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絵音さんの言葉


indigo la Endのライブに行って、良い意味で凶器みたいな言葉をたくさん浴びた。
川谷絵音はどんな人生を送ってきたんだろう?と何回も思った。

今までの嬉しかったことも辛かったことも思い出して何回も何回もえぐられたけど、それはその歌詞の言葉の感覚が、自分の中にあるからなんだな、と。

絵音さんが今の私と同い年の時に書いたという「幸せの街路樹」っていう曲。
この歌は友人にも家族にも言えなくて、だからといってSNSに書くのも違うしなぁと思ったときに書いたと言っていた。
そのときの絵音さんの等身大を今になっても歌として聴けるのが嬉しい。
誰にも言えないという弱い部分も、歌にする強さが好き。


この曲の歌詞、

''与える側は愛に満ち溢れている
そう考えれば楽じゃないか
一生分の愛情が絵に描いたような方法でたくさん君に注がれていた
溢れてたのは僕だったんだ''

っていう部分。


染みまくった。昔のこと思い出して吐きそうになった。

数年前は、なんで自分ばっかり?とかこんなに頑張ったのに!とか人に対して思うことがあった。
てかそんなんばっかりだった。
なんで私には返してくれないの?って。

でも愛情って自分に満ちていなければ与えることはできない。そして与え続けても無くなるわけじゃない。相手に自分の愛情が注がれていったとして、もともと自分の中にある愛は減らないから。

というか今となってはむしろ、愛するという気持ちを教えてもらった(=その人にも与えられていた)とさえ思える。

その感覚がドンピシャな言葉で表されていて、泣こうと思ってないのに涙がボロボロだった。

これからも絵音さんの歌を聴き続けたい。

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