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老後を生き抜くのに必要なこと

こんにちは、竹岡佳信です

死ぬまで困窮することなく
暮らしていけるのだろうか?

会社を辞めたあとを考える時、
やはり、一番気になることは

『お金』のこと、でした。

なので、

とにかく、収入を得るために
出来ることはなんででやる

という覚悟で、数年間、懸命に、
いろんなことに手を出してみました。

一時期は、6つのことを同時に進める
という無謀なことをやっていたこともありました。

当然、結果は出ません。

結果が出ないと、当然、焦ります。

ますます、別のことに手を出す。

悪循環が止まらなくなります。

でも、、、

収入さえ何とかなれば、、、
と考えているから、

とにかくお金を稼ぐしかない
になってしまうんですよね。

でも、収入さえあれば、困ることはないのか?

というと、

『そうでもないのでは?』
というのが、今の私の本音です。

なぜ、そう思うようになったのか?

それは、

人が「社会的な生き物」だから
ということでしょうか?

例えば、

山奥の限界集落に行けば、
屋根のある家を貸してもらえたりするでしょう。

借りた家の畑で、芋や、少量の野菜を育てることが出来たら

ニワトリを飼って、卵からタンパク質を摂れるなら

あるいは、本当に、自給自足の生活ができるかもしれません。

でも、

誰とも会わない
誰とも話さない

そんな状態で、

ただ生きていることに「意味」を感じられる人は、
実は、少ないのではないでしょうか?

人は一人では生きてはいけません。

なぜなら、

高度に分業化が進んだ現代社会では、

自分一人が食べる、という部分では、
自給自足も可能かもしれませんが

生活全般に必要なものを
すべて、自分一人で作り出す
ということは、もはや不可能だからです。

それに

もっと大切なことがあります。

それは、

自分の存在価値を確認するということ。

誰の役にも立たず、
ただ、生き続けることに

生きる意味を見出せる人は
実は、非常に少ないと思うからです。

親が子供のことを気にするのは
そこに、親としての存在価値があるから、かもしれません。

上司が部下のことを叱りつけるのも
上司であり続けることの存在価値がそこにあるから、かもしれません。

実質的に、役に立っているかどうか、
はどちらでも良くて、

誰かに影響を与えている、という事実が
自分の存在確認のようになっているのかもしれない。。。

だからこそ、

子育てが終わったら、
定年になったら、

自分の存在価値を見失う人が
出てくるのではないでしょうか?

私は、『生涯現役』で働くことの意味として

単に、食っていくための収入を得る、ということだけではなく

『誰かの役に立っている実感』を感じ続けることを掲げています。

それは、

自分が生きている"意味"を確認する
という意味で、とても大切なことだと思うからです。

そして、

誰かの役に立つことで、収入を得られている

という状態こそが、生涯現役で働く一つの理想の形態ではないか
と考えています。

八ヶ岳のメンターのご家庭で、

庭の草むしりのアルバイトに応募された方が、
実は、大きな美術館のオーナーだった
なんてことが、実際にありました。

身体を動かす機会を得たいから
人の役に立っている実感を得たいから

ということで、草むしりをされていたということでした。

この事例は特殊かもしれませんが、

シニア人生を生きるうえで
お金よりも、大切なことがある

ということを、示唆する出来事と感じています。

お金があれば、楽をすることができる

それは、確かにその通りでしょう。

でもね、

お金がたくさんあれば、何もしなくても良くなる
何もしなくても良い生活が理想だと思っているのは、

実は、

「お金」の呪縛に囚われてしまった人だけなのかもしれません。

お金に支配されてはいないか?

お金がある、ない、という概念で
世の中をステレオタイプに色分けしてはいないか?

無いものを求めるあまりに、世の中全体に対して、
歪んだ見方をしてはないか?

そして

お金のことから、少し意識を離して
これからの人生の生き方を考える時

何を大切にして生きていくのか?

よくよく考えてみることが、
必要な時期に来ているのではないでしょうか?

人生の経営者になる


それは

自分の人生のリソースを使って
どんな「生きる意味」を得るのかを考えること

考えて、実行して、フィードバックを得ること

私たちの旅は、まだまだ、続いていくのだから・・


また、メールします


八ヶ岳のログハウスより
竹岡佳信

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