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「自分には熱海がある」ーー熱海の再生に尽力する市來さんのモチベーションの源泉とは


シャッター商店街だった熱海銀座商店街に訪れた変化

東京駅から、東海道新幹線に乗ると約40分で到着する温泉街、熱海。日本の首都圏をはじめとする観光客の心を癒す街として、長年旅人を迎え入れてきた。しかし人口の急速な減少により、日本全体において都市のスポンジ化と呼ばれる「空き家・空き地が時間的・空間的にランダムに発生している」事象が確認されており、熱海市もその一端を担っている。

熱海市の総人口将来推計
「第二期熱海市まち・ひと・しごと創生人口ビジョン」熱海市(2.将来人口推計P.28より抜粋)

熱海駅から徒歩15分ほど歩いたところに、熱海銀座商店街は位置している。この場所は、10年程前にはいわゆるシャッター街で、10年以上も閉めっ放しになっている店舗ばかりが目立ち、人通りがなかったという。しかし2024年現在、この商店街にはスイーツやひもの、海鮮などのグルメを求める観光客や一風変わった体験をしたい人が訪れる商店街となっている。

この商店街の変化の仕掛け人が、市來広一郎さん(以下、市來さん)だ。市來さんは大学から東京で生活を営んでいたものの、地元の熱海の寂れていく姿を見て、地元の再生を決意。2007年に熱海へUターンした。それ以降、熱海の再生のために力を尽くしてきた。

市來さんが熱海のためにと動き続けたきっかけは何だったのか。長年街を支え続けてきた地元の人々や、来訪してきた人々までも巻き込むその力は、一体どこからきているのか。廃墟のようになっていた地元、熱海に感じた可能性は一体どのようなものだったのか。熱海をみんなに好きになってほしいと語る市來さんに、詳しくお話を伺った。

継続を後押ししたのは、廃墟化した熱海と精神を蝕む社会問題

熱海を、自分が住みたい街へ

市來さんに会う前に我々インタビュアーは、市來さんがリノベーションして作った施設、「CAFÉ RoCA」に入っている「caffé bar QUARTO」の店主加藤さんにお話を伺った。

加藤さん曰く、市來さんはこれまで10~15年ほど熱海の復興に貢献されているとのこと。新たな試みも、最初は孤独なときがあったことが推測できるが、それでも長い期間市來さんは熱海の街づくりに向き合い続けてきた。そのような中でも続けることができた、市來さんのモチベーションの源泉を尋ねた。

「言ってしまえば、ただ、自分が住みたい街を作りたいという思いですね。」

しかし、その想いに至るまでに市來さんには2つの原体験があったという。

1つ目は、10代後半の頃に熱海の街の衰退を見ている中、本当に数年で一気に街が廃墟になっていくのを目の当たりにしたこと。身の回りで、誰々さんのお父さんが自殺した、一家で夜逃げした、そんな話ばかり聞いていた過去があった。10代後半と若くして、街が廃墟のように滅びていくことを体感し、そこから何とかしたいという気持ちは芽生え始めていた。

2つ目は、東京に出て行ったときに、周りがみんな病んでいくストレスフルな社会を体験したこと。市來さんの中で、特に印象に残っているのは、インドからバックパッカー旅をした帰りのことだった。

市來さんが旅をしていた時の写真

「インドから帰ってきたときに、東京の電車に乗ったら、乗客みんなの目が死んでいて衝撃を受けました。目がギラギラした人がたくさんいたインドから帰って、日本社会の空気感とその状況に、もう嫌になってしまって、ある種逃げ出したくなりました。」

人の目を気にしてきた性格からの解放

旅人として訪れたインドからの帰国で、生まれ育った日本の空気感に嫌気がさしたという市來さん。そう感じた背景には、それまで知らぬ間に抱えていた自分の性格も作用していると言った。

「パーソナルなことを話してしまうと、もともと優等性タイプでやってきた性格もあります。人の目を気にしながらというタイプだったと思うのですが、インドに行ったときに、そこから解放されました。別に自分の喜怒哀楽を表していい。旅をしてそのことに気づいて、気持ちよさを感じて、自分が変われたのだと思いました。」

