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木の記憶07/焚火

 その日は以前からの山の友だちたちと一緒に、登山に出かけていた。このところ忙しく、山を忘れているような生活をしていたが友だちに誘い出されたのだった。山を越えてくる雲が美しかった。そればかりでなくこうしているうちに、何もかもが、これまでは気づかなかった美しさを見せてきた。森の中で名前のわからない鳥がよく鳴いていた。その声を立ち止まって聞いていると、僕を取り囲んでいる周囲が段々と自分に馴染んで来るのを感じた。

 下山後、甲斐駒ヶ岳を源とする川の隣にある小さなテン場にテントを張った。日はとっぷりと落ちて、すっかり暗くなっていた。型通りのことだが、火を焚き、食事をとり、誰かが車からギターを出してきて低い音で鳴らしはじめた。山のつんとするほどの匂い、川の音、焚火の香り、目の前を星がいくつも流れた。さっきあおったウイスキーで、頭の芯が少しづつほどけていくのがわかった。僕たちは張ったままの天蓋のなかで、それを取り外す気も起こらず、ぼんやりと過ぎていく時間に浸っていた。

 焚火の煙が風のない谷をまっすぐに登った。その煙と一緒に舞い上がる火の粉を追って、黒々とした山を見上げると、小さく灯が動いているのが見える。夜間登山をしている人がいるようだ。明け方の御来光を目当てに登っているのだろう。灯は時々岩影に隠れ、また見える。向こうからもこの焚火が見えているのかなぁ…。

 ふと思う。「縄文人もこんな川辺で火を起こし、木の実や魚を煮炊きして、どぶろくなんかを飲みながら焚き火を囲んでいたのだろうか…。」ごく弱い風が吹いて、煙がゆっくりとモヤのようにテン場を包んだ。僕は焚火にあたる縄文人たちのことを想像していたら、何かとても楽しい気持ちになってきた。それから僕はせっせと焚木を集め、今晩は眠くなるまでテントの外で火を燃やし続けることにした。

(富田光浩)


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