジャズとロックの融合」という文章が見受けられるのだが、その説明には以前から疑問を抱いていた。理由はシンプルで、どうしてもロックには聴こえないからだ。でもそれは後方視的な見方しかできないからそう思う訳で、60年代の認識では電気楽器を使えば即ちロックだったのだろう。


マイルスが「On The Corner」のレコーディングに際して描いていたコンセプトはストリートミュージックだそうで、街中の喧騒を音楽にしたような、そんなイメージらしい。言われてみると成程と納得するところもあるが、私がこの音楽を聴いて思い浮かべるのはそれとは全く別の光景である。


それはむしろもっとずっと太古からあるような、例えば野外に大勢が集まり、伝統的打楽器のビートに乗せて、踊りながら持ち寄った楽器を直情的に鳴らしたり叫んだりする祝祭、或いは呪術的な儀式。そのグルーヴは延々とリピートされ、様々な楽器の音色と人々の踊りによって次第に熱を帯び、やがてトランス状態を誘導する。


実際ミニマル・ミュージックの創始者の一人、スティーブ・ライヒはアフリカ音楽にそのヒントを得たとされている。私も伝統的アフリカ音楽については詳しくないが、例えば世界各地の音楽を世に紹介したノンサッチレーベルの伝統的アフリカ音楽を幾つか聴いてみると、正にミニマルの構造をとる呪術的音楽に出逢うことができる。


マイルスは「On The Corner」を録音する上でスライ&ザ・ファミリーストーンの他にジェームス・ブラウン、オーネット・コールマン、編曲者ポール・バックマスター、そして現代音楽家カールハインツ・シュトックハウゼンの音楽にインスパイアされたと語っているらしい。

それらの要素について一つ一つ吟味していくのは至難の業であるが、それらの当時先端をいく音楽を自らのサウンドに取り入れていったマイルスが、その結果ファンクもデルタブルースも飛び越えて音楽の初期衝動のような境地に行き着いたのだとすると、実に興味深い。

尤も、アルバムジャケットのイラストは「Bitches Brew」の方が余程それらしい雰囲気なのだが。




最近アフリカン・アメリカンの音楽としてジャズを捉え追求する動きが活発化している。

例えばグラミー賞を受賞したジョン・バティステ「We Are」で披露された音楽はジャズというよりゴスペルの色合いが強く、ネオソウルとジャズを融合したロバート・グラスパー「Black Radio」のシリーズ最新作はアフリカン・アメリカンとしてのメッセージ性を更に強めた作品となっている。クリスチャン・スコット・アトゥンデ・アジュアーは自身のリーダー作「Ancestral Recall」にてアフリカの伝統的打楽器とのコラボレーションを行なっている。


これらの試みが盛んになされている2020年代だからこそ「On The Corner」を『混沌としたジャズ』ではなく『ポリリズムのループにより躍動感を生み出すアフロアメリカンのルーツミュージック』と捉えるという発想になるわけで、1972年にこのような音楽を創造したマイルスには改めて敬服させられる。



私の2枚の「On The Corner」はこうして20年以上の年月を経て漸く愛聴盤となったのだが、恐らくこの名盤に対しては既に様々な解釈がなされているであろうし、今後もそれは時代の流れと共に新たな解釈が加わっていくのだろう。


マイルスの創造物のポテンシャルは計り知れず、我々がコンプリートするのはもっとずっと未来なのかもしれない。


















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