自分を解放することの気持ちよさを知り、人の目を気にする性格を手放した市來さんだが、人の目を気にしながら長年過ごした日本に帰ってきてすぐに、危機感を覚えた。

「帰ってきたときに日本の閉塞感や環境を見たら、この国では多分前と同じになると思いました。そのときに、これはただ個人の問題ではなくて、社会の問題だと気づいて。」

「そういう閉塞感や、人の目を気にしながらというのが今の日本社会の問題なので、もうそれをぶち壊したいなと思いました。それが1番強烈な自分の中でのパッションかもしれないですね。」

静かに燃える青い炎のような情熱に、素直にかっこいいと感じた我々は、逃げ出したいと感じた気持ちから、ぶち壊したいという情熱に至るまでの経緯を聞くこともできた。

逃避したい憧れの場所で見た、現地人と自分のギャップ

市來さんは、最初はもう海外に逃げて暮らしたいと思ったが、あるときその考えは甘いと気づいたという。そんな市來さんが旅先で見たのは、憧れの現地の人の生活だった。

東南アジアなど当時は今以上に経済格差のある途上国に行っていたとき、市來さんは社会人だったので、給料も月に約30万円いかない程度もらっていた。仕事の合間を縫って訪れた現地の生き方に、いいなと思っていたら、現地の人は月給10ドルという話を聞いた。

その際に、市來さんはふとあることに気づいたという。

「海外の生活に憧れはありましたが、さまざまな体験をしてきたときに、自分がこれだけ旅したから気づけていることだと分かりました。豊かさというのは経済的な面だけではないものの、海外の人々も経済的に苦しい面もあるはずで、海外の人々の内面性だけで憧れるのは甘いと感じました。」

そしてその実感の後、市來さんが抱いたのは、自身の生き方を問う疑問だった。

「世界を旅する経験ができたのは、日本社会の豊かさが背景にあったおかげなのに、自分が大学院まで出てグローバルないい企業に就職してきた中で、海外の一面に憧れるだけでいいのだろうかと思い始めました。そのときに、やっぱりぶち壊したり、何かを作ったりしていかないといけないと思いました。」

市來さんが旅をしたのは、約20年前。これまで東南アジア諸国やインドは当時に比べると、大きな経済発展を遂げてきた。インフラの整備が進み、生活の質も向上し、物価の上昇や日本への出稼ぎに来る人も数多くおり、インドに関してはIT大国と言われるまでにもなっている。しかし、市來さんが見るのは、その先の未来だ。

「僕が旅したアジアの国々も、これから日本のように豊かになっていったときに、また日本のような社会の閉塞感を抱えていくのだとしたら、ダメだなと思って。それなら、自分たちの身の回りはちゃんと変えていかないといけないと思い至ったのが20代半ばぐらいでした。」

そして、このとき思い描いた使命は、先述した熱海が廃墟のように滅びていく様子を見ていた原体験とつながり始めたと語る。

自分には、熱海がある

ここで、市來さんは自身の原点の熱海を顧みた。

自分には熱海があるなと思って。」

何かを仕掛けていく、身近なところから何かやっていくとしても、東京ではないと思った。そして、熱海から都内に出てきた市來さんは、都会と地方のアンバランスさも身をもって体感していた。

「都会はストレスフルになっていく一方、経済的には豊か。地方は都会より精神面では豊かかもしれないけど、経済的に廃れていくというのも、どちらにも未来がないと思いました。」

そこで市來さんは、自分の身近な場所として活動をしていない場所にも、インパクトがあることをしていかなければならないと感じた。そして、身近な場所として、熱海を何とかしたいということと、熱海を使って社会を変えることをしたいというところに落ち着いた。

熱海が変わっていったら、外から人が訪れたときに、来る人たちの熱海の体験の仕方も変わる。ただ単にガス抜きで宴会しに来ていた熱海ではない熱海にしていく必要があると、市來さんは思ったそう。

「熱海で気づきや出会いがあって、日常の暮らしにもすっとした変化があったら、それは大きな貢献ができることではないかなと思いました。そのように熱海が社会にとっても必要とされるような場になっていったら、いくらでも熱海は再生するだろうなと思って、それこそがやりたいことだと気づきました。」

