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【エッセイ】菅原克己雑感2「マクシム」

【エッセイ】菅原克己雑感2

<マクシム、どうだ、
 青空を見ようじゃねえか>

 菅原克己の「マクシム」の一節だ。1969年に刊行された詩集『遠くと近くで』におさめられたこの詩を、菅原克己の代表作にあげる人も多い。
 克己は昭和5年、豊島師範学校4年生19歳の時、仲間の退学に抗議してストライキを実施し逮捕、池袋署で4日間苛酷な取り調べを受けた。24歳の時には共産党の活動に加わり、また逮捕され数ヶ月の拘留を経験していた。
 
 「むかし、ぼくは持っていた、
  汚れたレインコートと、夢を。」

 「ぼくは留置場に入った。
  入ったら金網の前で
  いやというほど殴られた。
  ある日、ぼくは河っぷちで
  自分で自分を元気づけた、
  <マクシム、どうだ、
   青空を見ようじゃねえか>」
     「マクシム」部分

 昭和初期の、苦しくはなっていくけれど、まだ若者たちの純粋な正義感が許されていた時代が、徐々に泥沼と化し身動きのとれないものと変わっていく。息苦しく理不尽な時代。そんなとき、克己は「自分で自分の肩をたたくよう」にしてこの言葉を繰り返すのだ。
 目の前の苦しみから目をそらしているのかもしれない。あるいはどこかにあるはずの希望を、空の向こうに探そうとしているのかもしれない。ただの抒情と片付けることもできるこの弱々しい独白は、しかし、明るく前向きな優しさを含んでいる。だれでもが心に抱える苦しさへの切ないほどの共感。その思いが感じ取れるから、この詩は多くの人の心に残っている、と思う。
 ところでこのセリフの出自はよくわかっていない。ゴーリキーに関わりがあるのかと調べてみたがちがう。どうも、戦前のソ連映画「マクシムの青春」あたりに淵源がありそうなのだけれど確認できずにいる。
 いろいろと悩ましいことの多い時代だが、ともに肩をたたいて「青空を見ようじゃねえか」。



※参考までに「マクシム」を挙げておきます。

マクシム   菅原克己

誰かの詩にあったようだが
誰だか思いだせない。
労働者かしら、
それとも芝居のせりふだったろうか。
だが、自分で自分の肩をたたくような
このことばが好きだ、
<マクシム、どうだ、
 青空を見ようじゃねえか>

むかし、ぼくは持っていた、
汚れたレインコートと、夢を。
ぼくの好きな娘は死んだ。
ぼくは馘になった。
馘になって公園のベンチで弁当を食べた。
ぼくは留置場に入った。
入ったら金網の前で
いやというほど殴られた。
ある日、ぼくは河っぷちで
自分で自分を元気づけた、
<マクシム、どうだ、
 青空を見ようじゃねえか>

のろまな時のひと打ちに、
いまでは笑ってなんでも話せる。
だが、
馘も、ブタ箱も、死んだ娘も、
みんなほんとうだった。
若い時分のことはみんなほんとうだった。
汚れたレインコートでくるんだ
夢も未来も・・・。

言ってごらん、
もしも、若い君が苦労したら、
何か落目で
自分がかわいそうになったら、
その時はちょっと胸をはって、
むかしのぼくのように言ってごらん、
<マクシム、どうだ、
 青空を見ようじゃねえか>



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