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乳の変〜茨城 夏の陣〜

9/19から茨城県ひたちなか市でスタートした芸術祭、「みなとメディアミュージアム」に参加している。
11/28まで展示中。
もう始まっているのである。
いつもそうなのだ、きちんと告知すべきとわかっているのにそういうことを忘れてしまうのだ。自己プロデュース能力がないのだ。

このご時世なので、スタッフさんが常駐する必要性のある展示は現時点では無しで私含め3作品のみ展開中。
私の作品「空き家おくりびと みなとの電車編」は運行中の鉄道を利用する作品でスタッフ監視はもともと不要だったので実施である。
作品のコンセプトなどについてはMMM作品紹介ページに掲載したものが最新なので、是非にそちらご覧いただきたいところ。

みなさま来てください!とは言えないので画像で紹介したいところだが、まだ胸を張ってお見せできる写真は撮れていない。
MMM作品紹介ページに掲載されているものは実行委員の方が急ぎ撮ってくださったものだが、はっきりいって非常に撮影しずらい作品なのがおわかりいただけるであろうか。

日常の乗車風景に馴染ませてはじめて成立する作品なので、通常運行し乗客がいる状態のものを近くカメラマンさんに撮影していただく予定。
設営のために"無人"にしていただいた電車の中で、写真センスのない私が、"なんとなく"iPhoneで撮ったものを"なんとなく"アップして、
それで誰かに判断されるのは嫌である。(MMM実行委員さんはそういうわがままくんでくださっていてMMM公式サイトの画像もカメラマンさん撮影終わったらチェンジしていただくことになっている、ありがたや)
カメラマンさんからデータきたら改めて自分のウェブサイトなどで丁寧に紹介予定。

せっかくなのでこのnoteでは脱線した話を送りしたい。

今回の展示・設営にあたり一番不安だったこと。
コロナ?設営トラブル?子と離れること?
いや違う
この記事で懸念しているのと同じく通り、乳爆発問題である。
ちなみにこの記事は7月のフィールドワークの際に、我が乳は大丈夫だろうかという不安について述べているものである。
記事だとあたかもばっちり対応しているそうな印象を漂わせているが、実際は7月のフィールドワークで私の乳は危険なことになった。
だから、9月の展示・設営の際に乳爆発問題に非常に怯えていたのである。

そこで今回は7月フィールドワーク時の乳トラブル、"乳の変〜茨城 夏の陣〜"について紹介したい。

出産するまで全く知らなかったが、母乳をためたままにすると、鶏もも肉(生)→サラダチキン(スモーク)→開けたての油粘土くらいの硬さに変化する。
そんな状態のままだと、乳腺が詰まって痛くなったり、膿んでしまいそれが体中をまわることで高熱・悪寒・全身痛といった症状をもつ乳腺炎という非常に怖い状態になるのだ。

なので母乳育児中は定期的な排出(授乳がそれであることが望ましい)が必須なのである。
その行為を搾乳といい、手でぎゅーっと出すことを"手絞り"、装置で出せるものを"搾乳機"といい搾乳機は手動と電動がある。

手絞りがどうしてもうまくできなかったので、7月のフィールドワークの際は、ピジョンの手動搾乳機を持参したのだがうっかり哺乳瓶を忘れるという凡ミスをした。
哺乳瓶とは絞った母乳をいれるだけではなく、搾乳する際に装置を真空にして圧を発生させるのに必要不可欠なものだったのである。

悲劇とは重なるものである。
フィールドワーク後、久々の独り身に激しく感動した私は那珂湊のおさかな市場に行った。
普段、常に赤子と一緒なので、家を出るのはわずかな時間であり、しかも夏場は熱くなる前(朝の9時台)には帰宅し、ほかはずっとクーラーの効いた部屋で過ごしていた。
ここのところめっきり朝晩涼しいので覚えていないかもしれないけれど東京オリンピックがあったのは7月。そう、7月とはあの暑い日々のこと。赤子と生ぬるく過ごす私にとって7月の茨城の暑さは苛烈であった。
歩いておさかな市場へ行き、ちょっと土産の品を探すだけで見事、軽度の熱中症になったのである。

乳の硬さが油粘土状態になったのと、熱中症はほぼ同時であったであろうか。那珂湊駅外のトイレで前述の理由で搾乳機が使えないとその時になってようやく気づいた私は手絞りを試みるも相変わらずうまくできない。

