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【エッセイ】菅原克己雑感4

詩のはじまりについて

 菅原克己は、十七歳のころ、室生犀星の詩と出会ったことでその後の方向が決まったと、いくつかのエッセイに書き残している。
 「昭和二年の秋だったと思う。ぼくは神田の古本屋で一冊の詩集を見つけた。室生犀星の『愛の詩集』である。」「何気なく手にとって開いてみたとたんに最初の詩から一つの衝撃をうけたような気持ちがしたのである。」(『遠い城』から引用。以下同)
 「それまでにもいくつか詩は書いていたが、それは単に詩の形をつづった美文調のもので、金魚鉢の金魚をみては、『美しき姫は、色あかきもすそをひきて今日も歩みぬ』などという他愛もないものであった。」
 「このような時期に室生犀星の詩にめぐりあって、自分が日常に使っている言葉が、詩の言葉になるということに驚くとともに、、生活というものを歌いながら、模索し、探究する詩人の態度に心動かされ、(中略)十七歳のぼくにとっては、それは詩であると同時に、生きている自分にとって、何かを方向づける人生的な意味を持った貴重な書になったのである。」
 詩を、単なる文学表現ととらえるのではなく、日常の言葉を用いて生活を歌いながら自分を探究していく方向を指し示すものと考えるようになった時、菅原克己の詩が始まったということなのだろう。
 さて、昭和四年、十八歳のころの詩が『菅原克己全詩集』に初期拾遺詩篇として収められている。これが私の知るかぎりでは現存する最初期の詩なので、参考までに引いてみたい。

   お通夜あけ
 仏壇には
 まだあかあかと灯りがつき、
 こどもたちは花片のようになって
 すやすや寝入っている。
 みんなみんな
 夢のように過ぎてしまうことならと
 母さんも姉さんも涙ぐんで、
 お通夜あけの冬空を流れる
 朝風の音を聞いている。

 おそらく、六年前の大正十二年1月に急死した父新兵衛の通夜の思い出を描いたのだろう。力みのない、この静かな詩が、菅原克己の詩のはじまりのあたりにある。

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