やきにく

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最近の記事

未来はどうせ分からないから

未来ってわからないから不安になる。 でもそれは人間としては正しい、ととりあえず自分を褒めた上で... 分からないからこそ楽しみだなとか どう良い方向に転がるか見物だなとか 思えたらもっと楽になるのではないかと最近思う。 分かっている未来なんて、それこそ頑張る意味も今日を生き抜く意味もないだろうから。 分かっていないからこそ努力のしがいがある。 今を生きる、を最大限に楽しんでみることで 未来を楽しいものだと期待できるんじゃないだろうかと最近思う。

    • 桜の木の下の露出狂と海辺の全裸おじさん

      ※下ネタ注意 高校1年の春、ウキウキしながら部活終わりに友達と見に行った夜桜。 ランニングで1周できるくらいには広い公園で、1番立派な太い桜の木の下で、45るオジサンを見た。 一応ニヤニヤしながらこちらを見ていたが、部活終わりで疲れていたこともあり、桜の木をオジサンと見間違えたのだろうということにしてスルーした。 高校2年の夏、幼なじみの女の子と駄菓子を買って海に向かった。海に向かう途中で近道できる小道に入ったとき、どっかの駐車場からオジサンが出てきて突然ズボンを下ろしイ

      • 絵音さんの言葉

        indigo la Endのライブに行って、良い意味で凶器みたいな言葉をたくさん浴びた。 川谷絵音はどんな人生を送ってきたんだろう?と何回も思った。 今までの嬉しかったことも辛かったことも思い出して何回も何回もえぐられたけど、それはその歌詞の言葉の感覚が、自分の中にあるからなんだな、と。 絵音さんが今の私と同い年の時に書いたという「幸せの街路樹」っていう曲。 この歌は友人にも家族にも言えなくて、だからといってSNSに書くのも違うしなぁと思ったときに書いたと言っていた。 そ

        • feel specialで泣いた日

          twiceで1番好きな曲。 餅ゴリがこれを歌ってる動画を見たとき、心臓もげそうなくらい痛くなって、泣いた。 歌詞が刺さりすぎて痛い。 【和訳】 そんな日がある、急にふと1人ぼっちに感じる日。どこへ行っても居場所がないみたいで落ち込む日。 その度に私に、どれほど私が大切なのか伝えてくれる、あなたのその一言ですべて大丈夫になる 特別な私に変わるの。 あなたは私が特別だと感じさせてくれる。 世の中がどんなに私を落ち込ませても、痛くて苦しい言葉たちが私を突き刺しても、あなたがいるか

        未来はどうせ分からないから

          与えることで「与える」を受け取っている

          20数年生きてて気づいたこと。 人に対して与える機会が多い人と、受け取る機会が多い人がいるということ。 私は長女だからというのもあって、誰かに何かをしてもらうのが昔からすごく苦手で。 でもやっぱり、大人になればなるほど女の子だからっていう理由で、何かをしてもらうことも多い。 人によっては気にしないのかもしれないけど。 例えば彼氏に車を出してもらうとか、ご飯食べに行ったときにいつもお金を出してもらうとか。 相手は自分が望んでやってるんだよ!と言ってくれても、心の中では

          与えることで「与える」を受け取っている

          花は目的なしに咲く

          じゃあ人間は? 目的なく生きていたらダメなのかな? そんなことない、その思考が間違い そもそも生きるのが目的だ。 花だって咲くこと自体が目的で、咲いている時こそ最も美しい 星だって輝くこと自体が目的で、輝いている時こそ最も美しい 花だってただ咲いてるだけ、星だってただ輝いてるだけ。でも美しいでしょ? なら人間がただ生きてることだって、美しい。 じゃあ生きるってなにかと考える。 人は過去や未来で生きることはできない。 今、いまが過去になる。今、未来がいまになっていく。

          花は目的なしに咲く

          私はすでに目的地

          なんでこんな大切なこと忘れていたんだろう。 私たちは「生きること」自体がそもそも1番の目的だったはず。 この世に人間として命を授かっている時点で、大いなる存在から人生をプレゼントしてもらってるんだった。 だから全て完璧というのはそういうことか。 生きることが目的。 だから例え受験に何回も失敗しても、仕事1日でクビになっても彼氏が10股してても、命さえあればなんの問題もないということ。 生きることが目的なんだから、生きてるだけで完璧。 生命を維持するための、酸素、水、太

          私はすでに目的地

          自分の価値は相対評価で図らない

          最近虹プロジェクト2を見ていたら、 東京合宿の冒頭で餅ゴリが「このオーディションは相対評価ではなく絶対評価です。なので周りと比べずに頑張って」と言っていた。 それを聞いていて、なんかハッとした。 自分の価値は自分でしか決められないというのは大前提として、 自分の価値を決めるとき、誰かと比べてしまってはいないだろうか。 無意識に「このクラスでトップ3には入るな〜」とか「私がこの中で1番だな」「あの人よりは良いかもな」とか。 昔は相対的にしか自分を図れなかったけれど、