熱中症気味の危険な状態だったので、搾乳を粘らず急いで帰ることにした。
帰りの特急ではいよいよジンジンとしだしたので、胸に冷えたペットボトルを合計3本(左右の胸のサイド、谷間に1本。IOIOIという状況だ)直接あてた。
ゆるっとした服を着用し、冷房よけのストールで覆ったので見苦しいブツを露出させずには済んでいるがフゥフゥいいながら赤い顔をし、なにやら胸の上をがさごそさせている女。絶対に危ない人だったであろう。
コロナ禍が幸いして私の貸し切り車両状態だったひたち号。
周囲に人がいなかったので誰にも見られずに済んだのが不幸中の幸いである。

特急ひたち号下車後、品川で横須賀線に乗車。
もはや大都会東京。不埒な真似は即お縄である。ペットボトル冷却作戦はできない。「乳腺炎になるかもしれない」と覚悟をした。

最寄り駅である逗子に到着後、わずか徒歩10分の距離であろうとタクシーに乗ろうと決意するも、当時の逗子駅は海水浴場が開いていた時期なので駅のロータリーには待機中のタクシーがなかった。普段はあんなにたくさんのタクシーがいるのに。アロハシャツきたドライバーさんがニコニコしているのに。「これが観光シーズンの逗子の底力」と1年ぶりに妙に納得。
根性で家まで歩く。わずか10分の距離だが恐ろしく遠く感じた。

帰宅。県をまたぐ移動をしているから、もしも家族にコロナがうつったら大変だからという最後の理性が働き、水シャワーを頭から浴びた。パジャマに着替えている最中ふらつき、頭も乾かさずに布団に運ばれる。

乳飲み子を横に連れてきてもらい、添い乳(添い寝しながら授乳するスタイル)を実施。
生産されてからさんざ時間が経って絶対に美味しくない母乳をごくごく飲んでくれる我が子であった。
粘土的硬度がやわやわとゆるみ、徐々にサラダチキン状態になった。
即、逆の胸を吸わせ左右ともにサラダチキン状態。
ただ、乳が固まったのかなにかが腫れたのか、謎のしこりがいくつか残っていた。

子は結構な量を飲んだはずなので普段だったらもう「ごちそうさま」とさせるべきなのだが、乳腺炎について調べてくれた夫によると「乳腺炎になりそうな場合は赤ちゃんに乳首を加え続けてもらい続けるのが一番よいらしい」とのことで、添い乳を継続。
胃に負担をかけることが心配であったが、子も「俺はまだまだ飲めるぜ!哺乳瓶ばっかりで少し空きてたんだぜ」という力強い瞳をしていたので継続。
搾乳機は圧で乳を出すので変に痛かったり、部分的に乳が残ってしまうのだが、むむ、これはすごいぞ。
ムラなく優しく、それでいてなんとすばらしい吸引力か。
この日の我が子は最強の人型全自動搾乳機であった。

もはや熱中症だか乳腺炎だかわからない状態で私が寝ている20時間ほど、子の世話が必要な時以外、ほぼ子にはそばにいてもらった。
ヒィヒィいいながら謎のしこりをゴリゴリ潰して、飲んでもらう繰り返し。
赤ちゃんも乳を飲むのは結構な体力を使うのに、惜しみない協力をしてくれた我が子。子の面倒を見続けてくれた夫。我が家のメンズには感謝感謝である。

数日、胸にしこりと倦怠感があったが無事治った。
乳は大切にしようとかたく誓った。
以上が"乳の変〜茨城 夏の陣〜"である。

なお、こんな有様にも関わらず、9月展示・設営の際もちょっとしたトラブルがあった。
次回"乳の変〜茨城 初秋の陣〜"に続く。


最後に大切なこと2つ。
1)かげながら乳児を育てる、すべてのお母さん達を応援させてください
「赤ちゃんにとって母乳を飲むのはとても体力を使うことで、大変なこと」です。だから母乳育児が軌道に乗るのが難しいんだそう。赤ちゃんの「そんなにたくさんは飲めない」「うまく飲めない」という状態であったり個性なのだけれど、「自分のせい」と責め苦しむお母さんたちがとても多いのだそうだ。それはとても辛いことだと思う。励ましたい。でも母乳がうまくでる私&ぐびぐび飲める我が子ペアからの励ましは嫌味に聞こえると思う。だからせめて、かげながら応援をさせてください。そしてこれを読んだ方が、パートナーやお嬢さん、知り合いの乳児育児中の方に「なんで母乳でないの?」「あなた母乳?」なんて、ひどいことを言わないことを祈らせてください。

2)県をまたぐ移動に関し 神奈川県逗子市〜茨城県ひたちなか市への移動は下記のタイミングで抗原検査キットによる陰性を確認しています
【1移動前夜、2帰宅後すぐ、3帰宅2週間後】※1、2はみなとメディアミュージアム実行委員推奨による ※3は私自身の判断で実施しました
新型ウイルスが1日でもはやく落ち着きますに。

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