やりたいことと資本主義
10代の頃、やりたいことに正直に生きてきた。やりたいことに正直過ぎて、社会の常識と折り合いがつけられず、一般的なレールから外れた。
レールから外れ、レールの上をそこそこ満足そうに生きるたちから軽蔑の眼差しを向けられても、なおやりたいことを大切にした。
いわゆる、バンドマンとしての道を歩んで来た。
けれど、やりたいことのためにやらなければならないことについて、20代の私はあまりよくやらなかった。
言い換えるなら、それは「趣味で暮らしたい」ということである。
「好きなことはしたいけど、したくないことはしたいない」のである。
この世知辛い世の中で、そんなことを言っていたら頭の中がお花畑と思われるに違いない。
ちなみに、「趣味で暮らしたい」と「好きなことを仕事にする」とは、次元が異なる。
「好きなこと」には趣味性も含まれるだろうが、純粋に「趣味」とは言えない。
「暮らす」と「仕事する」ことも異なる。暮らすだけなら、付加価値を提供するとは限らないからだ。
少なくとも、現在の社会システムの中で暮らす身としては、社会を無視することはできない。
つまり、資本主義的な世界観を無視することはできない。それは好きか嫌いかの話ではない。
「好きなことを仕事にする」と言いつつ、「趣味で暮らす」ということにすり替わることが多い。
もちろん、趣味で暮らせている人など、ほとんど皆無。実態は結構悲惨である。
やりたいことも資本主義も突き詰めていくのは、実に器用だなと思う。
とはいえ、一般的なレールの上のパッケージ的な生活もまた違った器用さが求められる。
生きるって、器用さがいるんだね。
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