          自分の価値は相対評価で図らない

          幸せになる、はおかしい。

          幸せになりたい、って当たり前のようによく言うけど疑ったことはありますか? 当たり前を疑うことって、なかなかないと思う。 だってもう当たり前になってしまっているから。 私もずっとそうだった。 これまで生きてきた20数年の中で親や学校からの教育が自分のベース・価値観になっていて、それを疑ってみるなんてことしたことがなかった。 「本当にそうなのかな?」「本当は違うんじゃないか?」なんて思う隙もないほどに、培われた価値観や思考のくせに基づいて、それらを信頼させるような出来事が

          幸せになる、はおかしい。

          自分を愛する

          自分を好きになるために 太ってるからダイエットする。 バカだから勉強する。 これらは昔から自分を少しでも愛するため、だと思ってしてきたことだけど。 実は愛ではなかったんじゃないかと最近ふと思った。 ダイエットしてたのは太っている自分を「太っているからダメ」と思っていたからだったし。「バカだから勉強する」も同じだった。 本当に自分を愛するということは、「太っててもいいしバカでもいい。ブスでもいいしだらけててもいい。」って心から思うところからがスタートなんじゃないかな?っ

          自分を愛する

          綺麗なまま終わるということ

          免許合宿で知り合って仲良くなった友達と、また会おうね!とか連絡取り合おうね!とか約束したら、連絡が途切れたときにガッカリして悲しくなる。 だからあえて約束はしないで終わる。 好きな人と喧嘩ばかりしてすれ違いが続いたとき、それでもなんとか上手くやろうとすると嫌いになりそうになってしまう。 だからあえて好きなうちに別れる。 そっちのほうが気持ち的に楽。 少し惜しいくらいが1番ちょうど良かったりするのかなって。 また会えるか会えないかなんてもう決まっているのだと思うし

          綺麗なまま終わるということ

          批判は憧れの裏返し

          これは私が小学生のころから思っていたこと 小3のとき、私服が派手すぎると同級生に批判された。 頭にリボンをつけるのはぶりっ子だと言われた。 ムラサキのタイツはナルシストだと言われた。 ドクロのワンピースは学校にふさわしくないと言われた。 相手に対して良いとか悪いとか、そのような感情すら持ったことがない私は、言われたことにすら、へ〜という感じで特に気にしていなかった。 が、高学年になるにつれ、この人たちはなぜそんなことを他人に対してわざわざ言うのだろうかと考えるようになっ

          批判は憧れの裏返し

          お母さんに結んでもらった髪

          幼稚園の頃プリンセスごっこが流行ってて 教室で先生に 編み込みとかお姫様ヘアとかに結び直してもらってる子が多かったんだけど。 私はお母さんに結んでもらった髪をほどいてしまうのがなんかすごく寂しいというか切ない?みたいな感情があって(絶対に考えすぎ笑) 1人だけポニーテールとかツインテールでプリンセスごっこに参加してた。 また結んでもらえばいいし、明日も明後日もお母さんは髪を結んでくれるんだけど、それでもなんかそういうことではなくて。 まだ幼かったから離れてても唯一

          お母さんに結んでもらった髪

          子供のとき思ってたこと

          この電球は私にはこの形に見えてるけど 他の人には違うように見えてるのではないか どんな形?と聞いたら言葉では まる!というけれど 私とその人の中にある 「まる」がそもそも違うのではないか? っていう感覚があった。 当時は小6で、担任の先生にそれを話したら ぼくも子供のとき同じこと思ってたよ!って 言ってくれたの覚えてる この感覚わかってくれる人いるかな。

          子供のとき思ってたこと

          可哀想って言葉

          私ってたぶん人よりも言葉の意味をすごく気にする。 言葉って内面の1番外側だと思ってて。 だから言葉に違和感を覚えたら、その人とはすごく仲良くなることはない。できない。 可哀想っていう言葉って大っぴらに使うべきじゃないと私は思う。 なぜ?って言われたらニュアンスでしか答えられないんだけど、感覚的に嫌だから。なんか上からに感じてしまうというか。 試験落ちて可哀想だよね、とか 就活上手くいかなくて可哀想だよね、とか 恋人に振られて可哀想だよね、とか 病気になって可哀想だよ

          可哀想って言葉

          堂々としてれば正解になる

          マイノリティってはじめは否定されがち じゃないですか。 どうしても、大勢と違えば目を引くし。 それを否定する、バカにすることで自分の居場所を再確認する人が若いほど多いんじゃないかと思う 私もたくさん言われてきたし、めんどくさいから周りに合わせてみたりとかしてきたんだけど そうすると結局自分のことが嫌になってくだけで 自分すらもそんな自分を肯定できなくなっていくだけで それならその一瞬しか関わらないその人に嫌われようがなんだろうが、いいやって思って 堂々とするように

          堂々としてれば正解になる