ドイツ「移住法」における「統合コース」について感じたこと

 2/23(土)、金沢で、「ドイツの移民・難民向け統合コースに学ぶ」というタイトルのイベントに参加した。金沢大学の志村恵先生がドイツの「統合コース」の授業を見学し、その報告会だった。ドイツが移民先進国でありさまざまな制度があることは知っていたが、具体的にどのような制度があるのか詳しくうかがう貴重な機会となった。以下、まずうかがった内容を簡単に説明し、興味深い点や驚いた点、日本との比較、今後の日本のあり方についての私論を述べたい。
 ドイツに来る移民・難民は「統合コース」を受講しなければならないそうである。大きく分けると、ドイツ語を学習する「言語コース」と「ドイツの法制度、文化、歴史などを扱う「オリエンテーションコース」から構成されている。言語コースは、基礎言語コース300時間と上構言語コース300時間からなり、合わせてB1レベル到達を目標とする。オリエンテーションコースは60時間だったが現在は100時間になっているそうだ。統合コースの内容は、木戸芳子2017「移民のためのドイツ語教育:統合コースとドイツ語試験」http://id.nii.ac.jp/1300/00001126/に詳しいので、そちらも参照されたい。
 私が今回の話をうかがってまず驚いたのは、この移民・難民のための「統合コース」に「オリエンテーションコース」があることである。このコースの内容は、ドイツの法秩序(とくに国家の構造、州・地方自治体、法治国家、基本権、住民の義務)、ドイツの歴史、文化(とくに人間像、文化の多様性)であり、言語コースと合わせることで「ドイツに居住する外国人の経済的、文化的、および社会的生活への統合を促進する」ことを目指すとのことである。
 これは、今、日本語教育でよく言われる市民性形成の言語教育の一つのあり方と言えるのではないだろうか。ドイツの市民になるために、ドイツの国の歴史や文化、また移民の歴史などについても学ぶそうである。どうしてその人がそこにいるのか、一方的な講義ではなくディスカッションなどの形で考えながら学ぶ。ドイツらしいなと思うのは、法律をベースにしている点だ。その国で生きていくということは、その国の法に従うということである。単に、ゴミ捨てなどのルールを知るだけでなく、ドイツにおける基本的人権の考え方の特徴、その成立の背景、国民としての義務などを、知識というより態度・考え方として学ぶ。志村先生の話の中で、具体的なディスカッションの例もあった。たとえば、LGBTを示すような写真を提示し、それについてディスカッションをする。中にはLGBTを嫌悪するような意見もある。最後にクラスの先生は、「このような違いを認め合うのがこの国なのです」とコメントする。
 参加者の方で、技能実習生を支援する活動を長くなさっている方がいらっしゃり、ドイツと比較したコメントが印象的だった。技能実習生も、受け入れの最初の1ヶ月、日本語コースと法律や規律などの説明があるそうである。だが、それほど日本語ができない実習生たちに日本語で労働法などの説明をしてわかるはずもなく、母語でのフォローもない場合が多い。その結果、あとでトラブルが発生したとき「あのとき説明を受けたはず」「なぜもっと早く言わないのか」と日本人スタッフや、場合によっては役所の人も、外国人実習生を責めるのだそうだ。半年かけてB1レベルに達してからオリエンテーションコースを受けるドイツの移民と、なんと違うことか。

 移民や難民はこの教育を受けることを保障あるいは義務付けされている。オリエンテーションコースは月〜金曜に半日(たとえば9〜13時)かけて学ぶそうである。では、いつ働くのか。受講者には、義務の人、任意の人などいくつかのタイプがあるが、授業料が全額免除や半額免除になる場合がほとんどだそうだ。また、生活保障を受けている人がたくさんいて、このコースを受講している間は働いていない人が多い。なるほど、移民とはそういうことか、と少し理解できた。日本の場合、外国人労働者は日本に入国する時点で受け入れ先が決まっている。入管法改正後の単純労働ビザも、受け入れ先企業が決まっているのが前提である。技能実習生や留学生も所属先が決まっている。しかしドイツの場合(だけでなく他の国も)、移民というのはまずその国に入国してから職業を選ぶことができる。半年間の統合コースを受けてから会社に入るわけである。つまり、入国してから職業を選ぶ自由が法的に保障されているのが移民、ということであり、そのような基本的人権に基づく自由を外国人に認めない(=移民を認めない)のが日本である。

外国人を受け入れるためにここまで国が保障しているとは! 

日本に同じことができるだろうか。外国人受け入れの姿勢を根本的に変える必要があるのだな、と感じた。だが、日本ではなかなかこの形にはなりにくいとも感じた。

 私がこのイベントで一番心に残った話は、基本法によるアイデンティティ、という話である。ドイツでは、国のアイデンティティのベースの部分に基本法という、憲法のようなものをおいている。普通、アイデンティティの基になるのは、言語であったり文化であったりするわけだが、それを法におくというのがいかにもドイツらしい。また、法によって社会のあり方が規定されるとすれば法こそがその国のアイデンティティであり、移民はそれをよく理解した上でその社会で共生できるか判断するというのは、非常に合理的で当為性が高い考え方だと思う。
 「日本では日本的アイデンティティとして何が提示できるのだろう」とコメントなさっていた方がいらっしゃって、深く首肯した。日本語? 日本文化? 日本の慣習? マナー? それらも重要だが、市民の一員になるために、日本の法の考え方や市民としての法理解、を付け加えたい。外国人が日本へ来てその社会でいろいろな人と共生していくには、社会を成り立たせている法の理解が不可欠だ。外国人への法教育カリキュラムの開発、また法教育ができる教師の育成(日本語教員養成カリキュラムに組み込むのでもよい)が、これからの日本に必要なのではないかと思う。志村先生の視察もカリキュラム開発が目的と聞く。私も折よく4月から法科大学に勤務することになった。法学専門の教員に教えを乞いながら、日本の外国人受け入れ問題について自分なりにできることを模索していきたい。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?