市來さんは、そう語った。自身が海外の街で得られた経験を、生まれ育った熱海で、訪れた人々に還元していくのですねと我々が言うと、時代の変化を乗りこなす持続可能な観光地に対する考え方を教えてくれた。

「食べて楽しかっただけでは、ダメだろうなと思いました。昭和の時代ぐらいまでは、熱海に来て普段の疲れを吹き飛ばしてワイワイやっていれば良かった時代かもしれません。しかしこれからの時代、特に時代が変化してきて、精神的にもいろいろときつい時代になってきている中で、それだけでは人が癒されないかなと。身体的にも精神的にも何かプラスになるものを持って帰ってもらえないと、これからはあまり持続可能な観光地ではないと思いました。」

市來さんが、これまで旅の中で得たものすべてを私が知ることはない。それでも、旅が今の市來さんを形作るきっかけの一つでもあるからこそ、今は熱海で旅人を迎え、熱海特有の価値を提供することで誰かの生活を少しでも変化させられる。その可能性を信じることができているのだろうと思った。

世界を旅した後に見る、熱海の持つ可能性

地元を顧みたとき、市來さんは熱海の特性から、熱海の持つ可能性の大きさに改めて気づいた。

生活保護の家も多い一方で、超大金持ちがたくさん住んでいる社会の縮図とも言える多様性を持っている熱海。多様性を受け入れられる街だからこそ、可能性は多岐にわたると思えた。そのことに気づいたときには、もう熱海でやるしかないと思った。そのように自分の心で決まってからは、もうぶれることはなかったという。

熱海が社会に与えられる影響が何なのかを追求することは、いまだに続けている気がすると話す市來さん。その想いは、立ち上げたNPOや、会社のミッションとしての「100年後も豊かな暮らしができる街を作る」という言葉の中に入っている。

この街のために、やり続ける

街の個性に惹かれる

市來さんの書かれた本、「熱海の奇跡」には、他の地方を盛り上げるという内容が書いてある。熱海の活力による刺激が全国へ伝播していき、地方を盛り上げることで、日本全体が盛り上がる。先述の話がそんな想いにつながっているような気がして、市來さんに尋ねた。

「これまで旅もたくさんしてきた中で、街の個性がないとつまらないなと思いました。」

熱海の街の風景。昭和レトロな街並みも熱海の魅力の一つだ

海外へ行ったときにも1つ隣の町に行ったら、全く異なる雰囲気や景観、カルチャーがあることを、さまざまな街で感じていたそう。もちろんそれは国内でも九州や沖縄の街に行ったときに、雰囲気が全く違っていて、面白いと感じていた。しかしその一方で、身の回りを見ると中身は違うものの、いわゆるロードサイドの雰囲気は変わらない風景ができていることに気づく。

「あれが非常にもったいないなと思って。やはり隣の街に行ったら、全然違う風景や空気、カルチャーを感じたいと思いました。そういった個性があることが、豊かな社会に繋がるのではないかなと。」

そしてその豊かな社会を実現させるためには、それぞれの街が各々の文化を守ることが重要と考えたそう。

「だからこそ、それぞれの町がちゃんと個性を発揮して良くなっていくことが本当に大事だし、またそれがとても惜しいなと思って。だから僕は、他の街もお手伝いできることはするかもしれないですけど、基本的に熱海に軸足置きながら、熱海という場所を良くし続けていく。やり続けることが、この街にとってプラスになると思ってやっていますね。」

参考URL

株式会社machimori

NPO法人atamista

次回予告

今回は、市來さんのインタビューのうち「モチベーションの源泉」に関わる内容を公開しました。市來さんのインタビューは全3回を予定しています。

次回以降の内容は、以下のとおりです。

  • 第2回:市來さんの巻き込み力と仕事をするうえで意識していること

  • 第3回:クリエイティブな30代への期待と20代の頃意識していたこと

本企画概要

本企画は、TABIPPO主催のPOOLO(現:POOLO LIFE)6期の第3タームの活動として、チームの豊かな世界と現実のギャップを見つけるために実施した。

POOLO6期 第3ターム Jチームメンバー
はまちゃん/たろう/白波弥生


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